ルネサンスを代表する壁画のひとつであるシスティーナ礼拝堂天井装飾は1508年秋から1512年10月にかけて、ミケランジェロによって制作されました。前回のコラムでは、この礼拝堂に表されている預言者像を中心に考察を行い、1511年8月14日の途中公開以前と以後では、様式が大きく変化していることを確認しました。そしてその一要因として、古代彫刻《ラオコオン》[第6回 図5]からの影響があったのではないかと推察したのです。

 今回は古代様式との関係性という問題からはいったん離れ、天井装飾の中心的役割を担っている『創世記』連作の物語場面を見ていこうと思います。

『創世記』連作の制作過程

 天井装飾は礼拝堂入口側から祭壇側へと3段階に分けて、制作が進められていきました[図1]。すなわち『創世記』連作では、聖書に記されている物語順序とは反対に作業が進行していったことになります。

[図1]システィーナ礼拝堂天井装飾の制作過程

 まず1508年秋から1509年9月にかけて行われた第一段階では、ノアのエピソードを表した第7~9画面が制作されました。その後、1年程の中断があり、1510年夏から1511年8月までの第二段階では、アダムとエヴァに関する第5~6画面が描かれたのでしょう。おそらくこの段階が終了した時点で足場が解体され、依頼主である教皇ユリウス2世や関係者にいったん公開され、ミケランジェロ自身も自作品を床からようやく見ることができたと思われます。そして1511年秋から始まった第三段階では、神による天地創造の物語を中心に第1~4画面が描かれ、1512年10月31日に装飾全体が完成したのです。

 この連作は、奇数画面では周囲に若い男性の裸体像が配されている一方で、偶数画面では枠組みいっぱいに『創世記』の主題が描かれています。様式や図像の考察を行うためには、大画面で表されている偶数画面を検証していく方が良いでしょう。つまり第一段階は《大洪水》(第8画面)、第二段階は《原罪と楽園追放》(第6画面)、そして第三段階は《アダムの創造》(第4画面)と《大地と天体の創造》(第2画面)です。まずは《大洪水》[図2]から見ていくことにしましょう。

[図2]ミケランジェロ 《大洪水》 1509年頃

《大洪水》(第一段階)における試み

 『創世記』(6~8章)によると、アダムの子孫は悪いことばかりをしていたので、神は人を創造したことを後悔し、地上から一掃することを決意します。こうして神は40日に渡って雨を降らせ続け、大洪水を引き起こしたため、「地上で動いていた肉なるものはすべて、鳥も家畜も獣も地に群がり這うものも人も、ことごとく息絶えた」のです。しかしながらノアは「神に従う無垢な人」であったため、事前に神から箱舟を造るように言われ、そのおかげで家族と共に生き延びることができました。水が引き始めた頃、ノアは最初、カラスを放ちますが、それは彼らに役立つ情報をもたらしませんでした。そこで次に彼はハトを放つのですが、その鳥は地上にとどまる場所を見つけることができないまま箱舟に戻ってきました。ノアは7日後に再びハトを放つのですが、今度はオリーブの葉をくわえて戻ってきたので、彼は地上が現れ始めたことを知ります。

 中世の聖堂装飾は、聖書に記された内容を大衆にわかりやすく伝えることを目的としていましたが、「大洪水」を表した作例では、ヴェネツィアのサン・マルコ聖堂(1063年建造開始)やモンレアーレ大聖堂(1174年建造開始)に施された装飾が良く知られています。後者のモザイク[図3]では、箱舟が中央に置かれ、周囲には水死体が2体浮遊し、そのひとつをカラスがついばんでいます。ノアは箱舟の窓から上半身を乗り出し、オリーブの枝葉をくわえたハトを回収しようとしています。

[図3]《大洪水》 1180年頃 モンレアーレ大聖堂

 ミケランジェロはこうした先行作例とはまったく異なる構図を用い、登場人物もはるかに多く描いています。メイン・モティーフの箱舟は最後方に小さく描かれ、その窓にかろうじてノアの姿を確認できます。彼は画中に描かれている大勢の人物の内、もっとも小さく描かれているのではないでしょうか。

[図2]の細部(1)

 左前景には小高い丘が設定されており、そこには上昇する水面から必死に逃れようとする人々が家族単位で集まってきています。疲れ果てて横たわる母の背後で泣きじゃくる幼児や、水位が上昇してきても溺れないように自分の体を木に結び付けている男の姿も見られます。

[図2]の細部(2)

 また右中景の岩の周辺では、老父がぐったりとした息子を抱きかかえ、その様子を老夫婦が心配そうに見守っています。

[図2]の細部(3)

 そして箱舟の手前に浮かぶ小さなボートでは、強引に乗り込もうとする男を棒で叩きつけようとする女性や、男のせいで大きく傾いたボートをひっくり返らないように懸命にバランスを取っている若者たちがいるのです。

[図2]の細部(4)

 ミケランジェロが前景や中景に描いているこれらの人々の行動は、聖書にはまったく記述されていませんし、先行する同主題作品にも見ることはできません。つまり彼が自身のイマジネーションを最大限に膨らませて、必死に生き延びようとする人々の姿を描き出したのです。神によって選ばれ、家族と共に箱舟上で安閑としているノアよりも、神に見捨てられても生きようとする群衆にスポット・ライトを当てた方が、「大洪水」を迫真的かつドラマティックに表すことができるとミケランジェロは考えたのではないでしょうか。

 ところでシスティーナ礼拝堂は当時、一部の限られた人にしか入堂が認められていなかったため、天井装飾の素晴らしさをより多くの人に伝えるために、壁画の模写やデッサンを手本に何点かの版画が制作されました。そのうちのひとつ、ジョヴァンバッティスタ・フランコの作品[図4]を見ると、ミケランジェロの試みは大枠では理解されたものの、死が間近に迫っている人々の多様な行動は、20メートル下の床からでは、ほとんど何も認識されなかったことがわかります。

[図4]ジョヴァンバッティスタ・フランコ 《大洪水》 1540年以前 ヴァティカン図書館
    おそらくポリドーロ・ダ・カラヴァッジョのデッサンをもとに制作

 当時、大多数の人々は画面の最後方に表されたノアや箱舟を見出すことができなかったのではないでしょうか。

《原罪と楽園追放》(第二段階)における変化

 壁画の細部を見たいと思った時、側壁に描かれている場合と異なり、天井画では作品そのものに近づくことができません。こうした天井装飾における常識を、この分野における経験がなかったミケランジェロは、第一段階の作業を終えてようやく理解したのでしょう。そのため第二段階では、人物像を画面の高さいっぱいに描くようになり、登場人物の数も最小限に絞り込むようになります[図1]。

 『創世記』(第3章)によると、アダムとエヴァは神から楽園内の果実は何を食べても良いが、楽園中央に生えている二本の木の実だけは食べてはいけないと言われていました。ところがある日、もっとも賢い生き物である蛇に誘惑され、エヴァは二本のうちの一本である「知識の木」の実を食べてしまい、さらにそれをアダムにも食べさせました。こうして「知識」を得た彼らは、自分たちが全裸であることを恥じ、イチジクの葉で腰を覆ったのです。神はそのことを知り、アダムとエヴァが楽園中央に生えるもう一本の木、「命の木」の実も食べて神のように不死になることを恐れて、彼らを楽園から追放することにしました。そして戻ってくることができないように、楽園の入口にケルビム(智天使)と「剣の炎」を置いたのです。

 ミケランジェロは画面中央に知識の木を置き、左側に「原罪」、右側に「楽園追放」の場面を描いています[図5]

[図5]ミケランジェロ 《原罪と楽園追放》 1510年頃

 木に巻き付いた蛇から禁断の実を渡されるエヴァは、体をひねりながらこの動物を凝視し、アダムは自ら実をつかもうと身を乗り出しています。彼らは戸惑いを感じているというよりも、禁じられている行為を自ら進んで犯そうとしているように見えます。それに対し「楽園追放」では、アダムはケルビムからの剣による攻撃に抗い、エヴァはアダムを盾にして自身を守っているようです。彼らの表情には深い悔恨が見られ、「原罪」の時と比べると、感情が大きく変化していることが見て取れます。

[図5]の細部

 そして中央上方に、「不正」をそそのかす蛇と、「正義」を神の代わりに執行するケルビムを対比的に置くことで、ふたつの異なる場面を見事に結び付けているのです。

 ところで「楽園追放」の場面に関しても、版画[図6]が残っているのですが、《大洪水》のケースとは異なり、ミケランジェロの壁画がかなり正確に再現されています。

[図6]マルカントニオ・ライモンディ 《楽園追放》 1527年以前 ヴァティカン図書館

 人物像を可能な限り大きくしたことにより、床からでもアダムとエヴァの微妙な表現さえも捉えることができるようになったことが、このマルカントニオ・ライモンディの版画から読み取れます。

ふたつの壁画における共通点と相違点

 《大洪水》[図2]と《原罪と楽園追放》[図5]のどちらの壁画でも、ミケランジェロは聖書の記述を下敷きにしつつも、そこから自由にイマジネーションを膨らませて、先行作例には見られない新しい表現を創出することに成功しています。ですが全体の構図や空間表現という点では、いまだに伝統的な手法が用いられているように思われます。

 第一段階で制作された《大洪水》では、ミケランジェロはやや高めの位置に地平線を定め、左側の丘、右側の岩、中央のボート、最奥の箱舟といった具合に、見る者の視線をジグザグに前景から中景、後景へと誘っています。また人物像の大きさを徐々に小さくしていくことで、手前から後方へ向けて連続した空間を感じ取れるようにしています。このように論理的な空間表現は、ルネサンス絵画様式が始まる1300年頃から継続的に行われており、伝統的なものと考えていいでしょう。前述したように、死が迫ってくる人々を家族単位で表し、この主題を非常にドラマティックに再現してはいますが、画面全体で見ると、非常にバランスのとれた安定した構図であるように思われます。

 一方、第二段階になって表された《原罪と楽園追放》[図5]では、登場人物が必要最小限に絞られ、画面の高さいっぱいに大きく描かれている点では、明らかに《大洪水》とは異なります。しかしながら地平線を明確に定め、画面内に奥行を作り出そうとしていることは変わっていません。緑の大地にはアダムとエヴァの影が投影され、青い空は地平線に近づくにつれ、白っぽくなっており、現実の世界をなるべく忠実に再現しようとしています。構図自体も「知識の木」を中心に、とてもバランスのとれたものとなっています。

 預言者像では、第二段階に描かれた《エゼキエル》[第6回 図6]は第一段階の《ゼカリア》[第6回 図3]と比べると、ダイナミックなポーズを取っているものの、いまだクラシック的な表現にとどまっていました。『創世記』連作では、ふたつの段階における表現の違いは、より明確であるように見えますが、空間表現や構図という点では基本的には変化していないように思えます。では、《ヨナ》[第6回 図4]で見られたような第三段階における大きな様式上の変化は、連作においても見られるのでしょうか。次回はこのテーマについて検証していくことにしましょう。