――単純に多ければいいというわけではないにせよ、人の数というのはやはり国力において重要な要素だと思うのですが、「人口」という概念が出てくるのはいつ頃ですか。

 言葉自体が出てくるのは18世紀の半ばから後半ですね。意外と遅いんですよ。人口というのは「マス」、すなわち一つの塊なわけですが、それができるにはまず人が集まって来ないといけないし、その集まって来た人が似たような価値観や生活様式を身に着けないといけない。身分社会では、王侯貴族も庶民も一括りにして人口として数えるという発想は生まれなかった。そういう意味で、人口と都市化と近代化とは深く結びついていますが、もう一つ重要なのが統計学です。

 ある地域にどれくらいの人間がいるかを把握するには、その地域の出生者数と死亡者数を知る必要がありました。これをまとめたものを「死亡表」といって、最初にロンドンで作られたんですけど、当時は出生届や死亡届を役所に提出しているわけではないので、そう簡単な話ではありません。ここで役に立ったのがキリスト教です。

 キリスト教には「教区」というものがあり、各教会はその区域で誰がいつ洗礼を受けいつ死亡したかが記された「洗礼名簿」をもっていました。それをかき集めて全体の数を推測したわけです。といっても火事で燃えていたり、牧師が代わって紛失したりしてなくなっている所も多かったようですが、中にはきれいに揃っている所もありました。そういう信頼できる数値をもとに全体を推測したわけです。

――まさに統計学的な手法ですね。

 死亡表は17世紀頃から出てくるんですけど、最初のうちはペストの流行等で死亡者が多い年だけ作られていました。疫病によってどこで何人死んだかを知るのがもともとの動機だったのですが、やがて定期的に作られるようになります。すると、各年の出生や死亡にある種の法則性があることがわかった。

 たとえば、1000人が生活する地域があったとして、ある年そこに2000人の子どもが生まれることはあり得ないですよね。でも、統計を取ってみると、毎年どうやら100人くらい生まれてそのうち50人くらいは死ぬ――当時は乳幼児死亡率がすごく高いので――といったことがわかってくる。それは別に誰かがそうしようとしているわけではなく、自然とそうなっているわけです。ここからある特性を有する人の集団、すなわち「人口」という概念が生まれ、統治の対象となっていくわけです。

分類される人間

 死亡表が作られるようになったのと同じ17世紀の半ばに、フランスでは「大いなる閉じ込め」と呼ばれる政策が実施されています。これは『狂気の歴史』に出てくるんですけど、「狂人」「浮浪者」「犯罪者」といった人びとが突然社会から隔離されて、一緒くたに閉じ込められるようになるんです。私たちの感覚からすると、すごく乱暴な話ですよね。でも当時は、そうした人びとは同じ一つのくくりだった。キリスト教的にいうと「恵まれない人」「何かを欠いている人」であり、「救いの手を差し伸べるべき人」だったんです。

――「閉じ込め」は、権力の側の言い分としては「救済」だったわけですね。

 かれらが閉じ込められた場所のことを「ロピタル」といいますが、これは英語のホスピタル、つまり病院を指す言葉です。日本語では「一般施療院」というなんだかよくわからない訳語になっていますが、ともかく、当時の「病院」というのは今とはまったく違うものでした。患者を入院させて治療する場所としての病院ができるのはずっと後になってからで、当時の医者は患者の家で診療するのが普通だったんです。

 やがて近代になると、それまで一緒くたにされていた人たちが分けられていきます。フーコーの本でいえば、「大いなる閉じ込め」から「精神異常者」がどう誕生してきたかを書いたのが『狂気の歴史』、犯罪者や監獄がいかに閉じ込め空間から独立してきたか書いたのが『監獄の誕生』ということになります。前者に関していうと、「精神病院」というものができてそこに「狂人」が入れられるようになるのは18世紀の終わり頃だそうです。

――ということは100年以上、「精神病患者」は「犯罪者」と同じところに収容されていたわけですね。分化が起きた要因は何だったのですか。

 これには都市化や工業化といったことが複雑に絡み合っているので一概には言えませんが、一つには科学の発展が関与していると思います。

 近代科学の発展は、大学のような高等教育機関によって知が囲い込まれたことを抜きにしては語れません。たとえば、患者の家で診療していたようなお医者さんは、大学なんて出ていないですよね。それこそ処刑人が兼業してたりしたわけですから。祈祷師や占い師と医師との区別も曖昧でした。また、薬草の知識は施療院にいる修道女が持っていた。そのような知は各自の経験によるところが大きく、あまり体系化もされていませんでした。

 でもそれがアカデミックなものに取り込まれることで一般化され、体系化され、さまざまな学問へと専門分化していく。それに伴って、これまでひとくくりにされていたものが、それぞれの学問の対象という形で分化していったと考えることができます。

――つまり、「精神病」という概念やそれを扱う学問が生まれたことによって、一緒くたにされていた「恵まれない人」から「精神病者」が分化してきたと。

 そういうことです。そして、精神医学が確立されたことによって、精神病者を保護する施設を作ろうという運動が起こりました。そこで語られているのは、精神病者たちは治療されることもなく、極悪非道な犯罪者たちと同じ場所に幽閉されていた。それを精神医学の父であるピネルが解放し、人道的な精神病院の中で治療を受けられるようにした、というストーリーです。ピネルによる「鎖からの解放」は、絵画の題材にもなっています。

 これに対してフーコーは、実際の精神病院では人道的でも何でもない滅茶苦茶なことが――それこそ規律の下で――行われてきたと主張しています。フーコーは近現代を、一般に言われているように、「人間一般」を尊重し解放する時代ではなく、人間をさまざまな種類に振り分ける分類法を編み出し、その分類のどれかに当てはまる個人を管理・統制することによって社会秩序を構築・維持しようとする時代として捉えていた、ということがいえると思います。

――まさに生権力の時代ですね。

 重要なのは、規律による調教の仕方もそうですけど、個人が振り分けられるカテゴリーも時代によって変化するということです。たとえば、精神医学ができる前には精神病者は存在しない。いたのに気づいていなかったのではなく、本当にいないんです。あるいは、昔はアスペルガー症候群の人なんていなかったけど、ある時急に出てきましたよね。それが今ではさらに自閉スペクトラム症に名前が変わったみたいですけど、それによって社会における病の意味づけやそこに分類される個人の自意識も少なからず変化するわけです。

――なるほど。私は子どもの頃すごく落ち着きがなかったので、たぶん「多動症」とかで

 今なら薬を飲まされているかもしれませんね。

――どっちがいいのかって話ですね。

 でも、どっちがいいかって言っても仕方ないですよ。その時代に生まれちゃってるんだから。ただ、今自分たちがされていることがおかしいと思ったとき、昔はそんなことしてなかったと言うことはできるわけです。人が社会でどう扱われるかは権力の問題なので、それを変えたいと思ったときに「昔は違った」と考えるのは、今を相対化する有効な方法です。そもそも今なされていることがおかしいんじゃないかと思うきっかけとして、それとは違う社会を想像できることは大切です。