量子論が言うような、マイナスのエネルギーの物体が現実にあるかないかってことは、実際には分からないわけです。定義からして見えないから分からないんだけど、そういう仮説で基本的なモデルを立てて、それですべての現象が過不足なく説明できるんだったら、それはあるということにしませんか、と。

――「ある」とはどういうことか、っていう話ですね。

 この問題は哲学的な要素もあるんですけどね。物理学の世界で「ある」ということの議論がいちばん盛んだったのは、20世紀の始めぐらい。何かっていうと、原子です。

 われわれはいま、みんな原子が当たり前に存在すると思ってますよね。この机も、水も原子の固まりだと一応は知ってるでしょう。でも20世紀の初め、1910年ぐらいまでは疑っている人も多かった。

――原子というものを、ですか。

 そう。原子なんていうのは便宜的な考えだ。さっきの真空の話じゃないけど、自分の都合がいいように考えているだけであって、実際はそんなものがあるかないか分からんじゃないか。あると言うならちゃんと見せろというわけです。どうしてもそうなるわね。

――ですよね。

 ところがその当時は見せられなかったわけ。で、原子を人々が見たのは、1990年代ですよ。

――えっ、そうなんですか。

 日本の日立をはじめとした電機メーカーが非常に高級な電子顕微鏡で、原子一個一個を見えるようにしたんです。これが原子だと。それでやっと見えた。100年間、人々は見えなかったんだけど「ある」と考えてきたわけです。原子という存在を仮定して、それでいろんな事柄が論理的に説明できるのなら、あるとしたほうがいいではないかって。

 直接見えなくても人々は信用しちゃう。信用しちゃうというか、原子はあると信じるようになった。実際に証明して、見えたのは100年も後なのにね。だから、われわれが原子を見てからまだ30年くらいしかたってない。

――おもしろいですねえ。

 科学者というのは必ず分かっていることを出発点にして次々と論理を重ねていくんですけど、それに変なごまかしや怪しい組み合わせがなくて、かつ、その論理のつながりの結果として得られた現象がぜんぶ整合的に説明できるのであれば、それは「ある」とするわけです。見えなくても、あるとした方がよろしいと。人間ってそういうふうに考えるのが普通というか、その方が安心なんだと思いますね。

――それが物理学という学問のプロセスなんですね。

 逆に言うと、それが正しくないということもあり得ると、われわれは常に覚悟している。ひょっとしたら間違ってるかもしれない。論理的な積み上げの中で出てきたものだから、本当に目に見えるようにできないこともあるわけです。

ブラックホール

 あるかないかでいうと、ブラックホール。これも市民権を得ているでしょう。

――そうですね。

 みんなあると思ってるわけ。

――えっ、私も思ってました。

 いや、あるでしょう。でも誰も見ることはできないわけね。ブラックホールは、それこそブラックだから。光さえも吸い込んでしまうから、絶対に見えないんですよ。

――あ、そうか。ブラックホールは、じゃあ、原理的に見えないものなんですね。

 原理的に見えない。でも存在するとみんな思ってるわけ。ブラックホールの内側は見えないんだけど、そのすぐ外側ではいろいろな物理現象が起こっていて、それは観測できる。で、その現象の原因がブラックホールだと考えると、全部がうまく説明できる。だからあるのだろうって。

――ブラックホールっていうのは、そもそもどういうものなんですか。

 かんたんに言うと、非常に重力が強くて、光といえども出てこれない物体のこと。たとえば太陽くらいの質量のものを直径1キロぐらいのサイズまで縮めるとブラックホールになる。宇宙のスケールからすると小さなごみみたいなのものだけど、非常に重力が強い。地球の場合は直径5ミリぐらいまで固めないとだめですね。

――地球を5ミリに……。すごいですね、それは。

 仮に5ミリのブラックホールができたとするでしょう。でもわれわれは、その5ミリのすぐそばまで行かないとブラックホールだということに気が付かないわけですよ。5センチとか10センチ離れると、ブラックホールがあってもなくても、おのおのが普通の万有引力を及ぼすだけになる。ブラックホールという特徴はごく近くに行かないと分からない。

――ある所にブラックホールがあったとして、その近くを光が飛んでいくとブラックホールの強烈な引力に引っ張られるわけですよね。

 そこに吸い込まれていくわけです。

――光がそこで止まってしまうということですか。

 たとえば太陽が1キロぐらいのブラックホールになったとしたら、われわれにもかなり見えるでしょう。あんまり遠くまで行ったら見えないから、太陽系の内部にはいる必要があるけど。そこに光がずっと近づいていって、その表面でまさに止まったように見えるという現象があって、初めて、ブラックホールの存在が証明される。直接はブラックホールの周りの光の運動を見てるだけでもね。

――そういう現象は実際に観測されているんですか。

 いや、まだ。ブラックホールはそれほどゴロゴロあるわけではないからね。

――星が爆発して、その後でギュっと収縮するとブラックホールになるんですか。

 そう。太陽はそのままではブラックホールにはならず、白色矮星(わいせい)と言われるものになる。地球よりは密度がずっと高いんだけど、半径が1000キロぐらいの塊でもう止まっちゃう。

――そうなんですね。

 星が爆発したあと、周りをギュッと押し込めないとブラックホールにはならない。地球のような星には押し込めるプロセスはないから、地球のようなブラックホールはないと普通は考える。無論、ひょっとしたら特殊なケースがあるかもしれないけどね。ブラックホールにするにはギューッと縮める何らかの作用が働かないとダメ。

――外から何らかの力が働かないと……

 基本的にはそう。自分の万有引力では絶対にそんな収縮は起こらない。万有引力だけでは、そのものが持つ抵抗力で止まっちゃってそれ以上は縮められない、固められないわけです。