雪中花水祝は新興の観光型性器崇拝祭りのカテゴリに属する祭りではありますが、実際のところ観光客誘致にそこまで熱心ではありません。既に今の若者達にとっては生まれる前からある伝統的な祭りとなっており、本来の通過儀礼としての性格が強くなっています。新婚男性の応援にかけつけた地元の子供たちの歓声が飛び交い、この地に見事根付いていることが感じられます。

豊穣儀礼と性器崇拝

 明治時代に淫祠邪教として廃絶された性器崇拝の祭りは、雪中花水祝だけではありません。横浜市の鶴見神社で行われる「鶴見の田祭り」もまた、明治時代に一度廃絶されて現代に復活した祭りです。この祭りもまた、横浜という土地柄外国人も多かったことで、外国人の目を気にした政府に「卑猥である」とされて明治5年を最後に廃絶されたとされています。

 それ以降ずっと行われていなかったのですが、保存会の方々の熱心な尽力により見事昭和62年に復活したのです。ただこちらは大きな男根型神輿のような新興の観光型性器崇拝祭りの要素はなく、伝統的な祭礼として行われています。

 祭りの形式は「田祭り」「お田植え祭り」などと呼ばれる豊穣儀礼で、田畑を耕し稲を収穫する様を一通り演じるというものです。豊穣儀礼において性器崇拝や性的儀礼が出現することは非常に多く、それは男女の性交や妊娠と稲穂の実りを重ね合わせる「感染呪術」と呼ばれる信仰によるものです。

 祭りではひととおり田植えの流れを演じたあと、巨大な白い男根の先端に「へのへのもへじ」と書いてある亀蔵が、お鶴と共に登場します。 

横浜市の鶴見神社で行われる「鶴見の田祭り」

 先ほども述べたように豊穣儀礼においてこのようにひょっとこのような道化が男根を持って登場することは非常に多いのですが、ここまで大きな男根を持っているものはなかなか見ることがありません。そしてこの亀蔵は地元の伝統芸能の踊り手の方が演じており、その舞があまりに見事なのです。大きく滑稽なへのへのもへじと、それと相反する踊りの素晴らしさに、観客たちは一瞬にして亀蔵の虜となってしまいます。亀蔵とお鶴の見事なダンスで大盛り上がりのうちに終わる鶴見の田祭りですが、実は現在も公式ポスターには亀蔵たちの姿はありません。亀蔵たちは、実際に祭りに行った者のみが堪能できる隠し球なのです。

 豊穣儀礼にひょっとこやおかめのような道化が出て来て性的な所作をおこなう祭りというのは、全国に数え切れないほど存在しています。静岡県の南伊豆太鼓祭り(市之瀬)も、そんな豊穣儀礼の祭りのひとつだと考えられます。しかし、これはこれまで紹介してきた祭りとは異なり一切観光化されておらず、また詳細も一切不明なため謎が残る祭りです。

 おかめとすりこぎと呼ばれるひょっとこが神楽殿でまぐわい、それをたった20~30人ぐらいの地元住民が見守ります。この祭りの特徴は、その性的な所作があまりに露骨だということです。

静岡県南伊豆町市之瀬の「南伊豆太鼓祭り」

 この祭りが行われる南伊豆の市之瀬という地区は山深い場所であるため、明治時代の淫祠邪教の廃絶などにも引っかからずにずっと続いてきたのかも知れません。まぐわいが終わった後、子孫繁栄を願い、ひょっとこが手にした男根を女性たちになすりつけます。女性たちは嫌がることもなくただ笑っており、こんなことが現代の伊豆の山中でひっそりと行われていることに不思議な気持ちになります。

性器崇拝祭りにおける神仏習合

 伊豆太鼓祭りに引き続き、一切観光化されていない祭りをもうひとつ紹介しましょう。茨城県で12月に行われている「道鏡様祭り」は、今まで訪れた性器崇拝祭りの中で、もっともシュールで面白いと感じています。この祭りのご神体はもちろん男根なのですが、それは「道鏡様」と呼ばれています。道鏡様とは奈良時代の僧侶・弓削道鏡(ゆげのどうきょう)のことです。

 弓削道鏡は当時の女帝である孝謙天皇に寵愛されたことから、天皇を虜にする巨根の持ち主だったという伝説が多く残されている人物でもあります。その巨根伝説はすさまじく、道鏡は自分の男根が長く重すぎるせいで峠を越えるのに苦労し、しょうがなく男根を切り落とした…などというとんでもない話まで残っています。

 そんな道鏡が主役となるこの道鏡様祭りですが、その道鏡様と呼ばれる男根は、藁で作った人形の股間部分に突き刺されます。そしてこの藁人形本体はサルタヒコと呼ばれています。サルタヒコとは日本神話に登場する神様のことです。なんと、サルタヒコ(神)の男根が道鏡(僧)という摩訶不思議な設定になっているのです。

「サルタヒコ」とその男根の「道教様」

 どうしてこんなおかしな神仏習合が起きたのか、真相は謎のままです。この祭り自体にも謎が多く、祭りに参加している地元の人の中には、道鏡が何なのかを知らない人すらいました。作られたサルタヒコは近くの鹿島神社に運ばれ、神事が終わるとあっという間に解体されて祭りは終わってしまいます。終始淡々と行われる作業の中、当たり前のように道鏡と呼ばれる男根がサルタヒコの股間に据え置かれていたのがあまりにシュールで、忘れがたい祭りです。