仏教は何を説いてきたか後編】

石井 公成
interview #013
紀元前5世紀ごろのインドで生まれ、中国、朝鮮半島を経由して日本へと伝えられた仏教。その教えには無常」や縁起」といった普遍的な面がある一方、時代や地域によって変化してきた部分も少なくないそうです。仏教は一体どのようにして生まれ、どんな変遷を遂げてきたのでしょうか。アジア諸国の仏教と文化を研究する、駒澤大学の石井公成教授にお聞きしました。
<前編から読む
  1. 儒教との折り合い
  2. 神と仏
  3. 聖徳太子信仰
  4. 仏教と戦争

儒教との折り合い

――中国はもともと儒教の国ですよね。

 そうです。

――それで、インドから仏教が持ち込まれた時に対立が生じると。

 家族を捨てるとは何事だと。ほら、お釈迦様は出家をして悟ったでしょう。父母を大事にして跡取りを残し、一族を栄えさせるのが儒教だから、家族を捨てるのはとんでもないことなんです。それに対して仏教側は必死で言い訳をする。孝経こうぎょう)』という親孝行を説いた儒教の経典に、一番の親孝行は親を有名にすることだと書いてある。お釈迦様ほど親を有名にした人がいるかと。

――なるほど笑)

 そもそも、孝」という言葉はインドにはないんです。恩返しっていう言葉はあるけど。親、兄弟、先輩、先生、王様……、誰に対してもインドは恩返し。でも孝」は親だけですから。中国ではとにかく親は特別です。それともう一つの違いは、中国では国王の力が強い。インドは国王も強いけど、それより宗教者のほうが権威は上です。

――ヴェーダ』の影響ですね。

 本当に偉いバラモンと接するとき、インドの王様は、そのバラモンのドロだらけの足に頭を付けなければいけない。でも、中国ではそんなことはしません。日本でも絶対にしない。王の方が上です。すると、王をいかに擁護するかというのが仏教の仕事になる。

 仏教が入ったころの中国では、偉いお坊さんのいる国は栄えるという考えが広まっていました。すると、そうしたお坊さんを奪い取るために戦争する、といったすごいことになるわけです。

――家族を捨てて修行しなさいというのは、インドの部派仏教の考え方ですか。

 釈尊の仏教と部派仏教がそうでした。大乗仏教の方は、家の中で修行をしていてもいいわけです。ただ、後になると大乗でも出家して修行する人たちが出てきます。

――それで中国では、大乗仏教が主流になっていくと。

 やっぱり儒教的な面が重要でしょうね。儒教は、上から目線ですけど、他人のこと、民衆のことを考えてあげなければいけない。それが、すべての人を救うという大乗の考え方とマッチした。むろん、仏教を受容する際は、逆説的な老荘思想と否定の多い般若思想が似ていたといった面や、神仙思想との類似なども大きいです。仏は、最初は神仙思想の影響で、空飛ぶ仙人のようなイメージで受け止められますし。

 それと、大乗経典を漢訳した鳩摩羅什くまらじゅう)の役割が大きい。中国でも、伝統派の中には、大乗仏教は悪魔の説だと言う人がいました。でも鳩摩羅什が法華経』般若経』維摩経』その他を訳し、大乗を推奨したことで、結局大乗が主流になっていったんです。実はインドでは最後まで部派仏教の方が有力だったんですけど、中国の人はそんな実情を知りませんからね。最も優秀な羅什が言うんだからそうなんだろうと。

――儒教というのは簡単にいうとどういう教えなんでしょう。

 儒教は現世主義であの世のことは考えない。分からないことは言うな、神秘的なことは言うな、この世で励むのだと。第一に親孝行、次に忠義、仲間内では信義を守り、自分より下の人は思いやってあげる。徹底して現世での生き方の指針です。

――親孝行をいちばん重視するのはなぜですか。

 中国では孝」は宗教なんですよ。日本で親を大切にしないといったら不道徳ですよね。でも、中国の場合は罪、犯罪なんです。親が自分の子どもを不孝」で訴えるわけです。うちの息子は嫁の言うことばかり聞いて私に仕えない、不孝であるって訴えると、役人が息子を連れて行って罰するわけですから。

――法律みたいですね。

 法律で、かつ世界の根本原理なんですよ。

――そこには権力が民衆を支配するため、という側面もありますか。

 皇帝は民衆の父という位置づけですからね。

――ですよね。

 ただし皇帝より、本当の父のほうが上です。どっちを取るかと言ったら、儒教は自分の父を取る。

――そうなんですか。

 論語』にはっきり書いてあります。君主がもしも間違ったことを言ったら3回諫めて、それでも聞かなかったら国を出なさい。親の場合は3回諫めて、受け入れられなければ泣いて従いなさないと。

――親は絶対なんですね。

 韓国もそうですよ。日本だと自分の親は下げないといけないので、私が目上の人と話すときはうちの父はこれこれしております」ですけど、韓国では大統領と話すときでも、私のお父様は何々していらっしゃいます」です。孝がなによりも上。

――それは仏教が入ってきても変わらなかったと。

 韓国がそうした儒教国家になったのは李朝あたりからですが、中国では仏教が入って来た頃は既に儒教が主流でした。だから、仏教こそ本当の親孝行の教えであるといった擬経インドの経典になぞらえて中国で作成されたお経)をどんどん作ったわけです。そして、仏教は地獄や餓鬼の世界で苦しんでいるかもしれない親を救ってあげるのだから、こんな親孝行なものはないと説いたのですね。

――儒教的な価値観になんとかして取り入ろうとしたわけですね。

石井公成さんの写真

いしい こうせい 石井 公成
駒澤大学名誉教授

駒澤大学名誉教授。華厳宗・地論宗・禅宗・聖徳太子などを柱として、インド・中国・韓国・日本・ベトナムにおける仏教教理について研究するほか、アジア諸国の古典文学と仏教の関係、近代アジア諸国における仏教とナショナリズムの関係、音楽・芸能・酒・冗談(言葉遊び)と仏教の関係、N-gramに基づくNGSMシステムを用いたコンピュータ処理による用語・語法分析その他について研究している。