ムラと外部

 2010年代になると、湯原の除雪に新たな問題が生じてきます。それは、スノーフィールズのメンバーが高齢化し実質的に3名にまで減少したこと、そして「助けるべき家」が増加してきたことです。そこで新たにはじめたのが、村外からの支援の受け入れです。都市部の市民や地域おこし協力隊(地域支援)、仙台市にある大学の学生たちを村外除雪ボランティアとして受け入れるようになったのです。ここで大事なのは、この村外除雪ボランティアがスノーフィールズの活動の一部として湯原の人びとに認識されているということです。

 村外除雪ボランティアの作業は、スノーフィールズの「仙台の学生さんがね、除雪体験をしたいんだって。おばあちゃんの家で体験させてもらっていいかな」といった声がけから開始されます。ここでは自宅を村外者の除雪体験や教育の場として無償提供する「お返し」として、スノーフィールズによる除雪作業が無償提供される形式がとられています。つまり、村外除雪ボランティアはそのままムラに入り込むのではなく、スノーフィールズによる除雪活動の一環へと組み換えられているのです。

村外ボランティアによる除雪作業

 ただし、スノーフィールズは、住んでいる人では除雪できないすべての家を助けるわけではありません。その理由を、ある自治会長は次のように説明します。

独居だからといって、むやみやたらさ助けっと、子供とか親戚が帰ってくる理由を奪ってしまうべや。んだがら、子供が帰ってくる分だけ雪を残して、子供さ電話しなよって声をかけていっちゃ。(2016年のフィールドノートより)

 つまり、湯原の人びとは、生活課題解決の好機であるはずの除雪ボランティアの対象からあえて特定の家々を除外することにより、他出子とこれらの家の関係を「切らない」ことを意図的に選択しているのです。もしもボランティア精神を絶対的な善と信じ込み、除雪を無差別に行えば、子供たちと家の関係は切れてしまうからです。湯原の人びとからは、どんなに崇高な理念や技術であっても、その土地の個性や状況に応じて、その内容を変えなければならないと教えられます。

村人とボランティアの学生

 外部からの支援ということに関連して、もう一つ、私が調査しているガーナ・アシャンティ州アドジャマ村の事例をご紹介しましょう。ガーナでは環境問題・貧困問題の解決に向けて、熱帯雨林での焼き畑に代わる手段としてアジア式稲作(水田と育苗)を普及させるために、WHOや国際銀行、JICAといった機関が約30年に渡って技術と資金を提供してきました。ダムや用水路などのハード面だけではなく、現地の人びとが主体となった耕運機や水利の共同利用のための組織づくりなどソフト面にも支援の手は行き届いています。にもかかわらず、この地にアジア式稲作が根付くことはありませんでした。ところが不思議なことに、これらの国際協力機関が撤退した現在、アドジャマ村の谷地には一面の田園風景が拡がっているのです。

ガーナの水田風景

 その背景には、財産の相続をめぐるアドジャマ村の人びとの「事情」がありました。母系社会であるアシャンティ族では、経済的に成功した未婚男性の財産をいかに適切に分与するかが、最も切実で身近な問題のひとつになっています。外部からの管理(押し付け)がなくなったことで、彼らは稲作に関わる全般を伝統的な酋長制度に基づいておこないはじめました。彼らと活動を共にして気づかされるのは、水田の維持管理の人選を通じて、未婚男性の資産の生前相続を潤滑におこなっている事実です。その結果、アジア式稲作は次の世代に財産を分与するためのしくみへと組み換えられ、田園風景がアドジャマ村、そしてガーナ全域に拡がりはじめているのです。

アドジャマ村の仲間と

「知恵の集積地」として

 ムラの生活保障のしくみはムラによって様々です。大浦では「漁組」という漁撈を目的とする機能集団(とりわけテイチ)によって、ムラ全体の生活保障のしくみが確立されてきました。一方湯原では「スノーフィールズ」という仲間集団がハブとなり、他出子やボランティアといった「村外」と「村内」を結び付ける生活保障のしくみが確立されてきました。

 両者に共通して言えることがあるとすれば、それは手持ちの限られたカードを組み換え、組み直し、組合わせ、その時々の生活課題に対処してきたということでしょう。彼らが教えてくれるのは、自らの力では制御不能な自然や社会の変動に対応する試行錯誤のなかで、生活保障のしくみとしてのムラは日々変化し続けているということです。ここで大切なことは、その対応の方向性が改善や増加を志向する近代的な思考ではなく、これ以上の悪化改悪を避けたり痛みを和らげたりする思考であることです。

 多様かつ複雑で加速度的に変化する現代において、ムラを取り巻く環境が日増しに厳しくなっているのは事実です。「あれもない、これもない」と考えると、ムラはたしかに問題だらけの場所にも見えてきます。私たちの日常においても、あれもこれもあればいい場面は多々ありますが、そう上手くいかないのが現実です。ないものねだりをし、理想に向かって努力し続けることも大切ですが、現実の生活においてはそれと同じかもしくはそれ以上に、その時その条件のなかであるものをやりくりしていく知恵やしくみが大切なのです。

 このように「有限」から思考を立ち上げたとき、私たちにとってムラは「課題の集積地」であるどころか「知恵の集積地」として立ち現れてきます。その蓄積された生活の知恵に学ぶことは、そのムラ(地域)に必要な支援やこれからを考えることであると同時に、自分自身の足元にある日常を見つめ直し、来るべき明日に思いを致すことに他なりません。

 近代的な思考は、生活という不定型なものを、つとめて機能や意図で分節し言語化することで「ないものねだり」を生み出し、科学技術の進歩などによってそれに応えてきました。しかし、「ないものねだり」に囚われると、ムラや足元の日常から学ぶことは難しくなります。これからの学問や地域政策においては、生活を要素ごとに分節することなく、いまここにある等身大の生活の「全体性」を捉える術や思考が必要になってくるのではないかと思います。

※本稿は村落社会研究58『生活者の視点から捉える現代農村』に所収の論文「移動の時代におけるムラの重層的な生活保障のしくみ―宮城県七ヶ宿町湯原と千葉県鴨川市大浦の知恵に学ぶ」の内容を下地として、トイビトのインタビューへの応答を基に構成しました。