では女性の表象はどうでしょうか。同じ時代、女性への信仰は土偶に表されました。土偶が持つ大きな乳房や膨らんだ腹は、まさしく妊婦を表していると考えられています。そしてハゼとは逆に、ホト単体での造形物というのはあまり出土していません。すなわち、女性への地母神信仰は、ホトだけではなく母体そのものに宿っていたことが推測できます。これはイザナミのような神話に現れる地母神の源流になった信仰でしょう。そしてアメノウズメに代表されるような女性器の持つ呪力もまた、あくまで女性の身体に付随するものだと考えられていたのかも知れません。このように男性と女性、そして男性器と女性器への信仰は、全く真逆のものであったことが分かります。
ホトを描いたのは誰か
上記のように、実際の信仰と記紀神話では、ハゼとホトの存在感が真逆といってもいいほど異なっていました。一見不思議に感じるこの現象ですが、実はその理由はいたってシンプルです。先ほどもいったように、ハゼ・男根への信仰というものは男性の身体から切り離されたものでした。それ故に、男性神の身体の一部として神話にハゼが描かれることはなかったのです。身体から独立した信仰対象であったからこそ、神話では丹塗矢や日光光線といったメタファーでハゼは表されてきました。
逆に女性はホトを含む全身が地母神として信仰されてきました。それを顕著に表しているのがイザナミの神話でしょう。しかしここで単に縄文以来の地母神信仰だけが記されているわけではないのが神話の面白いところです。
神話を作り出し、それを残してきたのは基本的に男性社会でした。ホトに神聖性が宿るという思想も、それを破壊することが屈辱に繋がるという思想も、基本的には男性の作り出したものです。ホトの呪力をいかんなく発揮するアメノウズメ、逆にその呪力を殺されたハタオリメやヤマトトトヒモモソヒメ、いずれも古代の信仰と男性原理社会が絡み合って生み出された女神たちだといえるでしょう。
そんなホトへの信仰心とそれゆえに起こされる「ホトの破壊」、そして地母神の母体への信仰、そのような多種多様な信仰と思想がないまぜになったものが、イザナミの火の神出産説話でした。一方、丹塗矢伝承やアメノヒボコの日光感精型説話ではホトはただ神の子を身ごもるための道具として、女性自身の意思は関係なくハゼのメタファーを受け入れています。つまりホトは男性社会の中で時には信仰対象として、時には神を受け入れる従順な性器として、自由に描くことが可能なものだったのでしょう。
もしも記紀が編纂された時代が女性原理社会で神話も女性によって書かれていたら、性器はどのように登場したでしょうか。少なくともホトに何かが刺さって死ぬというような悲惨な話は出てこなかったでしょう。アマテラスを天石屋戸から引っ張りだすのも、アメノウズメのホトではなくイケメンの神様のダンスだったかも知れません。
祭りに現れる男性器
さて、現代の女性器と男性器への信仰はどうでしょうか。現代でも引き続き男性器は独立した信仰対象として、全国の神社や小祠(しょうし)、道端、祭りなど様々な場所で見ることができます。大きな男根型の神輿を担いでいる祭りをインターネットなどで見たことがある方もいるかも知れません。一方で、女性器は男性器に比べると存在感を失っています。男性器とセットで祀られたり奉納されたりする例は多いものの、女性器単体の信仰となると岩や石、木の割れ目などに女性器を見いだす自然崇拝の信仰のほうが一般的です。これは地母神信仰と相性がいいこともあるでしょう。
ここで、いくつか性器崇拝・性的儀礼の祭りを紹介しましょう。まずは先ほど少し触れた、「大きな男根型の神輿を担いでいる祭り」である静岡県賀茂郡東伊豆町稲取・稲取温泉の「どんつく祭り」です。
この祭りはもともと観光客向けのイベント的な祭りとして昭和41(1966)年から始まったもので、2018年まで毎年6月上旬に開催されてきました。財政難や人手不足、安全確保のための警察の介入、自粛などが原因で2018年を最後にしばらく途絶えていましたが、2023年に復活し、現在は秋に行われています。
どんつく祭りは巨大な木彫りの男根をご神体の「どんつく神輿」として掲げ、温泉街を練り歩くのが大きな特徴です。名前の語源は、「どんと突く」と博多の「どんたく」からきているそうで、性器崇拝の祭りとして有名な愛知県小牧市の田縣神社の豊年祭を真似て作られたといいます。

どんつく祭りは昔から稲取でおこなわれてきた素盞嗚神社の夏祭りから派生しました。この稲取の夏祭りでは「おめんさん」と呼ばれる天狗が登場し、女性や子供を60cmほどの男根状の棒でついて回ります。これはこの地で疫病が流行した際に始まった祭りで、現在ではこの天狗についてもらうことが厄除けになると信じられています。そしてこの性器崇拝的な要素を観光客招致のために取り出して開始されたのが、どんつく祭りなのでした。そのような経緯から、地元の人々の間では夏祭りこそが「本当の祭り」で、どんつく祭りは「観光用」とする認識もあります。
このどんつく祭りのような近年始まった性器崇拝の祭りは「新興の観光型性器崇拝祭り」に分類されます。これは、①伝統的神事ではない ②高度経済成長期以降に主に観光客誘致や町おこしのために始まった、もしくは拡大した ➂巨大な男根型をご神体として有する という特徴をもっています。どんつく祭りのように大きな男根型のご神体を有する祭りのほとんどが、実は高度経済成長期~バブル期頃に始まった新興の祭りなのです。
一般によく知られているかなまら祭り(神奈川県川崎市)も、同じく新興の観光型性器崇拝祭りです。そもそもこの時代は性器崇拝の祭りに限らず、ふるさとの文化の掘り起こし運動とそれによる町おこしが盛んな時期でした。その中でわざわざ性器崇拝を用いて町おこしをした例がいくつもあったことはたいへん興味深いことです。性器崇拝には古来人を引きつける何かがあるのでしょう。奇しくも、同時期に生まれたのが秘宝館でした。
どんつく祭り同様、昭和後期に生まれた新興の観光型性器崇拝祭りをもうひとつ紹介しましょう。赤い男根神輿が特徴的なこの祭りは、「雪中花水祝(せっちゅうはなみずいわい)」という新潟県魚沼市の性器崇拝祭りです。

この祭りは江戸時代のベストセラーである鈴木牧之の『北越雪譜』に記された、非常に歴史ある祭りです。といっても、実は江戸時代からずっとこの地で続いてきた祭りというわけではありません。なんと明治時代に一度この祭りは廃絶されてしまったのです。明治時代の文明開化の頃、多くの性器崇拝が淫祠邪教(いんしじゃきょう)として国や県から目の敵にされ、廃絶される憂き目に遭いました。それ以降雪中花水祝も中止されてきたのですが、1988年に市民が協力し合ってこの祭りを復活させたのです。それは実に115年ぶりの復活でした。
この雪中花水祝は、新婚の男性に水をぶっかける冬の祭りとして『北越雪譜』に記されています。このような新婚男性に水をかける儀礼は「水祝」や「水祝儀」などと呼ばれ、かつては通過儀礼の一種として多くの地域で行われていました。そんな伝統的行事であった雪中花水祝を復活させる際、祭りの実行委員会は何故かこの赤い巨大な男根神輿も一緒に製作したのです。これは『北越雪譜』の雪中花水祝において小道具として男根と女陰が用いられていたとする記述を飛躍させて作られたものでした。こうして『北越雪譜』には存在しない男根神輿が生まれたことで、この雪中花水祝は新興の観光型性器崇拝祭りとして華々しく再開されたのでした。