うつりゆく癖

 続いて、さまざまなレベルに編み込まれた癖は、いかに拡がっていくのかについて考えます。端的にいうと、癖は必ずしも言語を介すことなく、人から人へとうつっていくという特徴があります。生活をともにしたり、ともに過ごす時間が蓄積されることで、否が応でもうつってしまうのが癖の特徴です。

 憧れの作家の文体や好意をいだく人の口癖などを、意図的に取り入れようとする癖のうつり方もあります。癖のポイントをみつけて、それを習得する手順は、確かに効率はいいかもしれませんが、それでも完全な習得はなされず、意図したものからずれたり、過剰となったりします。

 なぜこのようなことになるかというと、癖がうつる過程において、人びとは主体的でも、従属的でもない存在になることによります。主体を中心として伝えるのでも、従属的に伝えられるのでもない過程では、ずれや過剰さが必ず生じてしまいます。そのように、明確な主体や言語がなくても人から人へとうつりゆくのが癖の特徴です。社会の癖も、意図する主体や言語に制限されずにうつりゆくという特性があります。小料理屋になることを推し進めた支援団体やリーダーがいたわけではありませんし、それを言語や文書で拡めたわけではありません。しかし、その社会の癖は彼女たちの人生に確かに相互にうつって存在しています。

管理できない癖

 ここまで、癖は些細なものであること、つかむために技術と年月がかかること、癖は私によってなんとかできるものでなく、またなにかの環境によってつくり出されたものではない、そのような主体的でも従属的でもないあり方によって癖はうつりゆくものであることについて述べました。このようなことから、癖を管理することは到底できることではありません。くどいようですが、もう少し癖を管理することの難しさについて押さえておきます。

 人びとや社会の癖の把握については、石岡論文の刑務所管理の手法をもとに管理をめざす権力も尽力してきたことは述べました。人びとの無意識の傾向を、管理する側も人びとの行為選択を数値化し、また行動をパターン化し把握しようとします。人と人との読み合いであるなら、癖を掌握される/されないかが勝負の分かれ目です。刑務所管理のスプーンを差し出す様式化や、かつてのバスジャックにおける「母親」が登場するタイミングは、敵ながらあっぱれと言わざるをえません。

 ただしここで注意したいのは、あくまでも癖を管理できたのは、犬食いの屈辱と母親のやさしさを管理する側の「人間」が理解できるから追いつけるのであって、それらの文脈を理解できない人工知能では追いつくことさえできないでしょう。管理する側も癖をつかみ、癖を取り除く、もしくは癖を矯正することを試みますが、それは事後的な把握であって、人びとの癖や社会の癖を常にアップデートし続けることは、難しいのです。

社会の癖を書く

 社会の癖という視点であれこれ述べました。癖のある人間と同じように、一癖二癖ある社会も私は魅力的にうつります。おそらく、実際は人も社会も一癖二癖あるはずなのですが、現在ではそれがみえづらくなっています。当の本人でさえ意図的に隠したり変えることができないのが癖でしたから、現在は決して癖がないわけではなく、また隠しているわけでもなく、相互に癖がうつりづらいほどに身体感覚や生活、社会が分断された状態なのかもしれません。そうであるなら、人びとや社会の癖を再文脈化して書くことは、いまこそ求められているように感じます。

 癖は、誰かにうつります。またうつるまでいかなくても、憎めないものとして共在することができます。このように、生活をともにするなかで、癖がうつることや、隣でその癖をゆるすことが、社会調査、なかでも参与観察において理解するということではないかと考えます。参与観察における理解は、調査する人間が身体やその生活や人生までも調査対象者やその社会に巻き込まれ、その過程で人びとや社会の癖がうつることが避けられません。

 調査をいったん終えた後、調査者の身体や生活習慣に編み込まれた癖についてじっくりと考えることが、参与観察における思考や理解のあり方の特徴です。その理解の過程や最終的に理解したことを書く際に言語は欠かせない道具のひとつですが、参与観察において人や社会の癖をつかむ際に、必ずしも言語である必要はないし、言語でつかもうとすることでこぼれ落ちてしまうものがあります。身体でも時間でも感覚でも、なんでも使えるものは使って、私たちは人びとの、そして社会の癖がうつりゆく様子を書き、また編み込まれた社会の癖を相互に時間をかけて読み解いていかなければならないように考えます。

文献

石岡丈昇、2011、「対象化された貧困――マニラのボクシングジムの存立機制」社会理論・動態研究所編『理論と動態』4: 42-58.

――――、2017、「癖の社会学」『現代思想(特集 社会学の未来)』45(6)、青土社、125-139.

――――、2018、「なぞること/立てること――対象の再構成について」『ソシオロジ』62(3)、61-67.[8]

熊本博之、2021、『交差する辺野古――問いなおされる自治』勁草書房.

村山綾、2023、『「心のクセ」に気づくには――社会心理学から考える」筑摩書房.

大月隆寛、1999、「永沢光雄――人と出会うこと、話を聴くこと」永沢光雄『AV女優』文藝春秋、618-638.