功徳を死者に振り向ける

 前回は「自業自得」の話でした。自業自得である以上、悪業の報いは当人が現世か来世、あるいはその先のどこかの世で受けるはずです。しかし、地獄や餓鬼の世界に生まれた人は、自力で善行を積んでそこから脱出するのは難しいでしょう。

 そこで生み出されたのが、「迴向[えこう]」という概念です。亡くなった親などのために、家族がこの世で善行をおこない、それによって生じた功徳を死者に振り向けることによって、苦しみの多い場所から救いだそうとするのですね。これだと「自業自得」ではなくなりますが、善悪の行為がそれに応じた結果をもたらすという因果応報の原則は、なんとか守られていることになります。

 面白いのは、インドの碑文の中には、廻向によって生まれる功徳をいくつかに分けることが記されているものがあることです。たとえば、信者が仏塔を建立したり、修理をおこなったりした場合、「母と父にこの功徳の主要な配分が向けられますように。また、施主である私に長寿が与えられますように」などと寄進文で述べるのです。「功徳の七分の六を~」などと具体的な割合を記した例もあります。

 むろん、割合に触れずに、「母と父のため、また一切の命あるものの利益と安楽のために」などと述べることもあります。こうした場合、母が父より先に来るのは、インドでは両親のことはマーター・ピトゥリ(母・父)と呼ぶのが習慣だからです。

僧侶への食事の供養

 仏塔を建立するといった善行は、裕福な信者でないと無理であって、一般の信者に可能なのは、お坊さんを自宅に招いて食事などを提供することですね。伝統仏教の場合、僧侶は感謝の言葉は述べません。僧侶に食事を供養した者には功徳が生ずるため、お礼を述べるのは布施を受け取ってもらった施主の側なのです。招かれた僧侶が述べるのは、その善行を認め、喜ぶ言葉であって、それが「随喜[ずいき]」です。

 供養する場合、相手が立派な僧侶であればあるほど功徳も大きくなります。インドの仏教では、雨水がたまった道を歩くと知らずに虫を踏み殺してしまう恐れがあるため、雨期の三ヶ月は一箇所に定住して修行に励み、その間に過ちをおかした場合は懺悔する期間とされ、これを「雨安居[うあんご]」と呼んでいます。

 その最後の日は、僧侶たちが最も清らかになっているため、この日に僧侶に食事や衣を布施すると、最も功徳が生ずることになります。その際は、おいしい食べ物などをお供えの容器に入れて提供したのであって、その容器を表す言葉を漢訳したのが「盆」です。つまり、「お盆」の「盆」は梵語ではなく漢語なのです。

 これまでは、盂蘭盆会[うらぼんえ]とは先祖が餓鬼となって「倒縣[とうけん]」、つまり、逆さ吊りの苦しみにあえいでいるのを救う儀礼であり、逆さ吊りを意味する ullambana の音写だなどと言われていました。しかし、梵語には「倒縣」に相当する avalambana という語はあるものの、それが変化して ullambana となった例は報告されていません。

 では、盂蘭盆の「盆」が容器を指す漢語なら、「盂蘭」とは何なのか。これを明らかにしたのが、先年亡くなった仏典漢訳の専門家、辛嶋静志さんです。辛嶋さんは、文語である梵語の odana(米飯)の口語形 olana の語尾の a が落ちた形であると説いたのです。米飯が供養する品の代表ですので。

盂蘭盆会の成立

 その盂蘭盆の習慣が中国に伝えられると、史上最も仏教熱心な皇帝として知られる梁の武帝は、大同4年(505)に同泰寺で盛大な盂蘭盆の斎会[さいえ]をおこないました。その月日は伝えられていませんが、中国でも日本でも、7月15日に盂蘭盆会をもうけることが習慣となっています。

 この7月15日というのは、インドの雨期の終わりの日を中国の暦に換算したものです。盂蘭盆の由来を説いている『盂蘭盆経』は、中国成立の経典とも言われ、あるいは大幅に中国風に潤色した経典とも言われていますが、この経は7月15日という点を明記しています。

 中国は「孝」が最高の徳ですので、釈尊の弟子である目連が餓鬼の世界で苦しんでいた母親を救うため、釈尊に教えられて7月15日に僧侶たちに供養したと説く『盂蘭盆経』は非常に歓迎され、各地で盂蘭盆会が行われました。『盂蘭盆経』は「目連救母」という芝居に仕立てられ、大人気となって中国の演劇の源流ともなっています。

 問題は、中国ではその7月15日は中元、1月15日は上元、10月15日は下元と呼ばれ、その日を季節の三つの区切りとして様々な行事を行っていたことです。この3日が、天を司る天官、地を司る地官、水を司る水官という道教の三官信仰と結びつけられ、7月15日は、地官が担当する地府、つまり死者の世界の門が開く日とされました。お盆には地獄の釜が開くと言われるのは、これが元ですね。

先祖が帰ってくる日本のお盆

 このように、インドでも中国でも盂蘭盆会は、餓鬼の世界にいる親などを救う儀礼でした。ところが、日本では、先祖が帰ってくる日となっています。しかも、その先祖は、日頃は餓鬼の世界で苦しんでいるとはされておらず、どこか遠いところにいると漠然と考えられていますね。

 その祖先の霊がやってくるのを、迎え火で迎え、お供えの食べ物で丁重にもてなし、そして送り火を焚いて送り出すのが、日本の「お盆」です。これは、ある時期に祖霊が子孫のところに訪れてくるとする日本の伝統的な習俗に基づくものですが、迎え火と送り火はどこから来たのか。

 インド密教の研究者である宮坂宥洪さんは、「お盆雑考」という論文で「お盆」についていろいろ考察したうえで、密教の修法と似ていることを指摘しました。密教の修法は、インドの接客儀礼に基づいているため、本尊を道場に迎え入れ、そして送り出すという形になっており、これはまさに「お盆」の構造に極似していると説くのです。

 言われてみると、なるほどと思いますね。日本の伝統的習俗と言われているものは、実際には仏教の影響を受けて変容している場合が意外に多いのです。これは逆に言えば、インドで生まれ、中国で変容した仏教の儀礼は、日本では伝統的習俗と融合してさらに変化していることが多いということになるでしょう。