はじめに

 前々回の連載では、打越さんが「社会の癖」をテーマに書かれていました。私も癖のある人間と同じように、一癖二癖ある社会のほうが魅力的にうつります。そして個々の社会の癖を個々の調査者たちが許し、身体化するだけでなく、そこから学び、ひとつではない世界を構想する礎にできたらいいなと考えています。 

 私は院生の頃、タンザニアの都市で古着を商う行商人や露店商の調査をしていました。博士論文を加筆修正して出版した拙著『都市を生きぬくための狡知—タンザニアの零細商人マチンガの民族誌』(世界思想社、2011年)の主題にある通り、私が関心を持ったのは、「狡知」、スワヒリ語でウジャンジャ(Ujanja)と呼ばれる「賢さ」「ずる賢さ」でした。ウジャンジャは、個々人の身体的・性格的な癖のうえに培われる知恵でもあります。

 たとえば、都市に出てきたばかりの少年はいかにも田舎者らしい身体や所作、口癖、思考の癖などを持っています。田舎者は、生き馬の目を抜くような都市のストリートの世界では「カモ」にされやすく、そうした癖は都市に馴染んでいくうちに徐々に変化していきますが、なかなか都会に馴染めない者たちもいます。

 しかし朴訥で素朴な外見と田舎者らしい所作や口癖などが功を奏する場合もあります。たとえば、客との値段交渉時に小銭を落として慌てふためく、訛りを隠すために自信なさげに話すといったことが、素朴な外見や朴訥とした立ち振る舞いの癖と相まって、相手につい買ってあげたくなる気持ちにさせることは多々あります。商人たちはこのような自身の身体や「癖」が偶然に相手の心を動かした経験を糧にして、個々の「癖」を「技」として磨くことで、それぞれのウジャンジャ、すなわち、ずる賢さを培っていきます。

 とくに都市で遭遇する多種多様な人びとからの「君ってウジャンジャだね。つい乗せられちゃった」といった反応を手がかりに、こういう人間にはこんなふうにしくじってみせると「ウケる」といった感覚をつかみ、相手や文脈に応じて癖を自在に駆使できるようになっていくのです。

 それは演技、文脈によっては騙しや嘘でもあります。それでも、個々がそれぞれのウジャンジャに誇りをもって生きている社会は、それぞれの人間にはそれぞれの身体や個性を生かしたカッコよさがあり、どのような身体や癖を持つ人間でもそれぞれのやり方で愛される術が必ずあることを認める豊かな社会でした。

[写真1]ジーンズを売る筆者

 このリレー講義では、ウジャンジャの重要性に気づいて、嘘や騙しに私が魅せられていくプロセスについて開示しようと思います。

ウジャンジャの面白さに気づくまで

 私は、中村さんと同じく文化人類学が専門で、「参与観察」を調査の柱にしていました。というより参与観察しかしていませんでした。私は、質問票やアンケートを配ったことは一度もありません。アポイントメントをとって正式にインタビューをしたこともほとんどありません。誰かの語りをICレコーダーに録音したことすら、数えるくらいしかないのです。

 私がしていたことは、ただ毎日、仲間の商人たちと一緒に商売をしたり、長屋でともに暮らしたり、飲んだり遊んだりし、その過程で見聞きしたことを書き留めていただけです。たとえば、行商人をしていた頃の私の典型的な一日は、次の通りです。