――ジェンダーの問題を考えるにあたって、まずは戦前の女性の状況といいますか、社会や家庭の中で女性がどのような立場に置かれていたのか、といったことから教えていただけますか。

 ご存知の通り戦前は、女性に参政権がありませんでした。参政権がないというのは、つまり、権利の主体として認められていないということです。家や土地をはじめとした財産の所有権だったり、自分で住むところを決める権利だったりが認められていない。それに、結婚した女性が仕事するためには、夫の承認を得る必要がありました。

――仕事するかどうかも、夫が許可をしないと駄目だったんですね。

 そうなんです。いい仕事を見つけたと思っても、夫が認めなければそれで終わり。夫がその勤め先に行って断れば、本人がどれだけ働きたくても駄目なんです。

 それとDVですね。今は暴力をふるう夫から逃げるということにそれなりの理解があって、公的機関もある程度支援してくれるんですけど、昔は妻が逃げたら警察が見つけ出して、夫のもとに届けていました。家族の成員がどこに居住するかは、家長である夫の意思によって決められていたので、妻が家を出るというのは、その夫の意思に反したとみなされるわけです。だから、妻が逃げたら、夫は警察に行けばよかった。かなり物に近い状態ですよね。婦人参政権が実現するまではヨーロッパも大体同じだったみたいで、女性は一種の動産として扱われていたという記述があります。

――不動産じゃなくて動産。

 動くからね、女の人。持ち運びもできるし。奴隷ではないし、家事使用人ともちょっと違うんですけど、家長の下にある財産の一つとして扱われていたという言い方がよくされています。家畜みたいなもんですね。婦人参政権運動というのは、そういう状況を変えていこうという動きであって、決して選挙権が欲しいというだけではなかったんです。

――女性を主体として、理性のある存在として認めさせることが目的だったと。

 もともとは男性だって、財産のある人しか選挙権はありませんでした。一般労働者にはなかった。なぜかというと、無産者は力のある者の言いなりになるしかない存在だから、自分で自分のことが決められない。理性がないとされていたのですが、やがて、ほとんどの国で、すべての成人男性に普通選挙権が認められていったのに対し、女性には一切認められなかった。それで、世界的な婦人参政権運動が起こったわけです。

 そのときの議論を見てみると、さっきお話したようなことが言われてるんですよね。夫が認めてくれないので仕事もできないとか、自分の親から得た財産を全部取られたとか。女性が個人所有しているものであっても、結婚するとそれが全部夫のものになるんですね。

――なるほど。

 それと、結婚した女性には、子どもを産む義務みたいなものがやっぱりありました。後継ぎを産むというのが女性の最大の義務であり、それを果たすことが何よりも大事なことだった。要するに、自分の意思で決められることなんて、ぜんぜん何もないわけですよ。

――「動産の一種」というのはそういうことなんですね。

 たとえば結婚した女性が他の男性と性行為する、あるいはレイプされるということが起こった場合、法律上それは女性の人権に対する侵害ではなく、夫の財産権に対する侵害になるんです。夫には妻の身体の所有権があり、他の男がそれを侵したということになる。

――俺の持ち物に何してんだ、と。

 そうです。貞操という考え方は、基本的に、そういう男性たちの間での「所有物」を巡る争いとして構成されている。その観念だけは、婦人参政権以降も残るんですね、だから、DVの問題が表に出てくるまでにはかなりの時間がかかった。ヨーロッパでも20世紀の末くらいなので、本当に最近の話なんです。

――DVの根底には「俺の持ち物なんだから何をしてもいい」みたいな意識があるんですね。

 そのことを意外とみんな知らなくて、中にはなんでまだジェンダーなんてやってんのとか言う人もいるんですよ。いやいや、現代の問題と全部つながってるんだって言うんですけどね。

家父長制と市民革命

 ちょっと話がそれちゃうかもしれませんが、「従軍慰安婦問題」も本当はそういう文脈で考えるべきだと思います。日本の政治家の中には、あれは商取引だったって言う人がいるけど、当時はそもそも商取引をする意思決定権が女性にはない。父親が娘を売ったりしたわけですから、たとえ商取引みたいな形をとっていたとしても、女性に対する人権侵害というのはまったく否定されない。そういう状況自体が女性の人権を侵害しているという認識が欠けているんです。最近になってようやくそれが出てくるようになりました。

――その認識は私もありませんでした。でも、おっしゃる通りですね。

 その文脈を無視して、「戦前は合法だったんだ」と。仮に合法だったとしても、だからって今の価値観でいいわけじゃない。戦前の体制は、日本だろうが、外国だろうが、女性の人権を間違いなく侵害していた。そのことが問題になっているのであって、軍の命令があったかなかったとかということだけで問題がないといえる話ではないんですね。

 そういうことに関して、世界では、すごく大きな意識変革が、1990年代に起きたんですけど、その認識を持っていない、あるいは持つ必要がないと思っている政治家が多過ぎる。セクハラもそうですし、ストーカーも、DVも、児童虐待もそうです。DVも児童虐待もかつては問題じゃなかった。どうしてかというと、夫には「懲戒権」があって、妻や子どもを「教育」していいことになっていたんです。

――いわゆる「家父長制」ですね。

 そうです。家庭内のことは夫がすべてを管理して、公権力は一切立ち入らないというのが市民社会の常識でした。難しいのは、そのことを市民の権利として確立していったのが市民革命であったということです。

――自由や平等の実現を目指した市民革命によって、家父長的なものが強化されていったと。

 その通りです。男であれば持てるものとして、平等の権利を認めていったのが初期の市民社会です。でもその後、婦人参政権運動によって「男女平等」になったから、いろいろな矛盾が出てきた。最初は無視していたんだけど、だんだんそれが表に出てきて、20世紀末に大きく変容した。

 公権力が家庭内にも及ぶようになり、夫や親の懲戒権は認められなくなった。DVは駄目、児童虐待も駄目。それまでは家長の管理に一任されていたプライベートな領域に法理論が入るという、ものすごく大きな変化が起こったわけです。