世界を救った女性器

 日本神話の中でも特に有名だと思われるエピソードに、アマテラスの石屋戸隠れの物語があります。これは太陽神であるアマテラスがスサノオの蛮行に怒り、天石屋戸(あまのいわやと)に隠れてしまったことで世界が闇に包まれるという『古事記』の説話です。この窮地を救ったのが、アメノウズメノミコトという女神でした。アメノウズメはホト(女性器)をさらけ出して踊ることで神々を笑わせ、結果的にその笑い声につられたアマテラスを天石屋戸から引っ張りだすことに成功しました。このいわゆる「天石屋戸神話」に代表されるように、記紀神話にはホト(女性器)が幾度も登場します。その一方、ハゼ(男性器)はまったくといっていいほど登場しません。この不自然な差は一体なぜ生じたのでしょうか。

 ホトが記紀神話に初めて登場するのは、『古事記』においてイザナミが火の神であるカグツチを産む説話です。イザナミは地母神(大地の生命力や生産力を神格化した女神)的性格が強い女神で、その体からさまざまなものを生み出しました。ここにおいてイザナミのホトはカグツチを産み落とす産道として描かれており、この説話は火を体内に持つ女神による火の起源説話と考えられています。

 しかしイザナミは火の神をホトから産んだために、ホトを焼かれて死んでしまうのです。つまりこの神話におけるホトは出産の「生」ではなく、むしろイザナミの「死」を表現するためのモチーフとなっています。そして物語はイザナミの死後の世界、黄泉の国へと繋がっていきます。このような物語の構成上、イザナミの死は必然であり、その死因として選ばれたのが「ホトの破壊」でした。

 「ホトの破壊」は、ほかの神話にも登場します。アマテラスのお付きの巫女であるハタオリメもまた、スサノオが狼藉を働いた結果ホトに梭(ひ|機織りの道具)を突き刺して死ぬこととなりました。これにショックを受けたアマテラスは、先述の通り天石屋戸に隠れてしまうことになります。つまりここでの「ホトの破壊」はその後の一大事な展開を引き起こす要因となっているのです。イザナミの死のあとの黄泉の国の物語同様、ホトが破壊されたあとは不吉な物語が続くのです。

 ほかにも、「何かがホト(女性器)を突く」ことによって女神が死んでしまう物語があります。箸墓(はしはか)古墳の由来を語る「箸墓伝承」では、本来の姿が蛇であるオホモノヌシが妻となるヤマトトトヒモモソヒメに「私の姿を見ても決して驚いてはならない」と言ったにもかかわらず、ヒメが驚いてしまう、という物語が展開されます。そして命令に背いたヒメのホトには箸が突き刺さり、ヒメは死んでしまいます。

 これは「~してはならない」というルールを破ると何らかの罰がくだったり不吉なことが起きるという、「見るなの禁」と呼ばれる神話の話形でもあります。ここでは、禁を破ったヤマトトトヒモモソヒメが箸でホトを突かれて死に、神婚が不成立になるという結末を迎えました。これは箸墓古墳の由来を語る物語なのでヒメが死ぬのは最初から決まっていることなのですが、神の令に背いたヒメに対する報復的・屈辱的な死として「ホトの破壊」が選ばれたことは注目すべきでしょう。

 さて、冒頭で挙げた天石屋戸神話でアメノウズメがホトを露出したのは神々を笑わせるためですが、ホトには邪気を駆除する呪力もあると考えられてきました。このような説話は世界的に見られ、「ホト」と「笑い」の両方に邪気を払い幸福を呼ぶなんらかの力が見出されています。

 アメノウズメはホトの持つ呪力によって神々を笑わせ、天石屋戸を開かせ、世界の窮地を救いました。何故ホトに呪力があるのかというと、それはホトが子供を生み出す場所、すなわち生産力の宿る場所であったからでしょう。それと同時にホトは女性性の象徴であり、女性が持つ神聖性の象徴でもありました。ホトが「生」と直結しているものだからこそ、ホトの破壊によって「死」を表す神話が生まれたと考えられます。そしてそれは普通の死ではなく、女性性と神聖性を破壊する、屈辱的な死として描かれたのです。ホトが神聖だからこそ、逆にそれを壊すことで女神たちの尊厳を否定することが可能になるのです。

神話における男性器

 それでは、記紀神話においてハゼ(男性器)はどのように描かれているのでしょうか。先ほど「箸墓伝承」を紹介しましたが、これとは別に、オホモノヌシの化身である丹塗矢(にぬりや)がセヤダタラヒメのホトを突いたことでヒメが子供を身ごもる「丹塗矢伝承」と呼ばれる説話も『古事記』の中巻に存在します。一見似たようなオホモノヌシとホトの物語でも、箸墓伝承とは反対の結末を迎えるのです。ここでの丹塗矢は、単純に男根を象徴するものと考えるのが妥当でしょう。この説話ではホトの本来の使い方がなされており、このホトと男根のメタファーである丹塗矢との交合によって、無事に神の子が誕生するのです。

 また『古事記』中巻に収録された「アメノヒボコ説話」では、アメノヒボコという太陽神が日光光線に姿を変え、寝ていた女のホトを指したことで女が神の子を身ごもります。ここでも日光光線は神自身であり、かつ男根のメタファーとして描かれています。この日光光線によって女性が妊娠し、太陽神の子を産むという物語は「日光感精型説話」と呼ばれ、そのルーツは朝鮮~中国大陸にあると考えられています。

 しかし大陸に多く存在する日光感精型説話のうち、ホトに日光が指すと書かれているものはひとつもありません。朝鮮の日光感精型説話は、①日光に感じる・照らされるなど女性の全身に日が当たる、②女性が日を飲む、③日が女性の服の中に入る、④女性の臍に日が入る、の四種類となっています。つまり「アメノヒボコ説話」でホトと日光が直接交わるというのは、日本オリジナルの表現なのです。ここで母となる女性は「賤しい女」であり、女神のホトのような神聖性があるとは思えません。むしろこの「アメノヒボコ説話」では日光光線がホトを指すことで、日光光線が明らかに男根のメタファーであると強調する目的があるのだと考えられるでしょう。

 神話には、これら丹塗矢や日光のような「男性器を表すと思われるモチーフ」の存在が確認できます。しかし、男性器そのものが描かれている部分を確認することはできません。書物におけるハゼは、平安時代の『古語拾遺』でイナゴの害の除去のために男茎形を作って田の溝口に置いたとする記述が初出となっています。

 一箇所だけ、『古事記』のカグツチ神話においてハゼと読める「陰」の文字が登場します。それはイザナミが死んでしまったことに怒ったイザナキがカグツチを殺し、その死体から神々が生まれる場面です。「次於陰所成神名、闇山津見神」という記述の「陰」が、カグツチの陰部を指していると考えられます。カグツチは男神なのでその陰部はハゼということになりますが、これは元々地母神である女神の体から様々な食べ物が生まれる「ハイヌウェレ神話」と呼ばれる話型のひとつです。同じような話は記紀の中でオホゲツヒメとウケモチ神という女神たちの物語として記されています。つまり、これは元々地母神である女神の物語だったものがカグツチに転用されただけと考えられるのです。従ってここでの「陰」は本質的にはハゼとして描かれておらず、記紀神話にハゼは登場しないといえるでしょう。

信仰対象としてのハゼとホト

 しかしながら、古代の現実世界において、ハゼが意識されていなかったというわけではありません。古代のハゼに対する信仰として、男性器をかたどった「石棒(せきぼう)」が知られています。石棒の出現は旧石器時代まで遡ることができ、何らかの祭儀に用いられていたと考えられます。これはハゼの機能から、活力の象徴として信仰されていたものだと推測されます。勃起という人体の中でも特殊な機能を持つハゼが活力の象徴として信仰されていたことは、想像に難くないでしょう。石棒以外にも、縄文後・晩期の注口土器(ちゅうこうどき)で、注ぎ口に勃起したハゼを模したものが関東・東北地方で報告されています。

 その一方で、男性の身体にハゼが生えているような全身像はほとんど見つかっていません。つまりハゼは男性の身体から切り離され、独立した信仰対象となっていたということが想像できるのです。