前回は地獄の鬼の話でした。仏教では、人が死んだ後に生まれる世界のうち、地獄・餓鬼・畜生のあり方を「三悪趣」、つまり三つの悪い世界と呼んでいました。畜生といってもことらさらにおとしめた意味ではなく、要するに動物のことです。

 地獄・餓鬼・畜生以外については、パーリ語経典に基づく南方の仏教では、天(神々)の世界と人間世界があるため、全部で五道(五つの行く世界)となるとし、北方のルートを通って漢字文化圏諸国に伝えられた仏教では、これに神と人の間の性格を持つが戦い好きで人間より劣るとされる「阿修羅」を加え、六道としています。

 では、動物は死ぬとどうなるのでしょう。仏教では動物は心を持った生き物とみなしますので、死後どの世界に生まれるかは、心に基づいてなされた善悪の行動次第とします。ですから、お経が読まれるのをじっと聞いていたとか、仲間の動物を助けたとかすれば、より良い世界に生まれることができるとするのです。

 それはあくまでも自業自得ですが、仏教では善行によって生じた功徳を自分以外の人に回向(えこう)するという便利な手があります。つまり、亡くなってしまってどうすることもできない人のために、代わって善行をおこない、功徳をその人に振り向ければ、その人はより良い世界に生まれることができるのです。

 そこで亡くなった人のために追善供養がおこなわれるわけです。そうなれば、かわいがっていた動物が死んだ場合にも追善をしたいと思うのが人情でしょう。実際、中国では早くからそうした動物供養がおこなわれていました。

動物のための「願文」

 1900年に敦煌の莫高窟の石室から発見された大量の写本の中には、貴重な禅文献などだけでなく、追善供養をおこなう際、良い世界に生まれるよう願って僧侶が読みあげる「願文(がんもん)」を集成した文献も多数含まれていました。つまり、父母が亡くなった場合はこのように述べるとか、子供が死んだ場合はこう述べるといったお手本を集めたマニュアル集ですね。

 面白いことに、そうしたマニュアル集の中には、死んだ動物に対する願文も含まれていました。たとえば、イギリスの大英博物館が所蔵する敦煌写本、スタイン文書5637は唐代の願文集の断片であって、亡くなった父・母、男の子、女の子、賢者、女性仏教信者、下男、下女などに対する願文の後に、馬、牛、犬に対する願文が続いています。

 そのうちの犬の項の願文は、「恩義を知り飼い主を恋い、朝夕、門庭を守り、親しい者とそうでない者を弁別し、家の内外を守り、邸内をめぐり、落ち葉が動けば最初に驚いて(あやしい存在に)気づき……」云々となっています。法要では、僧侶がこうした美文を朗々と読み上げて忠義な犬であったとほめたたえ、良い世界に生まれるよう願うのですね。

 日本でも、歴史物語の『大鏡』は、亡き愛犬のために法事をしたいとする人に頼まれた説法の名手の清範法師が、「ただいま、この世を去った聖霊(しょうりょう)は、極楽の蓮の台(うてな)の上でワンとお吠えになったことでしょう」と述べたため、聴聞していた人々は、わいわい笑って帰っていったと述べ、「蓮台の上でワンと吠えるとは、たいへん瓢軽(ひょうきん)な往生人ですね」と評しています。

 清範は中国の願文集の類も見ていたと思いますが、敦煌の願文集の場合、動物が浄土に生まれるよう明確に願った例はないように思われます。上の写本の牛の願文にしても、牛が病気で死んでしまったため、法要をおこなうと述べ、この牛は形も色つやもすぐれており、力強さは抜きん出ていて、農耕・運搬で活躍したため、この追善法要によって「願わくは人の形に生まれ、功徳を修め、転じて天に生まれるように」と願っています。

 つまり、来世は人間に生まれ、仏教を信じて善行に努め、その功徳によって天に生まれるよう願っているのです。仏教説話集によっては、牛がどこからともなくやって来て寺の造営を手伝ったなどといった話を伝えているものもあるように、動物でも仏教的な善行は可能ですが、とりあえずは、言葉を話せず、重労働させられる動物の身を脱し、人間に生まれるよう願う、というのが現実的でしょう。

「不二の門」を悟る馬

 ただ、亡くなった動物が賢くて可愛い場合、遠い目標とするにしても、それ以上のことが願われる場合もあります。上記の写本のうち馬の願文では、死んだ馬を「駿馬」と呼び、性質が「最良」であって、雲が天に昇るように、また流星が霧の中に飛び込むように疾走したと述べ、飼い主を恋うことは賢臣が君主を慕うようであって、恩義をわきまえていたなどと賞賛の言葉を連ねています。

 ただ、この馬がそのようになったのは、飼い主が「仁慈」の心の持ち主で親切に育てたためであるとして、施主のことを持ち上げるサービスもしており、最後はこの法会の功徳によって亡き馬が三悪趣を永遠に離れ、正法を聞いて真理を悟り、「早く不二の門に登り、因(よ)りて四生(ししょう)を越える」ことが願われています。

 「不二の門に登」るとは、有名な『維摩経(ゆいまきょう)』の不二法門の記述が示すように、二元対立の世界を離れた悟りを得るということであり、智恵で知られる文殊菩薩ですら完全には体得できていないとされる高い境地に入ることです。

 「四生」とは、鳥のように卵から生まれるもの、哺乳類のように胎盤から生まれるもの、蚊のように湿ったところから発生するもの、菩薩の化身のように神通力によって生じるもの、つまり、命あるものの四つの生まれ方であって、「四生を越える」とは、生き物が免れない輪廻の世界から脱することを意味します。

 これだと、死んだ馬がいきなり仏になってしまうようですが、誉めすぎと思ったのか、弥勒菩薩が兜率天から地上に下りて来て法を説く際、聴衆の先頭にいることができるよう願っています。この説法を聞くと来世で仏になれるため、実際には人間、それも最も仏教修行に適した環境に生まれることになります。ですから、「不二の門に登る」などというのは、遠い将来の話か、さもなければ仏教理解が進むということを大げさに述べたものなのでしょう。

 実際、動物については区別せずに「畜」という項目になっているスタイン文書4081の願文集では、畜生の身を脱し、正法を聞いて真理の世界と一致するなどと述べているものの、その後、劣った身を捨てて「天堂」に生まれるという素晴らしい結果を得られるようにと願っています。これだと、真理と一致して仏になるようであるものの、実際には仏教の教えを聞いて理解が進むという程度であって、具体的な目標は天の世界に生まれることになります。

リストからはずれた猫

 この数十年、日本で盛んにおこなわれるようになったペット供養では、主な対象は犬と猫ですが、敦煌写本中の願文類を読んでいて気づくことは、当時の中国で追善法要をおこなうほど大事にされていた動物のリストに猫が入っていないことです。

 パリのフランス国立図書館所蔵の敦煌文献のうち、ペリオ文書2940では、動物の追善については、本文無しで「馬死、牛死、駝死、驢死、羊死、犬死、猪死」という項目だけがあげられています。「猪」というのは、中国語では豚のことです。

 牛や馬と同様、駱駝や驢馬といった作業に役立つ家畜が加わっていますね。羊の場合は、毛をとるとか皮を利用するといった目的もあるにせよ、羊と豚は主に食用でしょう。そうした動物のために願文を読むというのは、追善というより、現在なら動物を屠殺して食肉用に加工する処理場や動物実験をおこなう研究室などの供養に近そうです。

 いずれにしても、猫は主な追善の対象とはされていないのが不思議です。隋唐の戒律や菩薩戒の注釈には、僧侶は犬や猫を飼ってはならないと記されているため、そうした例があったことは確かですし、「南泉斬猫」の公案が示すように、禅宗文献には、寺の中で僧たちが可愛い猫を我がものにしようと争っていた話も出てくるのですが……。

 また、先に見たスタイン文書5637で注目されるのは、「賢者」の願文のお手本として、幼い頃から聡明であって儒教・仏教・道教の三教に通じていたといった褒め言葉が連ねられ、「教化して禅宗を広めた(闡化禅宗)」とあって「禅宗」の語が見えている点です。この写本は、皇帝の名の呼び方から見て716年から754年頃の作と推定されています。禅宗研究者の蒋海怒さんに知らせたところ、現存資料から見る限り、これがいわゆる「禅宗」という語の最も早い用例かもしれないとのことでした。

 その直前の部分では、この「賢者」は如来の教えを「頓証(とんしょう)」した、つまり、すみやかに一気に体得したと述べていますので、当時は修行を重ねて段階的に悟っていく「漸悟」ではなく、一気に悟る「頓悟」を説く系統の禅宗が既に広まっていたことが分かります。「賢者」と記されていて僧や尼とは区別されている以上、在家の男性仏教者である居士(こじ)ないし出家したものの正式に受戒していない禅修行者ということになり、しかも教化したというのですから、人々を禅によって導いていたことになります。

 この文書はお決まりの表現ばかりですので、その種本となった願文集は、これよりさらに早くに成立していたでしょう。ですから、頓悟を説く禅宗は、8世紀前半にはかなり広まっており、居士が重要な役割を果たしていたことが知られます。

 現在の日本では江戸時代にできた檀家制度が崩れ、一般人の寺離れが進みつつある一方で、ペットの家族化が進んでペット供養が盛んになっていることが示すように、葬式や法要というのは、社会のあり方を示すものなのです。