――20世紀初頭のドイツにおいてヒトラー率いるナチスが権力を握り、まさにユダヤ人の自由や生きるという最低限の権利をも蹂躙する暴挙に及んだのは周知の事実です。ナチスが選挙によって選ばれたことを考えると、この歴史的な蛮行は民主主義の結果起きたということになるのでしょうか。

 これは難しい問題ですが、ヒトラーは、いま言われた通りナチスが選挙を通じて躍進し、議会の承認した全権委任法(行政府に対して、大統領や議会によらない無制限の立法権を認める法律)によって独裁体制を手にしました。つまり、ナチスの独裁は議会制を壊したのではなく、まさに議会制の中から生まれた。ということは民主制が、国民自らがナチスを選んだのだという説明がありえるわけです。一方で、あれは暴力によって強制されたものであり、国民自らがナチスを選んだとは言えないという議論もあり、決着はいまもついていません。

 ただ、ひとつ言えることは、ナチスは決して突然変異で生まれたわけではないんですよね。ナチスの台頭は、そこに至るまでのドイツの政治体制や経済状況を抜きにして語ることはできないんです。

 第一次大戦前のドイツはプロイセンを中心とする帝政ドイツ帝国だったわけですが、ドイツ帝国は敗戦によって崩壊し、「ワイマール体制」として再出発します。ワイマール――正確にはヴァイマルですが――で憲法をつくったのでワイマール体制というわけですが、これは労働権や社会保障を取り入れた、当時としてはもっとも進歩的な体制だったといわれています。

――歴史の授業で習った覚えがあります。

 しかし、ワイマール体制は敗戦後の混乱から生まれた政権だということもあり、非常に不安定でした。それを象徴するのがインフレです。カフェでコーヒーを飲んでいる間にそのコーヒーの値段が3倍になったという話がありますが、さすがにそれはネタだとしても、それくらい激しいインフレだった。最も大きな原因は過酷な賠償金です。第一次大戦に勝利した国、特にフランスへの多額な賠償金によって、ドイツの経済は困窮していきます。経済というのはやはり非常に重要で、これが破綻してしまうと政治も立ち行かない。ワイマール体制はそんな状況での国家運営を余儀なくされていたわけです。

 ところで、ワイマール体制に大きな影響を与えた一人に、社会学者のマックス・ヴェーバー(1864-1920)がいます。ヴェーバーが主張したのは強力な大統領制です。大統領という個人に非常に強い権限を与え、特に戦争のような非常事態になったときにはそのリーダーシップによって国全体を動かせるようにすべきだと考えた。ワイマール憲法には、それが反映されています。

――ヴェーバーはなぜそんな風に考えたのでしょうか。

 ひとことで言えば、議会や国民に対する失望からだと思います。ドイツにはビスマルク(1815-1898)という非常に有能な宰相がいたために、ぜんぶ彼に任せておけばいいという態度が国中で身に付いてしまっていた。その結果、議会がまるでだらしない。議員には自分たちで政策を考え、論争するという能力が完全に欠けている。国民は国民で何も主張することがなく、国の政治を自分たちの問題だなんて考えてもいない。

 「政治教育ゼロ」――とヴェーバーは書いています――の国民と、無能の極みである議会、政党。敗戦後のただでさえ危機的な状況なのに、この国は本当に大丈夫なのかとヴェーバーは悩んだのだと思います。

――それで、ビスマルクのような「カリスマ」の再来に賭けて、強大な権力をもつ大統領を設置したわけですね。

 1925年に行われたワイマール体制初の大統領選挙で、元軍人のヒンデンブルク(1847-1934)が大統領に就任します。1933年、そのヒンデンブルクによってヒトラーが首相に任命され、その後はヒンデンブルクに代わって力を持つようになっていったわけです。そういう意味でいうと、ヴェーバーが国を憂いて取り入れた仕組みが、彼の死後、その意図とは違う形で作動した。それによって生まれたのがナチスであり、ヒトラーであったと言えるのではないでしょうか。

 従って、ヒトラーやナチスの台頭には、ワイマール体制自体に独裁者が出てくることを許す仕組みがあったことが深く関与しており、ドイツ国民がヒトラーを独裁者として選んだというのは、まったくの間違いではないにせよ、100%正しいとも言えないと思います。

――なるほど、よくわかりました。 

 いずれにせよ、経済も政治体制も不安定だというときに、議会が当てにならない、国民は何をどう考えればいいかさえわからないという状態だったら、「カリスマ的な指導者が何とかしてくれるはずだ」という幻想を抱いてしまうのは、どの時代のどの国でもありえると思うんですよね。危険だとわかってはいるけど、これで一発逆転を狙うしかないと。しかし、その決断がさらに破滅的な結果をもたらすということは、われわれが肝に銘ずべき歴史の教訓ではないでしょうか。