「私たちの中の私」として自身を捉えていく時、まず「生きものという私たち」から始めると空間的にも時間的にも広いところに自分を置くことができ、大らかになれると思いますというところで前回は終わりました。

 私たちは日常さまざまな生きものと共に暮らしています。イヌやネコを初めキンギョやカメなどペットも多様です。散歩の途中に出会うさまざまな花に心慰められる方も多いことでしょう。まず「生きもの」に注目したのは特別のように聞こえたかもしれませんが、他の生きものたちのいない地球はきっとつまらないものでしょう。「私たち生きものの中の私」には、楽しさがあります。ところで今回は、このような日常とは少し違い、眼には見えず人間からは一番遠いと思われているバクテリア(細菌)に注目します。実は、それが思いもかけず近い存在であり、しかもそこにはウイルスまで関わっていることが分かってきましたので。


膨大な数の細菌と共生

「私」と言う時には、他の誰でもない私、両親から遺伝子を受け継いだ私を意識するのが当然です。ただ、私たちの体には膨大な数の細菌が存在しており、それが「私」という存在に関わっていることが明らかになっています。腸内細菌という言葉はよく聞かれますし、健康との関係で関心をお持ちの方も多いのではないでしょうか。腸内での細菌のはたらきが重要なので、この言葉で代表されますが、細菌が存在しているのは腸だけではありません。皮膚、口腔、消化管(食道、胃、腸)、呼吸器系、膣など、体表面と呼ばれるところにはどこにもいます。皮膚は表面とすぐわかりますが、ここにあげた体内はすべて表面なのです。人体は、口と肛門が上下の開口部になった筒ですから、体の中も実は外とつながった表面であり(体の中が外だとは面白いですね)、そこに空中にある細菌が定着するのです。

 その数はおよそ50兆個〜100兆個、重さにして1〜2㎏あるとされます。細菌の種類も500〜1000種と多様です。私たちの体を構成している細胞数が37兆個と言われていますので、数にすれば細菌の方が多いのです。


腸内細菌とは何だろう

 体内に常在する細菌は、ただそこにあるというだけのものではなく、さまざまな部位にいる細菌にはそれぞれの役割があります。なかでも量が多く(90%ほど)はたらきも重要なのは腸内細菌ですので、それに注目します。ビフィズス菌、乳酸菌などなじみの名前の細菌はどれも嫌気性菌と呼ばれ、酸素のないところでしか増殖しません。

 ところで、私たちが胎児として存在する母親の子宮内は無菌です。「私」の出発点は両親から受け継いだ遺伝子のはたらきで生きている純粋な「私」なのです。産道を通る時に母親の体内にある菌が入ります。産声を上げてこの世の空気を吸えば、1兆個以上の細菌が入り込み、それあっての「私」になります。成長につれて細菌の種類や数が変化し、成人型の腸内細菌叢(そう)ができあがり、加齢につれて老人型になっていくのです。加齢と共に増えるのはウェルシュ菌や大腸菌など腸内腐敗のもととなる菌なので、これを抑えてビフィズス菌が優勢な状態を保つことが老化を防ぎ、健康に暮らすためには重要であることもわかってきました。

 各人の腸内細菌叢の定着の仕方はまだわかっていません。乳児の時に乳を通して母親から受け継ぐものと食物など外から入るものとの組み合わせであるには違いありませんが、生活の場を共有している家族に必ずしも類似性は見られません。双生児でも腸内細菌叢は異なることが知られており、一人一人違っているとしか言えません。つまり、両親から受け継ぐ遺伝子も「私」として特有ですが、腸内細菌として存在する遺伝子も「私」特有なのです。両親からの遺伝子の総体をゲノムと呼ぶのに対し、腸内細菌叢など、外から来たのだけれど「私」に特有の遺伝子の総体をメタゲノムと呼びます。両者が合わさっての「私」です。

 私たち生きものの一つとして最も早くから登場し、最後に登場した人間とは遠く離れた存在と位置づけられる細菌を内に存在させた状態でしか私は存在せず、しかも細菌叢は一人一人違って「私」を成しているというのですから、生きものの世界は面白いです。「私たち生きものの中の私」という視点の大切さを感じとっていただけたでしょうか。


細菌とのつき合いの歴史 

 生きものは多様であり、人類は長い間それを利用してきました。けれども細菌は見えませんので、その存在は長い間知られていませんでした。16世紀の終わり、顕微鏡が発明され、透明に見える池の水の中に小さな生きものたちがたくさんいることを知った人々は驚きました。興味深いことに、顕微鏡を最初につくったのは眼鏡屋のヤンセン父子、それを使って微生物を観察したのは市民でした。今でも、顕微鏡観察を楽しむ方はありますが、でも生物学者という専門家の研究器具とされてはいないでしょうか。これが、皆で私たち生きもの仲間を楽しむ道具として登場したことを忘れないようにしたいものです。

 それから100年近くたった17世紀後半になって研究者の視野に入ってきた細菌は、19世紀になって病原体として同定されます。1860年代、フランスのルイ・パストゥールが、煮沸した肉汁に空気が入らない工夫をしておけば腐らないこと、しかも空気が入った途端腐り始めることを見つけました。空気中の微生物が肉汁の中で増えたのです。これは「生物がないところから生物は生まれない」、逆に言うなら「生物は生物からしか生まれない」という重要な発見となりました。

 病気になるのを一種の腐敗ではないかと考えていた当時の人々は、病気も細菌で起きるのではないかと考えるようになりました。具体的な答えを出したのはやはりパストゥールでした。当時家畜で流行し、時に人間にも感染していた炭疽(たんそ)病の原因が細菌であることを示したのです。同じ頃、ドイツでもロベルト・コッホが同じ病気の原因を探っていました。このように、まったく新しい研究が同時に別のところで始まる例は少なからず見られます。研究も社会とつながっており、今必要なことは何かを鋭く感じ取る能力をもつ研究者が大事な仕事をすることを示す事実です。実はこの頃、熊本にいた少年北里柴三郎が後にコッホの弟子になり、破傷風菌という嫌気性で扱いの難しい細菌を病原菌と同定するみごとな研究をします。北里については語りたいことがたくさんありますが、ここでは省略します。

 このように人間と細菌のつき合いを研究の歴史から見ると、長い間病原体と位置付けられてきました。以前は黴(ばい)菌と言って、そこにはどこか悪いもの、汚いものというニュアンスがあったのはそのせいでしょう。細菌は決してそういうものではなく、私たち生きものの仲間であり、人体に不可欠なものとして常在している。最近はこう理解されるようになりました。病原菌への対処が重要であることはもちろんですけれど。


腸内細菌叢の役割

 腸内細菌叢は、私たちの健康を支えてくれる存在です。大量に存在していますので、ヒト本来の遺伝子の数25000ほどに対し、細菌のそれは330万と言われ、それがさまざまな代謝産物をつくっています。血液中の物質の三分の一ほどが細菌生産のものであったという報告もあります。その中にはビタミンや短鎖脂肪酸などの有用物質があり、健康を支えています。もっとも発がん促進物質などの生産も見られます。腸が深く関わっている免疫系、肥満、更には精神疾患、学習などの脳機能への影響など、生きることのすべてに関わっているとしかいえない報告が次々なされています。食べ物、運動などの日常が細菌叢の状態をきめます。人間のありようを決めるのは「遺伝か環境か」という問いが古くからありましたが、現在の答えは「遺伝も環境も」であり、むしろ「環境を通しての遺伝」となります。

 「私」は、体内常在菌叢まで含んでの私であり、まさに「私たちの中の私」として見ていくことでその本質が見えてくると言えましょう。実は最近、ウイルスも常在していることが分かってきました。ウイルスもあらゆる臓器にあり、とくに神経系が注目に値します。その数380兆個といわれ、細菌を上回ります。体内の細菌に感染するウイルス(ファージ)も多く、これまで以上に「私」は複雑になっています。ウイルス研究は今後急速に進むでしょう。どのような姿が見えて来るでしょうか。「私」はなかなかダイナミックな存在です。