SDGsと脱炭素(?つきの言葉)

「私たち生きものの中の私」として生きる生命誌の物語(世界観)で社会のありようを考えていくと、農耕について考えるところから始める必要があり、そこで注目すべきは「土」であるというところまできました。

 ところで最近、生命誌とは無関係に「土」への関心の高まりが見られます。この関心がどこから生まれてきたかを追っていくと、今や流行と言ってもよい「SDGs(Sustainable Development Goals)」と「脱炭素」に行き着きます。SDGsは貧困、紛争、気候変動、感染症などの課題を解決し、人類が安定して暮らし続けるために何をしたらよいかという問いを立て、一人一人が考え、行動することを求めています。

 一時大流行したグローバル化という動きは、その言葉から思い浮かべられる、地球上に暮らすすべての人を尊重し、その生活を改善することではなく、地球規模の大企業による一律支配でした。それは格差を広げ、暮らしにくい人々をたくさん生み出す動きだったのです。その中で、異常気象やCOVID19パンデミックなどのまさに地球規模の難題が起き、国連の動きに対応して政府や地方自治体、企業、学界などあらゆる分野が動かざるを得ないところに来ているということでしょう。この変化には期待しますが、残念ながらそこにはこれまでの社会が求めてきた拡大・成長・進歩という攻撃的な姿勢への反省は必ずしも見られません。それがなければSDGsがあげている17のゴール(よく知られているので一つ一つあげることはしません)の達成は無理でしょう。

 SDGsのゴールに「農」という言葉が書かれてはいませんが、ここで求めている生活の基本には、生態系を大切にしながら飢えのない社会をつくるという狙いがあるのは明らかです。この連載の20回目で、狩猟採集社会から農耕社会への転換によって起きた変化の一つが拡大指向であり、それが現在につながっていることを書きました。そこには、自然の支配、更には自然離れこそ進歩であるという意識があり、その見直しはこれまでなされてこなかったところに問題があるのです。SDGsの実効性を求めるなら、拡大・進歩・成長、自然離れの見直しが不可欠です。ここで、生命誌の視点からの農耕の見直しが浮かび上がります。

 もう一つの脱炭素は、まさに拡大・成長に向けて必要な大量のエネルギーを化石燃料に求めてきた結果、大気中の二酸化炭素濃度がこの100年間で上昇し、異常気象の原因となっていることが明らかになってきたことへの対処です。実はここで“脱炭素”という言葉を用いることの不適切さを4回目に語りましたので、読み直して下さい。人間は生きものということを基本に置くなら、炭素の重要性を忘れることはできず、脱炭素という発想で拡大・進歩のための技術開発で問題を解決するのでは新しい社会は生まれないということを再確認しておきます。異常気象の解決を求めるなら、自然について考えざるを得ませんので、生態系の問題、農業の問題が浮かび上がります。

一律化に抗して

 SDGsも二酸化炭素排出抑制も、ここで考えてきた農業を原点から考え直すというテーマに結びつきます。それと関連して、今、自然活動家や学者だけでなく、政治・経済・科学技術という分野で活躍している人の中で変化の必要を感じている人々が、再生(regeneration)という概念に関心を持ち始め、これから大きな動きになりそうな気配を見せているのがとても興味深いことです。現代社会における私たちの生き方が生態系を破壊し、それが原因で異常気象を起こしているのですから、生態系再生が必要なことは確かです。それを意識しながら、現在世界のあちこちで起きている「再生」を意識した活動を見ていきます。

 まず、『リジェネレーション(再生)』というタイトルの本(『リジェネレーション 気候危機を今の世代で終わらせる』ポール・ホーケン編著(山と渓谷社))を見ます。編集者のP・ホーケンは、環境に配慮したビジネスの必要性を提唱し、実際にそれを成功させていることで知られている人であり、現在の気候危機を今の世代で終わらせなければ未来はなく、それには地球上にいるすべての生命を再生する必要があると主張します。ここで再生とは、あらゆる行動や決定の中心に生命を据えることであるとし、対象は農地や森林や海洋だけでなく人間も含むと言います。中心に生命を据え、そこに人間も入るとするという考え方は生命誌と重なり、そこに自ずと貧困、食べもの、人権という課題が出てきているのが興味深いところです。

 P・ホーケンが研究チームを作って検討した結果、有効な方策として植林、環境再生型農業、野生生物対策が浮かび上がりました。常識的な結論に見えますが、科学的な検討の結果が常識と重なったのですから、私たちの生きものとしての感覚の大切さが明らかになったと言えます。ホーケンが、どのような世界観を持っているか、この本だけからでは明確には分かりませんが、従来の進歩型ではないように見えますので、その活動に注目し学んでいきたいと思っています。

 植林も野生生物対策も重要なことですが、サピエンスの歴史を踏まえて私たちの生き方を考えているこれまでの流れの中で注目するのは、やはり環境再生型農業です。これがまさに土に注目する農業なのです。本書で興味深いのは「それぞれの土地での食べられる在来植物の調査」です。これまで拡大・進歩という方向に問題があるとしてきましたが、それと共に問題なのが一律化です。すでに紹介したように、農耕がその始まった地域から他の地域へと広がっていく時、作物も一緒に広がっていきました。新しい土地でも、すでに前の土地で農耕に適するとされた限られた種、特に穀物が作られたのです。今もそれが続いています。

 ここにあげられた在来植物の調査は、その流れに疑問を呈するところから始まりました。ニューギニアに派遣された農業専門家ブルース・フレンチが、すでに作物とされている欧州由来のものの育て方を教えるというあたりまえのことをしようとしたら、学生から「在来植物で食べられるものを知りたいのだ」と言われたというのです。思いがけないことでしたが、要望にこたえて在来種を調べたところ、栽培種、野生種共に専門家が持ってきた外来種より栄養価が高いことがわかったとのことです。これを契機に、フレンチはそれから50年にわたって世界中の食べられる植物を調査し、31000種を見つけたと書かれていました。

 これまでの農業は、まずコムギやオオムギ、ヒエ、アワに始まり、これにイネとトウモロコシが加わった主要作物で支えられてきました。それを各地で作りやすいように改良しながら、世界の食べものをつくってきたのです。私は意識的に食べものをつくるという言葉を使っていますが、これまでの農業は食糧生産として行われてきました。この言葉に、一律に効率よく大量生産するという、工業で培われたよい生産を農業も目指していることが示されています。

 穀物が主要作物になったのは、それが目視、分割、査定、貯蔵、運搬に適し、「分配」できるからであるとJ・C・スコットは指摘します。(『反穀物の歴史 国家誕生のディープヒストリー』J・C・スコット(みすゞ書房))。早くから各地で栽培されていたマメやイモの多くは、土地単位で得られるカロリーが高く、栽培が容易であるのに、これを主要作物とする国家が生まれなかったのは、先にあげた分配にはマメ・イモよりも穀物が適しているからだと言われると納得します(もちろん例外はあり、インカ帝国はトウモロコシとジャガイモを主としましたが、国に納める税はイモではなく分配に適しているトウモロコシだったことが分かっています)。

食べものと食糧

 なぜ限られた作物、特に穀物が主要作物になったのかというところから始めましたので、分配に注目しましたが、分配が意味をもつまでの歴史を見ておかなければなりません。駆け足で見ておきます。農耕を始めることで定住生活が通常になり、集団が大きくなっていきます。血縁社会と言える狩猟採集時代に比べて、多くの人が暮らす集落が生まれ、部族社会となります。ここでの人数はいわゆるダンパー数(150人ほど。本連載7回を参照)、お互いに顔見知りという仲間であり、平等な社会です。けれども定住社会では出産が増え、しかも働き手を必要とすることから人口が増えます。顔見知りの平等社会というわけにはいかず、全体を支配する人が存在する首長社会になっていきます。こうなると首長の周囲にそれを助ける役割の人が生まれるなどして、現在の官僚がいる国家に近くなります。その人たちは自分の食べものを作らず、人々がつくったものを「分配」してもらう……ではなく分配させるようになります。今の言葉にするなら税として収めさせるわけです。こうして権力者が支配する国への道ができ、今に到ります。

 農業について書き始めたところで、私は「食べものづくり」と言いたいけれど、一般には食糧生産という言葉が使われていると書きました。例によって『新明解国語辞典』を引きますと、食べものは「動物が生命を維持するのに必要な穀物、野菜や肉など(を料理したもの)の総称」とあります。( )の中に料理したものとあるところがいかにも新解さんらしいですが、まさに生きものが生きていくために必要なものという意味です。一方食糧は「(何百日で食べるというように計画的に用意される)主食(としての米・麦など)」です。ここには、お国のために計画的に用意するという意味がこめられているように思います。

 生命誌では、農耕は「一人一人が楽しく生きることを支える食べものづくり」としたいと思います。そうなると、権力者が支配しやすいような社会をつくるのに適した作物を選ぶ必要はありません。それぞれの地域で、その土地のもつ土と在来植物の力を活かして食べものをつくるという本来の農耕であり、リジェネレーション(再生)、リジェネラティブな農業(環境再生型農業)として、今さまざまなところから提案され、活動が始まっている食べものづくりを農耕の基本に置くことが今行うべきことであり、行えることであると考えます。前述のフレンチが見出した31000種の中にもきっと面白い食べ物があるに違いありません。

 先回、〈農耕を始めたサピエンス──土に注目する〉と書きましたが、現代社会の課題解決を求めるところから、土に注目する農耕の必要性が出てきているのですから、この道を求めて進もうと思います。