晋の時代の代表的な神仙道の理論家である葛洪(かっこう/283-343)『抱朴子内篇』(ほうぼくしないへん)には、神仙修行者たちのなかに、道戒と呼ばれる戒律を作って、自分たちを倫理的に律して生活を送った者がいた事実が明確に示されています。それによると、例えば、生きとし生ける物を憐れみなさい、偉ぶるな、自慢するな、嫉妬するな、……といった、日常生活を律する条項が存在していたことがわかります。
また、戒律で禁止された悪事を行うと寿命が減り、逆に推奨される善行を行うと寿命が延びるとされます。不老不死は、直接的に日常生活の善悪の問題の延長上にあるものとして理解されるようになります。修行者たちにとって、不死の修行とは、日常生活における倫理的な自己管理を内包するものでした。このように、不死を具体的な倫理実践に結びつけて理解する傾向は、後世における道教に継承されてゆきます。
不死を求めることは自然なのか?
ところで、ここで疑問を感じる人も多いでしょう。不死の希求は、自然ではないのではないか、と。実際、『荘子』には死を自然の一部として受け入れ、生と死はひとつながりであるとする説があり、先述の葛洪はまさしくそういう『荘子』の説を神仙説とは異なるものとして批判しています。しかし、他方で『荘子』には、仙人に近い神人や真人といった超越者たちを、自然の世界と一体化した存在として描く視点があります。
例えば、『荘子』在宥(ざいゆう)篇には、無為自然な態度を体得して長生不死になった得道者の問答があります。つまり、『荘子』には、自然と調和した生き方を説く仕方のなかに、神仙説と対立する言説と、それと調和する言説の両方が含まれているのです。そのうち、後者は神仙説と老荘思想の融合という、道教にとって非常に重要な展開過程を内包していたと見ることができるでしょう。
要するに、段階としてはより早く成立した(1)の老荘思想のなかに、すでに部分的に(2)の神仙信仰における不死の希求が描かれている面があると見てよいのでしょう。そこでは、不死性は天地の自然と表裏するものとして想定されています。老荘思想における不死の倫理は、あくまでも無為無欲であれば天地自然本来の永遠性と合一できるという、老荘の倫理に関する表現のバリエーションとして理解することができるでしょう。
しかしそれが、(2)のフェイズの、例えば上に言及した戒律「道戒」に従って修行する神仙修行者たちにおいては、倫理が単に無為無欲による形而上的な次元での道との一致という抽象的原理にとどまることなく、より世間的な、日常的な倫理実践として想定されていることがわかります。
道士の宗教の形成
このような神仙修行を営む師弟たちの中から道士(女性の道士は女冠とか女道士などと呼称する)が登場します。最初の道士というべき人物が、五斗米道の初代の首領であった張陵(張道陵ともいう)です。五斗米道はやがて天師道と称されるようになり、その後の道教の起点を成します。
道教が伝える伝説によれば、張陵は、後漢の漢安元(142)年、蜀の成都に程近い鶴鳴山の山中で神格化した老子に出会い、その啓示を受けたといいます。老子は張陵の前で太上老君という超自然的な神格としての正体を示して、彼に天師という鬼神崇拝に対抗するリーダーとしての地位を与えます。このような啓示を張陵が受けたことがどの程度史実に根ざすかは不明な点がありますが、後世の道教において一貫して伝えられるストーリーですので、道教徒の意識においてひとつの事実として確立した物語として受け止められていたことは間違いないでしょう。

その後、張陵の教団は巴蜀(はしょく)の地域に広く広がり、事実上漢王朝からは独立した宗教国家を確立します。天師道の大きな特徴は、やはりその倫理観にあります。天師道は、祖先信仰も含む中国在来の鬼神信仰に対して痛烈な批判を加えました。ここで言う鬼神とは死者の霊魂です。
当時の中国において鬼神は祟りによって病や死を郷村や家にもたらす存在として畏怖され崇拝されていました。祟る鬼神に盛大な供物を提供する祭を行ってその怒りを解き、郷村や家に安寧をもたらすことが、彼らにとっての倫理的な行為だったと思われます。その鬼神たちを代表していたのが、巫(ふ)とか祝などと呼ばれるシャーマニスティックな儀礼を行う地域の霊媒たちです。
地域共同体や家々が正常に機能している間は、巫祝を宗教職能者とする鬼神信仰も問題なかったと思われますが、後漢末期の戦乱の中で郷村や家が危機に瀕すると、人々はパニックに陥って鬼神への儀礼が激化し、それがかえって経済的負担となって、共同体が崩壊するという悪循環に陥ったようです。
祖先の罪を贖う儀礼
そうした中に登場するのが、張陵が開いた天師道(五斗米道)でした。天師道は、民間の鬼神信仰を、鬼神という死者の力に翻弄される非倫理的な悪なるいとなみとみなし、それに対して、太上老君や、太上大道などと称される「道」の神がみを、自然なる不死の力を世界に供給する正義の神がみとして対置します。道教徒にとって、鬼神は、戒律を守ることができずに欲にまみれて病にかかって死んだ非倫理的な死者霊として問題視され、調伏と救済の対象として描かれます。
しかし、道教徒にとって鬼神の問題は決して他人事ではなく、身近で切実な問題でした。道教徒は、祖先の犯した罪が子孫へと伝わり蓄積されてゆくという考え方を持っています。この考え方は道教に限ったことではなく、民間にもともと潜在していたもののようですが、道教ではこれを特に意識し、血縁を通じて蓄積した罪が、鬼神による祟りや、家族や自分の病や死として発現するものと考えていました。
人々は、死ぬことによって不可避的に鬼神となってゆきますが、それを道教は人々が不可避的に罪を犯し問題を抱えることだと理解したのです。人は死ねば鬼となるという考え方は、中国文化における信仰の基本であるため、道教に帰依した信徒たちも、この問題から無縁ではありえなかったのです。
その解決策として道教が盛んに用いるのが、道士を介して神々に罪の告白をする儀礼です。これによって、祖先以来の罪を贖(あがな)うのです。この贖罪儀礼を行うことで、病者は癒え、死んだ祖先や自分の家族たちは、鬼神の世界の暗い牢獄における幽閉状態から解放されて、天上の仙人の世界へと昇天することができると考えられていました。このような、罪の告白を中核にもつのが道教の諸々の斎醮(さいしょう)儀礼です。
