「想像の共同体」

 近代の戦争はメディアと切り離せない。戦争に諜報・調略はつきものだという技術的な話ではない。戦争が「国民戦争」になって以来、つまり国民国家体制がとられるようになって以来、メディアは戦争の遂行を支える不可欠の要素である。ベネディクト・アンダーソンが古典的な書物で示したように、国民とは「想像の共同体」である。その共同性は新聞・雑誌・ラジオ(やがてはテレビ)といったマス・メディアによって作られ支えられる。

 出自もまちまちでお互い知らない者同志も、都会で同じ電車に乗り合わせ週刊誌の吊り広告をみると、その一人ひとりは共有情報によって潜在的に結ばれる。誰もが知る人物(政治家・スター)のスキャンダル、それを知っていて理解するということが、たまたま集まった「縁なき衆生」を、同じ情報関心につながれたマス(集団)として結びつけるのだ。つまり各人が想念の世界を共有し、それによって成り立つ共同意識だ。なぜ、同じそのネタに関心を持つのか。それは「われわれ」が同じ時世を生きる「日本人」だからだ、というふうに。情報提供とはいうが、マス・メディアの第一の働きはそれである。「国民」が目に見える対象でなくとも、その実在性を誰もが疑わないのは、それが無限定ながら各人の内的なリアリティーの枠組みになっているからだ。メディアは何よりまず、そのような「想像のコミュニティー」の媒体なのである。

 ハイデガーは意識の通常の(とりあえずの)あり方を「現存在(ダーザイン)」と規定した。それは通常、確かな「私」ではなく、周囲と等し並みの誰でもない「ひと」といった様態をとっている。しかし、あるとき周囲の人びとや世界との無縁さを意識し、自分の無根拠の不安にさらされるとき、それを掬い取る深い枠組みになるのが「民族の共同性」だという(『存在と時間』)。自分はひとつの砂粒にすぎないが、この砂漠はアーリア・ドイツとして輝いている、と。そしてこの意識は、ドイツ語を通して顕在化する。

 もちろんこの事情は、日本語の共同体においても同じである。マス化した社会では、○○人であるということが、おぼつかない諸個人意識の最後の拠り所になる。またそれは、言語的レベルを巻き込んで、スポーツ競技の観戦において高揚する。なぜ足元のあやうい国々がスポーツ振興に力を入れるのか、それはスポーツ競技が「ネーション」を可視化し体験させるスペクタクル、つまり総合的メディア装置だからである。近代オリンピックはそのようなものとして発展し、いまやその役割を終えつつあるが、それはまた別に論じなければならないこととして、ここでは、マス・メディアの広がりと深さについて示唆するにとどめておこう。

ドメスティックなメディア

 マス・メディアは国民教育とともに始まった。読み書きソロバン、情報を受容・処理する市民(国民)の育成。それで市民は社会生活や政治判断に必要な基礎知識、情報を得る。そしてときにはみずから発信する。その情報流通を大規模に担うのがマス・メディアだが、メディアは基本的にドメスティック(国内向け、内輪用)である。フランスで流通する新聞はフランス語で、フランス人向けに作られ、基本的にはフランス人に読まれる。顧客(市場)はフランス人だからだ。だから国際的な出来事もフランス(人)の立場・観点から語られ伝えられる。同じ出来事も、ドイツ人の立場から見たのとは違った語られ方をするだろう。今のスポーツ紙を想定すればいい。自国の選手の活躍には大拍手、「敵」国にはブーイングだ。自国読者に受ける(求められる)かどうかが新聞の流通力を決める(それは視聴覚メディアであるテレビでも同じで、視聴率がコンテンツを決める)。

 そのようなマス・メディアが、フランス人ならフランス人の共通意識を作り、同朋感覚の培養土となり、文字どおり「ネーション」の繋ぎ・媒介となる。精神分析の用語を使うなら、メディアが共通のバイアスのかかった「想像界」を作るのである。それが戦争ともなると「自国民」意識として励起される。「国民」が、個々人の「何のための生き死にか」、という目的意識を糾合[きゅうごう]して個々人の上に強く浮かび上がる。そのベースとなる共通意識をこのように「内向き」に作るのがマス・メディアであり、それが「国民戦争」にとっては必須の要件となる。

 だから、どんなに「民主的」で言論が「自由」だとされる国家でも、戦争態勢に入ると、国家に不利と見なされる情報や見解は避けがたく排除される。公権力のあからさまな介入や統制がなくとも、国民自身がそれを受け入れず、ときにはそんな情報は「敵を利するもの」「裏切り」として締め出したりもする。それはいわゆる「ファシズム」や「全体主義」の専売特許ではない。メディアを通してのPR(宣伝)は「思想の市場淘汰」の方法だ。国が戦争態勢に入ると、ドメスティックなメディアはその態勢にたいていは流されて、国民を戦争に動員する働きをする。

 たが、戦争の事実(戦場の現実)を伝えることが「反戦的」効果をもつことがある。あるいは事実の報道が時の権力にとって都合の悪いものであることもある。そういう事態から、報道の自立性、あるいは時の権力や優勢な利益集団に偏らない「メディアの公共性」が自覚されるようになる。それがメディアを、とりわけ報道をドメスティックな土壌から自立させることになる。

 とりわけ、世界戦争以後――つまり諸国共存協調の要請が規範化されるようになって以後――、メディアは多様な見解あるいは「他者」の見方をも伝え、時の権力に流されない客観的で「自由」な報道をすべきだという考えが広まる。それまでも、国内ではそうだったが、外部に「敵」が想定されるとなると違ってくる。国家(自国)の戦争は「正義」だとされるからだ。だが、世界戦争はその状況を変え、メディアもナショナルな磁場を超えた報道を求められるようになる。それは「戦争加担」をしない、国家間の摩擦を戦争にしてはいけないという要請と表裏だったはずだ。

 けれども、冷戦という長い「イデオロギー対立」は、「敵」をともかく「悪」とみなして否認し、自国の立場を「善」として、「悪の否認」のために戦争を鼓吹[こすい]する役割を拒まないという傾向を大方のメディアも刷りこんでしまった。まさに「イデオロギー対立」、「理念的戦争」とは、メディアを局外におかなかったのである。

グローバル・メディア

 上記のようなナショナルなメディアは、国民意識の形成とともに各国に生まれてきてそれぞれの国の社会意識の同質化に大きな役割を果たし、今でも果たしている。その一方で、すでに一九世紀後半から一国規模にとどまらない使命を帯びたグローバル・メディア機関も生まれていた。フランスのAFPがその先駆けだが、イギリスのBBCやロイター通信が老舗である。

 これはもちろん、英仏両国が全世界に植民地を広げる「日の沈まない」世界帝国だったことと関係している。その広域統治に資する情報をグローバルに集約するためのメディア機関だ。これらの通信社は、世界各地の情報を集め、編集して、それをまた世界各地(情報収集力や発信力のない)に送り届ける。こうして各地の情報はグローバルに行き渡るわけだ(アフリカの様子やアラブ地域の情報も、日本やその他の国々に伝えられる)。

 ただし、このような通信社がまとめて配信する情報は、いきおい英仏などの植民地帝国の世界統治の意図に沿ったものとなる。たとえば植民地での抵抗や叛乱は、文明秩序を乱すものとして扱われがちで、ナショナルではないがインペリアル(帝国的)な、あるいは西洋世界(文明)の規範にしたがったナレーション(語り)を軸に作られることになる。

 だが、第二次大戦後は、西洋諸国(と日本)による植民地支配が放棄され、アジア・アフリカ・ラテンアメリカ地域に多くの独立国が生れて、その「自立性」が容認されるようになると(当初は「連合国」を組み替えた集団安全保障機構だった「国際連合」も、初期構成国48をはるかに超える150以上の独立国を迎えて、その名に恥じない「国際連合」になった頃)、1970年代にはBBCもロイターも、帝国の通信社という性格を脱する改組を行い、世界各地の状況に即した地域からの情報を世界に供給するという、グローバル・サービス的な方向に転換する。

 ただ、第二次大戦から冷戦期にかけては、事情はそう簡単ではなかった。大戦中は、欧州全体がナチス・ドイツと戦うため、メディアは大衆対応のための情宣機関になるし(軍事に関しては諜報機関が働く)、前述した通りそれが「総力戦」(物心両面にわたる動員)におけるメディアの当然の役割でもあった(もちろん、たとえばビシー政権下のフランスでは逆に親ドイツ的な論調が基本になる)。

 しかし、大戦の終りはすでに「東西冷戦」の入口だった。それは新たな「イデオロギー戦争」でもあったため、メディアも再びそこに組み込まれる。ソ連にはタス通信があって「社会主義の大義」の下での情報発信を担い、中国もまた新華社を作って情報の「自立性」を確保する。ただ、欧州諸国には内部に根強い社会主義・共産主義勢力もあったため(対ナチ戦勝には彼らの貢献が大きかった)、米ソの核対峙という軍事的緊張は深刻だったが、イデオロギーという面では単純に「東側」と対立したわけではなかった。むしろ、とりわけ知識層に信頼度の高い紙メディアは、体制批判を避けないため「左派」「容共」と言われる傾向もあった。だが大西洋の向こうのアメリカでは、マッカーシズムが荒れ狂ったことに現れたように、「反共」はほとんどメディアを挙げての集団ヒステリーのようになった。

「敵」側の報道は信じない、プロパガンダ(PR)だからだ。というように、「イデオロギー戦争」の下ではメディアによる情報操作が不可欠の世論誘導の手段になる。後の情報のデジタルIT化で「フェイクの時代」(「ポスト・トゥルース」)が語られるようになるが、その淵源はこの時代にあると言ってよい(厳密にいえば、「情報の商品化」が「真実」の価値を相対化したことに始まる)。

「グローカル」メディア、アルジャジーラ

 そして「冷戦後」である。しかしそれで、一般に言われるように「イデオロギーの時代が終わった」わけではない。「西側が勝利し」、その「正しさが証明された」とされ、世界で「西側的諸価値が共有される」ことになった。少なくとも自称「文明国」はそう主張する。その「価値」とは「自由と民主主義(=市場経済)」だとされるが、まさにそこから「民主化・自由化(=解放)」のための新たな戦争が企図されることになる。

 まず、湾岸戦争が起こったが、このとき米英を軸とした30カ国によるイラク攻撃に国際世論の支持を作り出すのに最も貢献したのは、前回すでにふれた国連での「クゥエート被災少女」の証言であり、CNNの流した「石油にまみれた海鵜」の写真だった。それが「イラクの暴君、サダム・フセイン」を成敗すべしという国際世論の流れを決定づけたが、どちらも後でフェイクだと判明した。

 この事態を受け、中東カタールでアラビア語の衛星テレビ局アルジャジーラが創設された。出資は米軍に中東軍基地も提供しているカタール政府だが、設立の趣旨は、グローバル・メディアでは、アラブ・アフリカ地域の現地の事情、そこで起こる出来事について、「西側先進国」のグローバル統治秩序の観点からしか情報化されない。それではアラブ地域の人びとの思い、ここで何が起こっているかは伝わらないし、世界に広がるアラビア語話者たち(アラブ地域だけでなく、モロッコからインドネシアまで、果てはヨーロッパ・アメリカにも広がっている)も現地の実情を知ることができない。そのためのアラビア語の衛星テレビ局を作るということだ。

 ただ、主要な担い手になったのは、元BBCアラビアのジャーナリストなど、西洋的客観報道の訓練を受けた人びとである。だからアルジャジーラは、アラブ・プロパガンダを目指しているわけではない。そうではなく、西側メディアが鳥瞰し、遅れた、困った地域(世界の厄介者)として見がちなアラブ世界にも、その言い分はあるし、世界の他の地域の人びとと同じように、彼らもグローバル化した現代世界を生きているのだということを伝え、その地域に声を与えてアラブ世界の理解を広めてゆく、そんな志向があったと言っていい。アルジャジーラはまた、アラブ世界に閉じこもることなく、むしろその外に身を開くように、ほどなく英語放送も始めた。

 その効果は絶大だった。実際にイラクがどうなっているかを現地から報道する。もちろん、フセインによるクルド人弾圧も報道する。パレスチナの状況についても、「西側」の常にイスラエルの側から見る報道と違って、現地から出来事を報道する。そして、9・11後も、世界から「テロリスト」として指弾されたウサマ・ビンラディンのインタヴューを撮って世界に配信した。

「メディア・ウォール」を破る

 アルジャジーラについてはもちろん功罪がある。このテレビ局ができてから、モロッコからインドネシアまで(合州国でももちろん)貧しい地域の住宅街にもその放送を受信するためのパラボラアンテナが林立するようになった。それほど、世界に広がるムスリムは、アラビア発の自分たちの共通語で発信される情報を渇望していたのである。グローバル規模のウンマ(ムスリムの共同体)の蘇生と言ってもいいかもしれない。

 アルジャジーラはウサマ・ビンラディンに発言を許した(それがなくてもわれわれはBBCの調査報道などで、彼らがCIAの支援訓練を受けてアフガニスタンで反共イスラーム戦士としてソ連軍と闘い、その後アメリカが聖地サウジ・アラビアに軍を置いたため、アラブ・イスラーム地域で恒常戒厳令のエジプトを脱して反米イスラーム戦士となったアイマン・ザワヒリと合流し、アラブ・イスラーム地域での反米闘争を組織するようになったといった事情、またタリバーンはアフガニスタンの戦災孤児を育てるパキスタンのマドラサ(イスラーム世界の教育機関)に、やはりCIAが支援して反共イスラーム少年兵に仕立て上げようとした産物だということも知っている。そしてアルカーイダというのが、アメリカの言うような組織化された戦闘集団ではなく、むしろアメリカの戦略が生み出した組織だということも…)。そのため、アメリカに「テロリストの放送局」と見なされるようになり、アフガニスタンでもイラク(バグダッド)でも、支局が爆撃を受けている。

 そして実際、米欧の空爆で立ち上る粉塵の向こうに隠れる地上の現場の状況を伝えたりすると、視聴者からはアメリカの独善とその欺瞞的破壊や制圧に対する怒りが広がり、その意図がなくとも世界各地から(とりわけアラブ地域から)は、無謀な「カミカゼ」――世界では自爆攻撃のことを「カミカゼ」と呼ぶ――に身を投じる若者たちが出てきてしまう(年寄りは余命短いし諦めがつくが、将来に閉塞しか感じられない若者たちはそのことでやり場のない怒りを爆発させて「自爆」する)。その結果、中東の米軍に対してだけでなく、欧米各地で「テロリスト」が頻出するようになる。

 アルジャジーラの報道が、そうした現象を助長したことは否めないだろう。だが、既存のグローバル・メディアによって「ユニラテラル(一方向的)」に覆われ見えなくなる事実・現実を報道すると――それを「メディア・ウォール」と呼ぼう――、そのようなネガティヴな効果を引き起こすのは、アルジャジーラの報道のせいというより、むしろそれによって照らし出される世界の情報政治的構造のせいと言うべきだろう。

 アメリカはすぐに、親米国を拠点にカウンター・メディアを作らせるが、しかしそれは初めから御用メディアとみなされる。国際社会の毀誉褒貶[きよほうへん]にもまれながら(またおそらくカタール政府の意向もあって)、アルジャジーラはしだいに「穏健路線」(つまり西側にも受け入れられるような、グローバル・メディアにより近づくような)をとるようになるが、それでもアラブ世界からの情報発信という姿勢を譲ってはいない。

 付言しておけば、アルジャジーラに刺激されて、ラテン・アメリカでもベネズエラでスペイン語テレビ局エル・スールが開局された。米欧のグローバル・メディアとは違った中南米の地域的立場からの情報発信を行っている。