――民主主義は古代ギリシアからはじまったとよく聞きますが、起源を考える上でポイントになるのはどういったところですか。

 民主主義の起源をどこに見るかというのは、実は論争の的です。クリティカルな研究者ほど、古代ギリシアとは言いたくない。もっと多様であるという意見が近年特に多くなっています。

 デモクラシーの語源は古代ギリシア語の「デモクラティア」なので、そういう意味では古代ギリシアで生まれたことに間違いはないのですが、この言葉を構成している「デーモス」(=民衆)は、古代ギリシアに限らず、当時のメソポタミアで広く使われていました。このことから、みんなが集まって何かを決めるということは、少なくともメソポタミアの各地で起きていたのではないかという議論があります。

 最近でいうと、ネイティブアメリカンの「イロコイ族」の集会が合衆国の建国に影響を与えた――学説的には論争気味ですが――ということで、連邦議会が先住民への感謝を決議したことが話題になりました。つまり、集会による意思決定そのものは、人類が広く世界中で行ってきたことだと思います。

 ではなぜ、古代ギリシアが起源といえるのかということですが、先ほどのデモクラティアという言葉。これはデーモスとクラトスに分解でき、後者は力とか支配を意味するので、直訳すると「民衆の力」「民衆の支配」といった意味になります。この対義語にあたるのは例えば「アリストクラティア」で、「優れた少数者の支配」という意味です。つまり、王様や貴族といった一人もしくは少数者ではなく、その社会で多数を占める人びとが自ら意志決定を行う政治体制。それが最初に確立されたのが古代ギリシアだったわけです。

――単に集まって何かを決めるというのではなく、「民衆の支配」と呼ぶところまで理論化されたわけですね。そのデモクラティアは、どのように実践されたんですか。

 古代ギリシアのアテナイではプニュクスと呼ばれる丘に人びとが集まり、軍事や外交を含む政策について代わる代わる演説をして、最終的には議案を採決にかけました。これを「民会」といいます。ポイントはアテナイの全市民――といっても女性や奴隷が排除されていたり、男性市民でも父親がアテナイの市民であることが条件だったので重大な留保付きではありますが――が民会に参加し、平等に発言する権利を持っていたということです。

 もちろん、発言したからといってその通りの決定が下されるとは限らないのですが、誰もが自分の意見を述べ、他の人の意見も聞いた上で結論を出す。そして、そこで決まったことに関しては、たとえ自分の意見と違っていても、自発的に従わなければいけない。このことが非常に重視され、貫徹されました。

――みんなが参加することにこだわったのはなぜでしょうか。

 古代ギリシアに限らず、われわれにとって嫌なことは何かって、自分の生活や未来に影響を与えるようなことが、自分の知らない所で勝手に決められることだと思うんです。だから、自分の思った通りに決まるかどうかはともかく、少なくとも民会に参加し、望むらくは自分も発言して、意志決定のプロセスに関わったという実感を持つことが大事だと考えたのではないかと思います。

――たしかに、自分が関わったと思えば、決まったことへの責任感も生まれそうですね。

 ですよね。それに、民会における発言は実際に責任を問われました。誰がどんなことを言ったかはちゃんと記録されていて、たとえば、ある発言がきっかけで無謀な戦争になったということがあれば、その発言の主は後で厳しく追及されたんです。

 ここまで徹底して人びとが参加し、その結果としての責任を追及する仕組みは、古代、あるいは近代を見渡してもなかなか例がありません。ですから私は、教科書通りで、学者の間では守旧派と言われそうですけど、民主主義の起源を古代ギリシアに見る立場をとっています。

君主制、貴族制、民主制

――ところで、民会にはどれくらいの人が参加していたんですか。

 古代ギリシアのポリスには最大で4~5万の市民が住んでいたので、恐らく数千から数万人が一堂に会していたと思われます。

――そんな人数で議論していたらしっちゃかめっちゃかになりそうですね。

 ですので、決めるべき議案を事前に準備しておき、各自が意見を述べ終わった後で、参加者全員に賛成か反対かで手を挙げさせていたようです。それには当然、議案を作成したり、会の進行や採決を請け負ったりする役が必要になるのですが、その役は基本的にくじ引きで選んでいました。

――えっ、くじ引きですか?

 今でいうと官僚のような役割ですが、それさえも一部の特別な人ではなく、誰にでもあたる可能性があったわけです。われわれの社会でも、たとえば地域の集会なんかでは大体年長の男性がその場を仕切っていて、若い人や女性はあまりしゃべれなかったりしますよね。そういうことがなるべく起きないように、ある種のランダムさや偶然性を取り入れたのだと思います。

 もう一つ付け加えると、アテナイでは裁判も民衆が行っていました。いくら裁判員制度が導入されたとはいえ、われわれにはどこか「司法はプロに任せた方がいい」という気持ちがあると思うのですが、古代ギリシア人は違います。裁判もみんなが意見を出し合って決めるべきであり、一握りの「プロ」が決めたことに従うのはおかしいと。ただ、有名なソクラテスはこの民衆裁判によって死刑になっているので、みんなで決めたことがいつも正しいとは限りませんが。

――そもそもになっちゃうんですけど、民主制を採用したアテナイはポリスの一つで、古代ギリシアには他にもたくさんのポリスがあったんですよね。

 その通りです。ポリスは都市国家と訳されますが、その一つひとつが独立した国家で、総数は1500にも及びました。ペロポネソス半島というのはすごく山が多く、今でも行けばわかるんですけど、決して大平原ではありません。それで結局、統一国家が生まれなかった。

 言語や文化は共有されているので同じギリシア人だという意識はあったようですが、国家を運営していく仕組みは各ポリスで異なっていました。恐らく、実験しているような感覚があったんじゃないかと思います。王制がいいのか、貴族制がいいのか、それとも民主制がいいのかって。それでお互いに比較し合って、あそこはなかなかうまくいってるなと。

 アリストテレスが『政治学』という本の中で君主制、貴族制、民主制という議論をしていますけど、それは学者が頭の中でひねり出したのではなく、古代ギリシアには実際にぜんぶあったわけです。

――その中で民主制を発展させたのがアテナイだったわけですね。

 アテナイと並んで有名なポリスにスパルタがありますが、あそこは貴族制というか、少数の支配民族が他の被支配民族を統治していました。「スパルタ教育」という言葉の通り、支配民族の間では子どもを非常に厳しく教育しましたが、それはぼけぼけしていると体制をひっくり返されるからです。ですから、古代ギリシア人の中で、民主制がいいのか貴族制がいいのかというのは、アテナイがいいのかスパルタがいいのかという話とつながっていて、非常にリアルな問題だったのではないかと思います。