――先生は長年聖徳太子の研究もされていますが、日本の仏教の歴史の中で、聖徳太子というのはどういう存在なんですか。

 これは『東アジア仏教史』(岩波新書)の冒頭にも書きましたけど、仏教の歴史はお釈迦様のイメージの変遷史であって、日本仏教に限るとそれは聖徳太子のイメージの変遷史だといっても過言ではありません。

――親鸞なんかも聖徳太子を熱心に信仰していたとか。

 そうなんです。初期の浄土宗と浄土真宗の違いは、聖徳太子信仰が強いか強くないかだという研究者もいるほどです。

――何か理由があるんですか。

 伝説によると、親鸞が聖徳太子が建てたとされる六角堂におこもりしていたとき、夢で観音様のお告げを得た。当時、聖徳太子は観音様の化身だとされていたんです。そして、お前は欲望で悩んでいるが心配しなくてもよい。私が女性となり、妻となってお前を浄土に導いてあげようとおっしゃってくださった。それで親鸞は法然の所へ行った、と書かれています。

 親鸞は自分の欲望が抑えきれなくて悩んでいた。こんな自分でも救われるのだろうか。救ってくださるのは阿弥陀仏と聖徳太子です。なぜかというと、聖徳太子は結婚していて子どももいた。しかも太子は、浄土への導き手である観音菩薩の化身だと。だから、浄土真宗のお寺には阿弥陀仏の横に観音様だけでなく聖徳太子像があるところが多い。

――そういうことでしたか! 親鸞は、妻帯者だということで、聖徳太子を信仰したんですね。

 それも一因だと思います。ただ、親鸞関連の資料が少ないため、明治時代には「親鸞いなかった説」が有力だったんですよ。ところが、親鸞の奧さんの手紙が出てきたため、やっぱりいたということが証明された。

――「いなかった説」は聖徳太子にもありますよね。

 私は「いた説」ですが、聖徳太子に関しては早くからさまざまな伝説が語られていました。そして、世の中に新しい動きが出てくる度にそれが繰り返され、これはもともと聖徳太子がお始めになったものだという風になっていくんです。

 浄土信仰が盛んになれば、聖徳太子は観音の化身で、浄土への導き手であると。戦国時代になれば、守屋との戦いに勝った戦の神。江戸時代にはお寺を建てた大工の神。列強と不平等条約を結ばされた明治には、大国の隋と平等の外交をやった偉人。第2次大戦中には、太子の「憲法十七条」が説いているように、臣民は天皇の「詔」を謹んでお受けし、「和」して、つまり一致団結して戦えと説いた国家主義者。戦後にはそれが一転し、平和主義の「和」を説いた民主主義の元祖とされた。そして今度は令和の「和」、ですよね。

――なるほど。

 あれはどう考えたって、『万葉集』の防人が好きで「憲法十七条」の「和」を強調していた安倍総理(当時)への忖度年号ですよ。「令和」って漢文として読むと「和せ令(し)む」ですからね。皆な一致して仲良く行動しろ、和を乱すやつはぶん殴るぞ、という印象を受けます。

――私も元号が発表されたときは権力的な印象を受けました。

 聖徳太子は2021年が没後1400年の遠忌(おんき)なんです。これから多分、盛んに利用されますよ。私は聖徳太子の研究をしており、太子の歴史的意義を重視していますけど、政治的に利用することには反対です。

仏教と戦争

――中国ではお坊さんの取り合いで戦争が起こったというお話がありましたが、第二次大戦では日本でも仏教がかなり利用されたんですよね。

 利用されたし、自分たちからも進んでやった。ただ、天台宗や真言宗はもともと天皇と国を守るためのものですから、教理に変化はない。

 一方、鎌倉新仏教の開祖は、みんな権力側からひどい目にあわされています。法然は流され、親鸞も流され、日蓮も流され、道元は追われ……。そういう苦い経験があるから、この宗派の人たちは批判されないよう、権力に忠誠を誓いがちになるんです。もちろん戦争反対派もいますけど、天台宗、真言宗以上に積極的な戦争応援派もいるわけです。

――先ほどのお話にもありましたが、インドでは宗教者が王より上だったのとは違って、日本や中国では国家権力の方が力を持っていたんですね。

 圧倒的にそうです。天皇への忠誠という点でいうと、戦前の浄土真宗には特に強い信者が多かった。なぜかというと、真宗では自分たちは罪業深重の凡夫であって、すべて阿弥陀仏にお任せでしょ? それが転じて、天皇にお任せになるんです。

 議会であれこれ議論するなどというのは西洋流でけしからん、全て天皇の大御心にお任せすべきである。これが真宗系の過激派の議論だった。つまり議会の否定です。

――阿弥陀仏と天皇というのは、もともとどういう関係だったんですか。

 もともとは何の関係もありません。ただ、近世になると阿弥陀仏のことを「親様」って言うようになるんですよ。すると、天皇は国民の親だから、近代にはこの二つが一体化する。日露戦争ぐらいから特にそうなりますね。

――なるほど。それで天皇を敬うことに対して、仏教的にも矛盾がなくなっていくと。

 戦前に「原理日本社」という和歌の団体がありました。彼らが何と言っていたかというと、阿弥陀仏とは真理である。しかし、真理は具体的なものでなければいけない。日本人にとっての具体的な真理、それは日本そのものである。従ってわれわれは、南無阿弥陀仏と唱える必要はない。「南無日本」、これで良いのだ。その道を示してくださったのが聖徳太子だ、という主張です。

――それは強烈なナショナリズムですね……。

 日本を戦争に追いやった要因の一つはこの人たちです。真宗そのものじゃないですよ、親鸞と聖徳太子を信仰していた一部の知識人たちです。極度にきまじめな人たちだったと思います。

――私は個人的には仏教にすごく親近感を抱いていて、その考え方からは多くのことを学ばせてもらっていますけど、一方で、権力やナショナリズムと結びついたときの危険性からも目を背けてはいけないと改めて思いました。今日はありがとうございました。

(取材日:2019年5月9日)