――古代ギリシアの民主制と並ぶものとして古代ローマの共和制があるとのことですが、これはどういうものですか。民主制との違いがいまいちわからないのですが……。

 民主制と共和制の区別って、あまりぴんとこない話ですよね。どちらも「王様のいない政治体制」といった程度の説明しかしてない辞書もあるので、違いがわからないのも無理はないと思います。しかし、歴史的に見ると両者はある意味対立的な概念で、西洋の思想家や理論家の間では、民主制と共和制を比較する発想がずっとありました。

 どう違うかということですが、ローマはもともとアテナイやスパルタと同じ都市国家としてスタートしたんですね。もともとは王政だったのですが、前509年に第7代の王であったタルクィニウス・スペルブスを追放し、そのときに自分たちの国のことを「レス・プブリカ」と呼びました。レスは物という意味で、プブリカは公共、つまり「公共の物」という意味です。

 要するに、国というのは一人の王様やその家系の人間の所有物ではなく、公共の物である。従って、政治は、特定の人の利益ではなく、国全体の、公共の利益をめざして行われなければならない。そういう理念に基づいた仕組みづくりが進められました。ちなみに、この「レス・プブリカ」は、英語のリパブリックやフランス語のレピュブリックの語源です。

――具体的にはどんな仕組みなんですか。

 先ほどアリストテレスが君主制、貴族制、民主制の議論をしていると言いましたが、『政治学』の中で彼はこんなことも書いているんですね。

 君主制では、優れた君主が善政をしくということも時々はあるが、世襲で2世3世となるにつれて大抵はダメになる。少数のエリートが支配する貴族制はどうかというと、結局はそのエリートが利益を独占して民衆を無視するようになる。民主制はたしかに平等かもしれないけど、今度は誰も責任を取らない衆愚政治に陥ってしまう。つまり、どの政治体制も堕落すると。

 そこで古代ローマ人は、だったら三つを組み合わせればいいと考えた。すなわち、一人の支配ということで「コンスル」という執政官を、少数の支配ということで名門の出身者で構成される「元老院」を、そして古代ギリシアの民主制の意図を汲んだ「民会」を置いた。これが共和制の仕組みです。政治体制の中に君主制・貴族制・民主制を組み込み、相互にチェックし合うことで暴走を防ぐ。これが全体として一番良くできてるんじゃないかと。

――たしかに良さそうな感じがしますね。

 この仕組みをそっくりパクったのがアメリカです。アメリカはコンスルの代わりに大統領、元老院の代わりに上院――上院を指すSenateはもともと元老院を意味する言葉です――、民会の代わりに下院を置いたわけです。

 共和制がこのように理論化された背景には、民主制では危ないという認識がありました。デモクラシーとは民衆の支配であり、多数者の支配である。しかし、多数者の利益を優先することは、少数者を無視することになってしまう。だからこそ、多数者ではなく、公共の利益が優先される政治体制=共和制が望ましいのだと。

 民主制は生まれてから2500年が経ちますが、実はその大半の期間で共和制より劣ったものというニュアンス、つまり悪口として使われてきたんです。

――そうだったんですね。

 古代から近代までの民衆というのは基本的に貧しいですから、その貧しい人たちが数に物を言わせて、俺たちに金をよこせ、食い物をよこせと騒いでいるのが民主制だと。

 アメリカは建国以来、民主主義の国だとよくいわれますが、その建国の父たちが書いた『Federalist』を読んでみると全然いい意味では使っていませんよ。民主制は古代ギリシアの非常に混乱した政治体制であり、そんなものを私たちは採用しない。アメリカは共和制の国であると。アメリカの大統領選挙には今でも「大統領選挙人」がいますよね。

――はい。各州の選挙で大統領選挙人を選び、その人たちが大統領を選ぶんですよね。なんでそんなまどろっこしいことをするんだろうと思っていました。

 今はもう完全に形骸化していますが、建国当時の意図は、民衆が直接大統領を選ぶのはリスキーなので、ワンクッション置いた方がいいと。大統領はちゃんともののわかった選挙人が選ぶことにして、民衆にはその選挙人を選ばせることにしたわけです。

――それだけ民衆を警戒していたというか、信用していなかったんですね。

 社会全体の利益を実現するには、民衆の声だけではなく、エリートの能力や大統領のリーダーシップが必要であり、それを取り入れたのが共和制だという理屈ですね。思えばアメリカの二大政党は「民主党」と「共和党」ですから、民主制と共和制を対比させる発想は今でも残っていると思います。

議会とは何か

――近代以降の国家や政治体制を見ていく上では「議会」が一つのポイントになると思うのですが、議会と民主主義にはどのような関連性がありますか。

 われわれはいま「議会制民主主義」とか「代議制民主主義」、または「間接民主主義」という言葉を、わりと普通に使いますよね。それについて、学校の教科書には大体こういう感じで説明されています。

 古代ギリシアの都市国家では、人びとは民会に参加して直接ものごとを決定した。それが直接民主主義だと。それに対して近代は一定の広さがあって人口も多い領域国家なので、みんなが集まれない。そこで自分たちの代表者を選び、その代表者たちの議論による決定をもって国民全体の決定とみなすという議会制民主主義、あるいは間接民主主義を採用した、と。はっきり言って、これは嘘だと思います。

――えっ、嘘なんですか?

 後になってでっち上げられたストーリーなのですが、一度定着してしまうとなかなか変わらない。学校の教科書って大体そういうものなんですよ。

 じゃあどこが違うかというと、さっきも言ったとおり、アメリカ建国の父は自分たちの政治体制を民主制だとはまったく思っていませんでした。選挙で議員を選ぶのは共和制であり、民主制は混乱を招く危険なものだと。つまり、18世紀終わりのアメリカ建国当時には「議会制民主主義」という概念はありません。恐らく19世紀以降に議会制と民主制をくっつけて、これも民主主義の一形態だということにしたのでしょう。

――なるほど。民主制とは関係ないとすると、議会というのは元々どういうものだったんでしょうか。

 議会の起源は中世ヨーロッパの封建社会にあり、王権と諸身分の代表者が課税について交渉するための仕組みとして生まれました。フランスの「三部会」を例にとると、聖職者、貴族、第三身分(平民)の代表者に対し、王が課税の承認を得るための場が議会です。言い換えれば、諸身分の利害調整のためのもの。なので、元々は封建制の産物であり、それが近代において独自に成長したと考えたほうがいいと思います。

 近代において議会は権力者の実行した政策に対し、その政策は正しかったのか、遂行の仕方に問題はなかったか、お金の使い方は適切だったかということをチェックして、その責任を追及するものになっていきます。権力者には説明責任があり、説明できないのであれば辞めさせるぞと。

――議会が権力を抑制する仕組みであるというのは一貫しているわけですね。

 そうですね。やや抽象的な言い方になりますが、国家と社会というものがあるとすると、社会の側がプレッシャーをかけてかけてかけ続けて、ようやく国家は説明する。たとえば現在の日本は官邸主導の下にあり、説明責任が果たされていないとよく言われますけど、私に言わせれば、それは社会からの圧力が弱いからです。圧力が弱ければ、古今東西、どんな為政者も絶対に喜んで説明なんてしません。国家に対して社会がいかにプレッシャーをかけ、説明責任を果たさせるか。その象徴が議会であり、そういう意味で議会は非常に重要です。

 しかしながら現在、世界中で議会がどんどん空洞化しています。権威主義的なリーダーがこれだけ目立つというのは、議会が権力を抑止する機能を果たせていないということです。

――日本でも国会への期待や関心はなかなか高まりません。

 元々は身分制の産物だったものを読み替えて、議会こそが国民全体を代表するものなんだと。その証拠に選挙で議員を選んでいるだろうというのが議会制民主主義の理屈なわけですが、では、われわれ民衆に政治に参加している実感があるのかというと……

――自信をもって、ある、とは言いがたいですね。

 古代ギリシアから続く民主主義の本質は、自分も参加したんだから、その決定には自発的に従おうということだと思います。しかしいま現実にあるのは選挙で投票するだけの議会制民主主義であり、その選挙も往々にして、あまり選びたくもない候補者しかいない。それなのに、自分で選んだんだから責任を持てと言われても、なんだかなあという気持ちになってしまう。

 つまり、民主主義が元々約束していたものと、現代のわれわれが手にしているものとの間には大きなギャップがある。それに気づいていないことが、民主主義に対する今日の不信感につながっているように思います。