ラムちゃんの虎皮ビキニ

 前回はお釈迦様が地獄に落ちる話でした。地獄と言えば、鬼がいて悪いことをした亡者たちを苦しめるところであって、その鬼については、虎皮の腰巻や幅広の褌(ふんどし)をしているというのが今日のイメージです。童謡やドリフターズの替え歌では、鬼は虎皮のパンツを履いていることになってますね。

 1970年代後半から1980年代にかけて漫画雑誌に連載され、後にはテレビのアニメ番組となって大人気となった高橋留美子『うる星やつら』でも、鬼の娘である可愛くて気まぐれなラムちゃんは、セクシーな虎皮のビキニを身につけていました。

 膝下まで届く長いブーツも虎皮でしたね。たまに登場する両親も、父親は囚人服のような虎皮の服、母は色っぽい虎皮のチャイナドレスであって、幼い従兄弟のテンちゃんは虎皮のおむつをしていたように覚えています。

 こうした衣装は、ラムちゃんの一族は鬼星に住む鬼族という宇宙人だったという設定のためです。鬼は、赤鬼にしても青鬼にしても、虎皮の腰巻ないし幅広い褌のようなものをまとった姿で描かれるのが普通ですので。しかし、なぜ虎皮なのか。

鬼門が丑寅の方角だからではない

 ネットで検索すると、風水では鬼が出入りする鬼門と呼ばれる方角は、十二支では丑寅(うしとら)に当たるため、鬼は虎皮をまとっているのだ、などと説明するものが多いですが、江戸時代の俗説にすぎません。

 そもそもインド仏教では、地獄に「鬼」はいませんでした。インド仏教では三悪趣、つまり、死後に生まれる三つの悪い世界というのは、ナラカ又はニラヤ(地獄)・プレータ(餓鬼)・ティルヤグヨーニ(畜生)であって、プレータというのは、前世の悪業によって食べ物や飲み物がのどを通らない痩せ細った姿に生まれ、苦しむ存在です。これに「餓鬼」という訳がなされたのは、飲食できずに「餓」えているからであって、「鬼」というのは漢語では死者の霊のことです。中国では、「鬼」は、何かの折に恨みのある人の前に恐ろしいザンバラ髪姿などで現れることもあるものの、一般には目には見えない存在とされています。

 インド仏教では、悪い言動をした親や祖先はプレータの世界に生まれて苦しんでいるとされることが多く、そこからいかに供養して救いだすかが問題でした。こうした考えは「孝」を重んじる儒教の思想と相性が良いうえ、漢訳語の「餓鬼」は「鬼」の字を含んでいますので、これによってプレータが死んだ父母や祖先の「鬼(霊)」と結びつくことになりました。ただ、餓鬼はぞっとするような姿をしているものの、むしろいじめられる側の存在です。

獄卒とシヴァ神

 問題は地獄です。インド仏教では、地獄で亡者たちを痛めつけるのは、ナラカ・パーラ(地獄の門衛)と呼ばれる恐ろしい風貌の者たちでした。これは狂暴な看守のような存在ですので、「獄卒」と訳されることが多かったのですが、「守獄之鬼」とか「獄鬼」と漢訳する経典もあったため、東アジアでは地獄に「鬼」がいることになったのです。

 獄卒が鬼とみなされるようになったもう一つの原因は、夜叉(ヤクシャ)でしょう。インドでは、半神半魔の性格を持った夜叉は、恐れられると同時に信仰の対象ともなっていました。幼い子たちをさらって食べていた鬼子母神なども夜叉であって、釈尊の教えによって仏教の守り神に転じたことになっています。

 その夜叉は、地獄・餓鬼などと同様、悪業を重ねると夜叉に生まれるとされていました。夜叉は「鬼神」と訳されることもあったため、地獄で亡者を苦しめる役割も果たすとみなされるようになったようです。この点は、人肉を食らう醜悪な羅刹(ラークシャサ)と呼ばれる悪鬼も同様です。これも、東アジアでは地獄に鬼がいるとされるようになった一因でしょう。

 さて、地獄の獄卒は恐ろしい存在ですので、夜叉や羅刹は、インドの恐ろしい神々の風貌を帯びるようになります。そのインドで最も強力な神と言えば、シヴァ神でしょう。このシヴァ神こそ、虎皮の腰巻の元祖なのです。

 神話によれば、対立していた仙人たちがシヴァ神に虎や毒蛇をさし向けると、シヴァ神は虎の皮をはいで腰巻にしてしまい、毒蛇は首に巻いて首飾りにしてしまったとされています。この神話は人気があり、シヴァ以外の神々の中にも、そうした姿をとる神が出ています。

 また、森の中で粗末な食べ物を食べて苦行に励むインドの修行者は、俗世間から離れていることを示す印として、鹿皮の衣を身にまとうことが多かったようです。上半身は裸で、皮の衣を腰に巻いたり、片方の肩から腰にかけてまとったりするのが普通ですが、相撲取りの稽古用の幅広い褌のような形にして締める例も見かけます。また、シヴァ神を真似てのことか、虎皮その他、猛獣の皮を身につける者たちもいたようです。

 釈尊当時も、他の系統から釈尊の教団に転じたきた弟子たちの中には、そうした者たちがいたため、律では「ライオンの皮、虎の皮、豹の皮」を初めとする大きな動物の皮を衣とすることを禁じています。「鹿皮」も含まれているものの、リストの後の方になって出てくるのは、ライオンや虎や豹のように、他の動物の肉を食らう猛獣ではないためでしょう。

仏教に取り入れられたインドの鬼神

 仏教は、多様な神々を崇拝して宗教儀礼に努めるバラモン教を否定していたものの、バラモン教が民衆的なヒンドゥー教となってインドの神々の人気が高まると、その影響が強まっていきました。仏教風な神格に改めて「菩薩」や「護法神」としたりする形で、そうした神々を取り入れていったのです。

 この結果、『過去現在因果経』では、釈尊が坐禅に励んで悟ろうとしていた際、魔王がそれをさまたげるために「虎の皮、あるいはライオンや蛇の皮を身につけ、あるいは蛇を身体にまとわらせ」、恐ろしい様子で威嚇したとされていたのに、後になると、虎の皮を身につけた仏教の守護神が登場するようになりました。

 たとえば、夜叉の一種であるクンダリー女神を仏教を守護する明王(みょうおう)に改めた軍荼利(ぐんだり)明王について、唐の青竜寺の法全(はっせん)が著した儀軌(ぎき|密教儀礼における像や絵の作成法、修法の仕方などを説いた文献)では、「眉をしかめ、笑ったり怒ったりする表情で、虎の牙を上あごと下あごに現わし、種々の武器を持ち、……髮は赤くまいあがって乱れ……虎の皮を縵跨(たるんだ股割れ袴)とし」と記されています。ほとんど、地獄の鬼の様子そのままですね。

 さらに、金剛智訳の『仏説金色迦那鉢底(がなぱってい)陀羅尼経』は、ガナパティ、すなわちヒンドゥー教で大人気である太鼓腹の象神、ガネーシャを仏教に取り込んでそのダラニ (特別な威力を持った呪文)を説いたものですが、ガネーシャの右に四大薬叉(やくしゃ)を画くとしており、それぞれ武器を手にし、羊頭・猪頭・象頭・馬頭であって、「皆な虎皮の褌を著す」と記されています。

 さらに、炎の神である烏樞沙摩(うしゅしゃま)明王について、『陀羅尼集経(だらにじっきょう)』は、明王の左腕にからむ「二龍王」は「皆な青色にして、各の脚脛を絞(し)め」ているとし、明王の像は「腰に虎皮の縵胯を下し」ていると述べています。「脚脛を絞め」るとは、四天王などの武神がすねに巻いているプロテクターのようなものですね。

今日イメージされる鬼へ

 お気づきのように、地獄の鬼の姿はこれでほぼ揃いました。ただ、経典は地獄の描写は詳しいものの、獄卒の衣装などについては細かく記していません。そのため、地獄絵を描く絵師は、密教系の経典や儀軌で説かれている恐ろしい風貌の明王やその周辺の夜叉などの様子を僧侶から聞き、それを手本にして獄卒を描いたのでしょう。

 それだけに、虎の皮という点と褌という点をどう描くか迷ったものと思われます。日本の各地に残る新旧の地獄絵では、地獄の鬼は、虎皮の腰巻きをしているだけだったり、布の褌だけだったり、虎皮を幅広い褌のように巻いたり、虎皮の腰巻きの上に布の褌をしていたり、腰巻きの下に布の褌を締めていたりしています。

 これは中国も同様だったようです。中国の地獄絵では、獄卒は中国の役人のような衣装や、四天王のような衣装を身につけたものが多いのですが、清朝末期に描かれた岱岳(たいがく)の廟(びょう)の地獄絵では、閻魔王の前にいる牛頭の鬼は猿股のようなものの上に虎皮の腰巻をしています。

 一方、日本の場合、12世紀頃の作とされる国立奈良博物館所蔵の「地獄草紙」では、様々な様子の獄卒が描かれており、その中には虎皮の腰巻きの上に幅広の赤い褌を締めた鬼も見られます。こうした獄卒が現在我々が思い浮かべるような、頭に短い二本の角を生やして虎皮の腰巻をしたやや愛嬌のある鬼になるのは、江戸中期以後のことのように思われます。

 その一例である富山県立図書館所蔵の「越中立山開山縁起大曼荼羅」では、角をはやした赤鬼と青鬼が虎皮の腰巻をし、虎皮の脚絆(きゃはん)をしています。ここまで来れば、ラムちゃんの虎皮ブーツの由来も見えてきますね。作者の高橋留美子さんは、そうした鬼の絵を見てラムちゃんの衣装を工夫したのでしょう。