
生きものであること 人間であること
中村桂子
「私たちの中の私」として自身を捉えていく時、まず「生きものという私たち」から始めると空間的にも時間的にも広いところに自分を置くことができ、大らかになれると思いますというところで前回は終わりました。
伊藤 菊代さんと
他5人が抜粋しました
白石 ひとみ
生きものであること 人間であること
中村桂子
「私たちの中の私」として自身を捉えていく時、まず「生きものという私たち」から始めると空間的にも時間的にも広いところに自分を置くことができ、大らかになれると思いますというところで前回は終わりました。
伊藤 菊代さんと
他5人が抜粋しました
愉快な修行
藤田 一照
――悟りや涅槃は名詞ではなく動詞的に理解すべきだというお話ですけど、たとえば「境涯」なんかも、何かそこに到達することを目指す山の頂上のようなものをイメージしちゃいますよね。
さかい はるきさんと
他2人が抜粋しました
丸毛 敏行さんと
他1人が抜粋しました
仏教のヨコ道ウラ話
石井公成
前回は、お盆に関する話でした。お盆と言えば、お墓参りや盆踊りということになりますが、実は明治初年には盆踊りを禁ずる布告が各地で出されていました。現在、盛大な行事となっているのは、その後、復興したおかげなのです。
矢部 玲子さんと
他3人が抜粋しました
さかい はるきさんと
他11人が抜粋しました
河合 ミシャルさんと
他2人が抜粋しました
仏教のヨコ道ウラ話
石井公成
前回は月の光の話でしたので、今回はその反対の闇をとりあげることにします。月の光と闇と言えば、老齢の方が思い出すのは、「空は晴れても心は闇だ」という泉鏡花『婦系図』の名セリフでしょう。
Toibito userさんが抜粋しました
H Aさんと
他7人が抜粋しました
山崎望
「個人の置かれている現在の状況はその個人の資質や行動の結果である」と考える自己責任論は、1990年代から徐々に私たちの社会の「常識」となっていきました。貧困、障害、不登校、DV、介護疲れといった問題は、すべて、個人やその家族に帰するものなのだから、自分で解決すべきだというのです。その結果、痛ましい事件が毎日のように新
Lam Yuriさんと
他5人が抜粋しました