焼き餅を焼く

 前回は寺を焼くという悲惨な話でした。焼くのは魚や肉の料理くらいにしておきたいものです。ただ。「餅を焼く」でなく、「焼き餅を焼く」と言うと、自分より他の人に愛情が向けられていることをねたましく思う、という意味になります。

 この言い方は、江戸時代から用いられるようになったのですが、「妬[や]く」「気持」で「焼き餅」となったという語源説は怪しいですね。不機嫌になって頬をぷくっとふくらませる様子が餅を焼いているようだからという説明は、もっとこじつけくさい。

 実際は、「恐れ入る」というところを、ふざけて「恐れ入谷の鬼子母神」と言うのと同じように、「妬く」だけで良いところを、「焼く」と同じ発音ということで、前に枕言葉のように「焼き餅を」と付けるようになったものと思われます。

 問題は、嫉妬することを「妬く」と言うようになったのはなぜかということでしょう。「妬」の漢字音は「ト」ですし、訓は「ねたむ」であって、「焼く」動作とは関係ありません。

 ここからは私の推測ですが、「心を焼く」という表現に由来するのではないでしょうか。『万葉集』中で最も面白い歌とされている次の歌に、その表現を嫉妬に用いた例が見られます。

  さし焼かむ 小屋の醜屋に かき棄てむ 破薦敷きて 打ち折らむ 醜の醜手を さし交へて 寝らむ君ゆゑ あかねさす 昼はしみらに ぬば玉の 夜はすがらに この床の ひしと鳴るまで 嘆きつるかも (三二七〇)

    反し歌

  我が心焼くも吾なり愛しきやし君に恋ふるも我が心から(三二七一)

 焼いてしまいたいボロ小屋で、捨ててやりたい破れ疊を敷いて、(私とは別の女と)ぶち折ってやりたい汚らしい手をさしかわし、寝ているであろうあなたのことだから、昼は昼中、夜は夜どおし、この床がぎしぎし鳴るまで、歎いたことだった、という、すさまじい歌です。さらに返歌では、私の心を焼くのも自分だし、いとしいあなたに恋するのも自分からのことなのだ、と歌っています。つまり、自業自得だというのです。

 表現が大げさすぎますので、女性が本当に嫉妬で苦しんでいるとはとても思われませんね。酒が進んだ宴会、それも寺の宴会などで、男性がこの歌を身振り手振りつきで歌うと、皆が笑って大喝采するといった情景が見えてくる歌です。

 寺での宴会ではないかと思われるのは、仏教由来の表現がいくつも見えるからです。そもそも、「心から」というのは、後で説明するように、自業自得の「自」を和語化したもので、「自分から進んで(しておきながら)」という意味です。今日よく聞く「心から申し訳なく思います」といった言い方は、from the bottom of my heart の訳ではないでしょうか。こうした意味での用例は近代以前には見えません。

心を焼く

 また、嫉妬することを「心を焼く」と言っていますが、これを漢文にすると「焼心」です。しかし、中国の六朝以前にはこの用法はありません。これは実はインドの表現であって、漢訳経典によく見えるものなのです。「心を焼く」のほかに「心焼ける」という形もあり、「焼」以外に「焦」「燋」「熾」など、様々な漢字が訳語として使われます。

 たとえば、玄奘訳『発智論[ほっちろん]』では、怒りがいかに害があるかを説く際、妻を取られた夫が怒って妻と相手の男を殺し、その報いとして無限の長さにわたって苦しみを味わい続けるという例をあげ、その怒りについて「身焼け心焼け、身熱し心熱し、身焦げ心憔げる」と述べています。

 このように、同じような表現を重ね、心のあり方を強調するのがインド流なのです。「身焼け心焼け、身熱し心熱し、身焦げ心憔げる」というのは、こうした場合の定型句となっており、いくつもの経典や論書に登場します。

 インドの仏典では「心を焼く」などの表現は、上で示したように、貪瞋痴[とんじんち]、つまり、煩悩の代表である「貪り」「怒り」「愚かさ」という三毒が盛んである様子を述べる際に用いられるのが普通です。ところが、日本の和歌は、恋の歌がきわめて多いためか、この表現は嫉妬の描写に用いられることが多いのです。

 ただ、インドの経典でも男女の愛情に関してこの語を用いている例があります。地獄の描写が詳細であって『往生要集』で数多く引用されていることで知られる『正法念処経[しょうぼうねんじょきょう]』です。この経では、欲望が盛んであった報いで地獄に落ちた男の罪人について、女性に対する「欲愛」の心が「燃える」と表現しています。

 樹の上に美しい女がいて誘ってくるのを見て、罪人が欲望にかられて登っていくと、葉が鋭利な刀になっているため、全身を切り刻まれます。それでも上まで登ると、女はいつの間にか地上におりていて誘ってくるので、罪人が降りていくとまたしても鋭い刃の葉で切り刻まれ、地に降りると女はまた樹の上にいて誘ってくるため、罪人は「彼の婦女を看て、欲愛、心を焼」き、という状況を無限に繰り返すというのです。

『源氏物語』の「心から」

 『正法念処経』のこうした箇所が、『万葉集』の先ほどの「我が心、焼くも我なり」の歌の典故かもしれません。そればかりか、自業自得であることを示す際、「我が心から」という表現を用いることも『正法念処経』に基づいていた可能性があります。

 というのは、「自業自得」の考え方は仏教の基本であって、多くの仏典が述べているところですが、この「自業自得」という言葉そのものが見えるのは、経典の中では『正法念処経』だけだからです。ですから、『万葉集』の歌の「我が心から」は、この「自業自得」の「自」を和語化したものと見るべきだと、私は主張しているのです。

 実際、古代の文学作品では、「我が心から」や「心から」という句は、すべて上で述べた意味で用いられています。江戸時代になると、「心から」は「~の心から」という形で、「~の心に基づいて」という意味で使われている例も多少出てきますが、現在のような「本心から」「真心から」といった意味での用例は、近代以前では見たことがありません。

 「心から」に似た表現に「心づから」という言い方があります。「みずから」は「身づから」であるのと同じ形ですね。この「心から」という言葉は、『万葉集』も『古今集』もそれぞれ二例しか登場しないのに対し、なんと、「心から」を17回、「心づから」を8回も使ってひたすら「心」を追求した作品があります。『源氏物語』です。

 『源氏物語』では、光源氏は、義母である藤壺に恋して関係を持ち、子供を産ませてしまいます。また、その報いなのか、光源氏の年若い妻となった女三宮は、光源氏の親友の長男である柏木に思い込まれ、その子を生みます。光源氏も柏木も「心から」のこととはいえ、自らの行為によって当然ながら苦しんでおり、柏木などは気に病んで死んでしまうまでに至っています。

 一方、光源氏の長男である夕霧は、父と反対で女性が苦手であって、自分から近づくことができないため、「心から」とはいえ、結婚相手もいないで居所がない状態が続きます。また、柏木と女三宮の間に生まれた薫は優柔不断であるため、美しい宇治の姫君を親友である匂宮に譲ってしまい、「心から」のこととはいえ、長く苦しむことになります。

 これに対して、女性の場合は朧月夜のような例外もありますが、自分からは行動せず、何かあると「宿世[すくせ]」を思って悩む場合がほとんどです。つまり、『源氏物語』は、「宿世」に流される女性たちと、「心から」行動して自業自得で苦しむ男たちの「心」を描いたものだ、というのが私の結論です。このことは、7月に上智大学で開催された『源氏物語』シンポジウムで発表しましたので、来年1月に同大学の国文科の雑誌に掲載される予定です。