最初に言った通り、日本語の「戦争」が意味しているのは基本的に国家間戦争です。その国家間戦争が連鎖して世界中を巻き込んだのが第一次・第二次大戦でした。これに対して、「テロとの戦争」の相手は国家ではありません。相手はテロリストだと、この戦争の主導者たるアメリカは主張するわけです。

――戦争の定義自体を変えたんですね。

 テロリストは個人の場合もあれば集団の場合もあります。集団だとしても、体系化された組織であるとは限らない。つまり、国家のように、ちゃんとした組織形態があるわけではない。だからアメリカ自身も言いますよね、見えない敵だと。で、どうするかというと、テロリストがいそうなところを片っ端から爆撃していく。われわれにはその権利があると言って。そのとき、もう国境は関係ないと言うのです。

――その権利というのは、9・11の同時多発テロの報復ですね。

 そうです。9・11が起こるまで、アメリカは一度も本土攻撃を受けた事がなかった。逆上したアメリカは、世界に向けて「テロリストにつくか、われわれにつくか」という二者択一を迫った。「テロリスト」への報復に国家の軍事力を用いる、そしてこの「戦争」は国境を無視すること、言いかえれば、テロリストと関係したと認定した国の主権は認めない、ということを、国際的に承認させたわけです。

  そもそも「テロリスト」というのは基本的に犯罪の概念で、「極悪非道な犯罪人」とか「許されざる公共秩序の敵」といったニュアンスで使われるわけですが、それは「精神異常者」や「変質者」等とは異なるカテゴリーです。事件を起こしたから「テロリスト」と呼ばれるわけで、何もしなければそうではない。テロリストという種類の人間が、街を歩いているわけではないんです。

 にもかかわらず、「テロリスト」が潜伏しているからといって他国、それも世界でも貧しい国々を爆撃するというのは、驚くべき傲慢です。国境なんて関係ない。「テロリスト」はどこの国にも属していないから、アフガニスタンだろうがイラクだろうが、どこを爆撃してもいい。

――民間人に被害が及んでも仕方ないと。

 「テロリスト」への爆撃に巻き込まれて犠牲になる人のことを、攻撃する側は「コラテラル・ダメージ(副次的被害)」と呼びますが、その数が顧みられることはほとんどありません。それに、テロリストをかくまうような国は「ならず者国家」なので、そんな政府は潰して、自分たちが新たに正しい政府をつくる。それはベトナムでやって散々批判されたことなのに、アフガニスタンで再び、しかも今度は堂々とやったわけです。それに乗ったのが、日本のような「西側的価値を共有する」国々です。

 イラクへの軍事介入にしても、あの国はれっきとした主権国家ですよ。サダム・フセインが独裁者で、そのフセインからイラク国民を「解放」するんだとか言うけれど、それが本当かどうかなんて、私たちにはわかりません。まあ、クルド人の弾圧とかありますが、そんな国になったのは独立以来の英米のコントロールの結果だとも言えます。けれども、アメリカが独裁国家だから制裁しろと言えば、そういうことになる。それで、大量破壊兵器を隠し持っているといって――結局嘘だったわけですが――侵攻し、目論見通りにフセインの国家体制を崩壊させた。

――戦争というより、9・11を口実に、アメリカが自分たちの「正義」を振りかざして、アラブ・イスラーム世界を侵略していった感じがしますね。

 そもそもイラクへの攻撃は、国連の同意を得ることなく実施されました。アメリカは、自分たちの邪魔をするのなら国連なんて出てやると言う勢いで、イギリスをはじめ西側の国々はアメリカに同調したわけです。フランスは戦争には反対し、派兵こそしていませんが、最終的にはアメリカに同調しています。その結果どうなったかというと、ヨーロッパでも多数のテロ事件が起きるようになった。アメリカのはじめた「テロとの戦争」に、結局ヨーロッパも巻き込まれたわけです。そこにアラブ・アフリカからの移民問題が重なって、移民排斥運動も起こり、治安政策として「テロとの戦争」を打ち出さざるを得なくなった。

 テロリストというのは、さっきも言った通り、テロを起こすまではテロリストではありません。かといって、まさか自分の国を爆撃したり、国民を理由なく拘束することもできない。それで、街頭に無数の監視カメラを設置するといった「監視国家化」が世界で、とりわけ「西側」諸国で一挙に進みました。そこには実は社会のデジタルIT化も不可分に絡んでいます。それがついこの間までの状況です。

ロシア、ウクライナ、アメリカ

――今年(2022年)の2月にロシア軍が国境を超えてウクライナに侵攻しました。今まさに起きているこの戦争については、どのようなことが言えますか。

 これは既によく言われていることですが、この戦争を考える上ではNATO(北大西洋条約機構)が一つの焦点になります。NATOは第二次大戦後にアメリカを中心として設立された西側の軍事同盟ですが、元々ソ連の脅威に対抗する目的でつくられたものなので、本来であればソ連の崩壊と共に存在意義はなくなっていた。それなのになぜ残ったか。

 実は冷戦後のヨーロッパには、ロシアとの関係がこれまでとは違って良いものになるという期待感があり、ロシアの方もヨーロッパに歩み寄る姿勢を見せていました。ゴルバチョフなどは完全にそうです。東西対立をやめたかったのです。しかし、それを見たアメリカは、ヨーロッパとロシアが接近することを嫌って、用済みのはずのNATOを残したんです。ヨーロッパが独立した勢力になり、言うとおりに動かなくなることを警戒したのでしょう。

――それで、冷戦時の対立構造を維持したわけですね。

 しかしソ連崩壊を経てロシアがその国際的地位を引継ぐようになると、その影響力を不安視した旧東側の国々が相次いでNATOに加盟し、結果的にNATOは対ロシアの軍事同盟として存在意義を取り戻した。2008年には、「テロとの戦争」が泥沼化して困っていたブッシュ大統領が、NATOにウクライナとグルジアを引き込み、復活してきたロシアをさらに侵蝕するという戦略を打ち出します。ウクライナはポーランドやバルト三国とは違って、旧ソ連の主要な構成国でした。それを西側とロシアとの係争の地にしたんです。現在の「戦争」は、そうした流れの中で起きている出来事だと思います。

――ロシアにとってウクライナが特別な存在だったということは、メディアでもよく報じられていますね。

 ウクライナは、ロシアと国境を接しているだけでなく、原発がたくさんあったり、かつては核兵器が配備されていたことからもわかるように、旧ソ連の中枢の一部です。それが当初はいろいろな交渉の末、ロシアにもヨーロッパにも属さない国として独立したのですが、元々がそういう所なので、ロシアにとってはウクライナが西側につく、とくに軍事的にNATOに加盟するというのはこの上なく深刻な事態です。ソ連の衛星国だったポーランドがNATOに入るのとは意味合いがぜんぜん違う。

――ロシアとしては、ウクライナのNATO加盟だけは絶対に阻止しなければならなかった。とはいえ、暴力でいう事を聞かせるといのは、許されることではありません。

 もちろんその通りです。基本的には相互信頼に依存する国際社会において、国際法は、ここだけは踏み外してはいけない「徳俵」のようなものです。今回ロシアはそれを犯したことになるわけで、その限りではいかなる理由があっても正当化できません。

 ただ、忘れてはいけないのは、冷戦崩壊後に、既にアメリカが、アフガニスタンやイラクにおいて、公然と国際法を無視してきたということです。そしてつい最近「テロとの戦争」の店仕舞をしたその国が、国際法をかざしてロシアを非難し、グローバル化した世界経済から締め出そうとしている。それがはたして、筋の通ったことでしょうか。それに、ロシアの侵攻は事実ですが、これは抗争の発端ではない。すでにウクライナは分裂していたし、それを挟んでロシアとNATOは軍事対立していた。

 国連総会でロシアに対する非難決議案が出されたとき、ほとんどの国は賛成しました。しかしその後、人権理事会からロシアを追放しようとする決議案では、20カ国以上が反対し、50カ国以上が棄権した。これは「敵につくかわれわれにつくか」と迫るアメリカのやり方が、「テロとの戦争」の時と同じ恫喝だと受け止められたからだと思います。ロシアの行為は許されないが、アメリカの要求をそのまま是とすることもできない。そうした意思の現れなのではないでしょうか。経済制裁についても同じで、強国はできるけれども貧しい国にそんな余裕はない。でも、西側に付き合ってやれと言われる。

 それに、アメリカは、ロシアの領土的野心だとかいうけど、それを言うならアメリカの方でしょう。たしかにアメリカは自国の領土にしようとはしない、アフガニスタンにしてもイラクにしても。そんなことをしなくても、新しい政府を据えて、市場経済に適合するような国につくりかえさせれば、金持ちが寄ってくる。そうすれば、もう軍を派遣して制圧しなくても、自分たちに都合のいい、金持ち支配の社会ができるわけです。アメリカは、ウクライナもそういう風にしたいんですよ。いや、この機会をとらえてロシアの政権転覆、つまりプーチン追放を目論んでいるわけでしょう。つまり、ロシアの再度の「解放・自由化」を。

――この戦争には、そういう背景があったんですね。メディアでは「正義のウクライナとそれを支えるアメリカ」対「悪のロシア」という構図が圧倒的で、私もそれを無批判に受け入れてしまっていました。

 いまや西側が世界の基準になっていて、日本のメディアも当然それに従うので、そういった報じ方になるわけです。それに対して少しでも異論をはさむと、「ロシアを擁護するのか」とものすごいバッシングを受ける。

――たしかに、異論が許されないような雰囲気ですよね。

 プーチンは独裁者で国内メディアも弾圧している。だからロシアはウソばかり、それは単なるプロパガンダ、その言い分を聞いてはいけない、と。いわゆる「ロシアの悪魔化」です。極東の遠くから見ているとお互いさまだろうと思うのですが。コンテクストを切り棄てて見れば「大国による小国の侵略」となりますから、「ロシアが悪い、悪を認めるな、ウクライナを支援せよ」で、「屈服してはいけない、どこまでも戦え」となって、結局、抗争の収拾をさせない圧力にしかなりません。実際、ゼレンスキーのウクライナは、アメリカやNATO諸国に膨大な武器を要求して戦い続けるしかなくなっている。

 ぶっちゃけて言えば、ロシアの弱体化をねらう(と高官が公然と言っています)アメリカがそうさせているわけですが、じつはこの戦争、つまりロシアの侵攻も、当初にアメリカがロシアに対して一言、ウクライナはNATOに加盟させない、と言えば起こらなかったはずです。ロシアの要求はウクライナの「中立化」でしたから。ところがアメリカは、そうはしないどころか、トルコでの停戦交渉も頓挫させた……。

――アメリカからすると、戦争が長引いてくれた方が都合がいいと

 あと、これはすごく当たり前のことなんだけど、私はこうして自分の考えを言っているわけですが、実際の状況に関しては何ら力を持っているわけではありません。ウクライナに武器を送ることも、ロシア軍の戦車や砲撃を止めることもできない。メディアからの情報をもとに、いま何が起きているのか、世界はどうなっているのかを考えて機会があれば発言するだけの立場なのですが、それさえも排除しようとする力が働くというのは、ちょっと異常なことだと思います。