社会の癖という視点

 星野源さんの「くせのうた」という曲があります。歌詞は、「君の癖を知りたいが ひかれそうで悩むのだ」から始まり、「君の癖はなんですか?」で終わります。癖のありように沿って、想う人との距離の取り方が絶妙に表現されています。

 以下で扱う癖にも、いいものや些細なものだけでなく、「ひかれそう」なものも含まれます。むしろ、たいていの癖(口癖やしぐさなど)は当の本人にとって恥ずかしいものであり隠したいものです。たとえば、ピンチの時に頭をかく[*3]といったしぐさは、恥ずかしいものですが、ついついやってしまいます。そして、このような癖は、日本社会だけでなく、いろんな社会で照れ隠しの場面で現れる普遍的なもののようです[*4]。ただここで焦点をあてたいのは、より小さな社会や間柄で共有され確かに存在する、個人の身体を飛び越えた社会の癖です。それは身体レベルだけではなく生活習慣や人びとの相互行為場面で現れるものです。たとえば、以下のようなものを社会の癖として考えます。

 永沢光雄さんは1990年代初頭にAV女優の女性たちに行ったインタビュー集『AV女優』を刊行しました。以下は、その文庫版の解説として、大月隆寛さんが書いた文章です。

彼女たちが将来の夢を語る時、まるで判で押したように「店をやりたい」と言っている。それはお好み焼き屋だったり、串カツ屋だったり、カウンターだけの小料理屋だったり、人によりさまざまだけれども、しかしそのような「商売」を自分の手でやれるようになることが何より一番確かな暮らしの基盤になり得る、という信心がある。そして、それは誰に教えられたものでもない、彼女たちがこれまでの生の中で自然と身につけてきた”確かさ”についての感覚なのだと思う。(大月 1999: 633-634)

 これは当時の彼女たちの多くが将来、小料理屋を始めることを思い描いていたという些細な記録なのですが、私はそこからいろいろと想像してしまいます。浮足立っていた時代の終わりがみえた頃、彼女たちはこれからについて考え、その多くは会社で働く人生や裕福な男性のパートナーとして生きることを選ばなかったのです。そういう「安定」は、いつなんどき誰かによって壊される恐れがある。バブルの時代、そのなかでも派手な業界で過ごした彼女たちは、こんな時代は到底続かないとみていたのかと私は想像します。

 そして、彼女たちは自身で小料理屋を興す「確かさ」に賭けた。もし悪いうわさが大きくなって商売にならなくなれば、店をたたんで、また新しい土地で小さく商売を始める。女性たちの思い描く小さな社会ではありますが、着実に生きる「確かさ」の感覚から、彼女たちが過ごしていた場所の過酷さが反転して浮かび上がります。それは不特定多数を相手にした、あまりにも大きな世界であり、自身の力ではどうしようもないアウェイの場所だったようにうつります。

 このように、小さいけれどもその社会に確かにあった感覚、習慣や傾向などを、以下では「社会の癖」として、考えてみます。

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[*3] 直近のオンラインシンポジウムで、私はずっと頭をかきっぱなしでした。その時はまったく自覚はなかったのですが、あとから動画を視聴すると、その姿はあまりにも典型的で驚きました。

[*4] このほかに普遍的な癖には、権威への服従や公正世界信念などがある(村山 2023)。