はじめに(失語の闇を超えて)
言語記憶からの隔離と再接続
まず断っておかなければいけないことがある。今回掲載する作品をまとめていた1年前の“私”と、この文章を綴っている現在の“私”は、同一の<後飯塚僚>という存在ではないかもしれないということである。というのもおよそ半年前の2月19日の朝、ほんの数時間の出来事だったはずだが、自分が何者であるのか、わからなくなってしまった。自分の名前を思い出そうとしても、頭に浮かばない、文字で筆記しようとしても象形文字のようなものしか書けない、喋ろうとしても、人類の祖先が初めて言語を声として発語した時のように、日本語とは言い難い支離滅裂な宇宙語(ジャーゴン)しか出てこなくなった。どうも、脳梗塞が起きて、脳に保存してあるはずの言語記憶に接続できなくなったということらしい。診断名は、脳梗塞による手足の運動麻痺のない失語症である。幸運なことに、翌朝には再び、自分の名前を思い浮かべることができ、それを言葉として喋り、書き綴ることができるようになったので、言語記憶自体が消えてしまったわけではなく、保存してあるはずの言語記憶を検索・特定し、認知することが一時的にできなくなったということのようである。医学的には、左脳にある言語理解に関わる“ウェルニッケ野”や“角回”あるいはそれに関連した領域に損傷、つまり、不可逆的な脳細胞の死が起こり、そのため、言語理解に問題が生じ、脳細胞は再生しないので、新たな脳神経ネットワークが代替的に形成されることで、再び言語を理解できるようになったと考えられる。ただ、どうやら、その時から、“私”の中に、脳に保存されてある記憶の書庫としての“私”と、その書庫にアクセスする新しく生まれた“私”という、二つの存在が共存するようになってしまったようなのである。
存在音
話を元に戻して、どうしてこんなことを書いているかというと、今回、“トイビト”という、自分にとって、とても大切な作品発表の場に、新作ではなく、過去の作品を紹介することを弁明するためでもあるが(これが本心か)、この半年、頭の中で起こっていた言語活動の状況を報告しておくのも、意識や存在と言語の関係を考える上で、症例(病気)研究はまあ悪くない題材ではないかと思ったからである。先に触れたが、一夜明けると表面的には他人の喋る言葉の意味を理解して、それに反応する形で、言葉を話し、書くことができるようになったのだが、それから数日は幻覚と幻聴に、そして2週間経って退院して以降は、存在が軋むような耳鳴りに悩まされることになった。脳梗塞発症時にはMRIで左中大脳動脈に黒く映る狭窄部位があり、左中大脳動脈と左後大脳動脈の支配する領域の境界領域、つまりどちらの血管からも最も遠い分水嶺と呼ばれる領域に複数の明瞭な梗塞巣があった。しかし、3週後に再検査すると、血管の狭窄部位の黒さが薄れ、分水嶺の梗塞の跡もほとんど確認できないということだった(信じられないが、医者はそう言った)。科学的に考えると、血液が届かなくなった領域の脳細胞は酸素欠乏になり、細胞塊として死滅するはずで、死滅した細胞はミクログリアなどの脳内の免疫系細胞に貪食されて、そこだけ空洞になるはずだが、奇跡的に死ななかったのか、それとも脳細胞が再生したのか(ありえない)、治療が迅速だったせいか(かなりありえる)、脳梗塞の程度が非常に軽度だったのか、そのどちらも、ということかもしれない。実際、その3週間の言語活動については、入院中にベッドの上で、ノボルさん(中村昇)や加藤さん(加藤博)にメールを書いて送ったし、幽体離脱のような幻覚(この世とあの世の境を彷徨った)についてアドバイスをもらって、フィリップ・K・ディックの『ヴァリス』の文庫本を読んでいたので、文章を書くことだけでなく、読んで理解することも何不自由なかったはずである。
眼球濁
当初は混乱していて(二つの存在が混在していて)、気がつかなかっただけかもしれないが、1ヶ月経った4月初旬あたりから、竜宮城から帰還して玉手箱を開けてしまった浦島太郎のように、急速に老化が進行していくのを感じるようになった。最も酷かったのが視覚で、脳梗塞とは関係ないということだったが(医者はそう言った)、特に右目が進行していて、水晶体が白濁しており、白内障手術が必要と診断されてしまった。5月以降は左目でかろうじてデスクトップのモニターの文字を判読でき、タイピングした文字もだんだん誤字脱字が増えていくという状態になった(自分では気がつかないはずなのに)。ただ、文字情報に限らなければ、世界は擦りガラスの向こうにぼんやりと認識できていて、歩いて移動することも、人と会って話をすることも、何の問題もなく遂行できてはいた(見た目は普通)。周りの人も、こちらが視えていないことには気がつかなかったはずである。この“詩刑囚たち”の連載も、4月の自分の担当分は、入院中に体験した幻覚について書き留めていた文章で構成しようかとも考えたが、目が悪いこともあり、断念し、過去の文章を組み合わせて、それに加筆することで体裁を整えることにした(誤魔化した)。5月末の加藤さんの文章までは自分の目で読むことができた(ノボルさんの文章を読んだ6月中旬には右目は既に人工レンズに置き換わっていた)。そして7月初めには、両眼球とも、単焦点のレンズが、以前白濁した水晶体が入っていた皮膜の中に挿入されて、虹彩の裏側に嵌め込まれ、網膜に外界の視覚・色覚情報を結像するようになっていて、今度こそ、脳梗塞を経て、新しい視点からの言語作品を発表できるのではないかと思っていた。ぼやけた視界の中でも毎日少しずつ書き溜めた文章も手元にはあったし、脳梗塞の発作から時間も経ち、再発の不安に怯えることもなくなり、耳鳴りもしない日々のほうが多くなり、視覚さえ回復すれば、元通りになるはずだった。
真世界
外界の情報は基本的に5つの感覚(視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚)として受容されるが、このうち4つの感覚器官は首より上の脳を容れる頭蓋に組み込まれて存在するので、首を刎ねられれば、身体は皮膚の触覚と脊髄反射で動く生きた棺となるしかない。解剖学的にも、これらの感覚器官は、眼球に付随する涙道、耳腔、鼻腔、口腔と、顔面を裏打ちする巨大な空洞として繋がっている。では、その眼窩に水晶体の代わりに人工レンズを嵌めこんだ“偽眼“を2個入れた場合、どうなったか、ということだが、結論からいうと、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、頭蓋に組み込まれた全ての感覚が変容した。収まっていた耳鳴りが再び始まり、それが耳鳴りではなく、頭蓋の空洞からくる音叉のような響きであることが理解できた。鼻中隔彎曲症で詰まり気味だった鼻腔は空隙ができたのか、通りやすくなり、副鼻腔に溜まっていた膿は口腔に流れ落ち、毎朝、舌の味蕾はそれに包まれてカラカラに乾き、咽喉頭まで流れ落ちたものは痰として吐き出された。眼窩に今までとは異なる偽眼が入ることによって、頭蓋空洞に嵌め込まれた感覚器官の位置関係が変化してしまったとしか考えられない。真眼と偽眼のどこが違うかというと、前者は目玉の真ん中に、可変性のある水晶体レンズが毛様体筋によって吊られていて、毛様体筋が収縮・弛緩することによって、近位あるいは遠位に焦点があうように水晶体が伸び縮みする。一方、人工レンズは可変性のない、ただの透明なガラスで、水晶体が伸び切った状態(遠位だけに焦点があう)で目玉に嵌め込まれている。したがって、偽眼はいわば目玉を最大限、上下に引き伸ばした状態であって、その寸法の微妙な違いや物理的ストレスが頭蓋感覚器官の状態に影響を及ぼしているものと思われる。まさか、視覚以外の他の感覚まで変調が起こるとは思っていなかった。これが、ごく稀で、非常に特殊な、一般化できないような個人的な現象に過ぎないのか、そうではないのか、不明である。
そういうわけで、今、偽眼を通して世界を覗いている。あまりにも変貌し過ぎている。透明度の落ちた水晶体を取り除いたせいで、視えなかったものが見えるのはいい。文庫本も読めるようになった。ただ、視えなくてもいいものまで見えてしまう。今まで茶色味を帯びたセピア色に視えていたものが、青味を帯びた白に見える。水晶体が経年劣化すると世界はセピア色に見えるらしい。人の顔は蒼白で、いびつである。顔の彫り、皺、ほくろ、しみ、そんなものが立体感を持って異様に浮き上がり、不気味でさえある。鏡に映る自分の顔は見覚えのない他人の木乃伊でしかない(微妙に目や鼻の配置が変化している)。もし、偽眼によって視力と色覚が正常になったのだとすれば、今見えている世界が現実で、今まで見えていた世界は偽りだったということになる。そして、もしかして、今、偽眼で世界を覗いている誰かは、以前とは似て非なる誰かのようにも思えなくもない。その誰か、こそ、脳梗塞のあとに生まれた、もうひとりの“私”という存在かもしれない。
“はじめに”のおわりに(狂っていくチンパンジー)
長々と書いてしまった、というか、意図的に書いてみた。途中で、これが“詩”になれば、それが一番よかった。そうなることをどこかで祈りながら書き進めてきたが、どうやら、うまくいかなかったようである。現状は、「詩とはなにか」というよりも、「詩はどこにあるか」なのかもしれない。部分的脳死を経験して“詩人”は生まれたのか、死んだのか、“詩”はどこにあるのか、まだわからない。
降霊背面体 I 金田一安民、角谷美知夫の想い出に
序
流れの止まった川は、音のない池になり、底なしの沼になり、光の届かない湖底には、死体がひとつ置かれ、死体から涎れ流される血汁の夢が、沼に満ち、それは、水を容れた骨壺で、一帯に、痴呆の記憶で変色した、無数の井戸のような、沼が密集して、生きたまま埋葬された、身體ひとつぶんの、沼、そんな、人の形をした沼が、目の前で、息をしたり、飯を食ったり、言葉のようなものを発声したり、もし、そこが、動物園より、精神病院に、近いとしたら、その中には、誰もいない、抜けてしまったものは、どこに行ってしまったのか、どの空を彷徨い、どの路を歩き、どの河を流れ、どの海で蒸発したのか、沼に、片脚を入れて、忘れ去られるその前に、鳥になれ。
タクシードライバー
ネガティブなことばかり喋るタクシー運転手である<真空に卵を容れて声にする>普通なら、その土地に、初めてやってきた客に対しては、地元のいいところばかり、並べ立てるはずだが、行き先を告げると、その運転手の、言うことには、「ここあたりは、もともと、炭鉱の町で、ガラが悪いんですよ」、「山陰のほうはいいんですけど、山陽道のここあたりは、昔から、追い剥ぎ、ばっかりですよ」、そう言われると、喋っている運転手こそ、追い剥ぎじゃないかと不安にもなってくる<爆音の夜の隙間の白い海>なけなしの知識で、「ここらあたりには、鳥がいっぱいいる有名な公園があるんじゃなかったでしたっけ?」と訊ねてみると、「ああ、あの公園ですか、去年、ペリカンも、フラミンゴも、白鳥も、鳥インフルエンザで全滅ですよ、四百匹くらいでしたかね、み~んな、死にました」、こんな具合である<耳穴に人差し指が不安定>用事が終わった後の移動のことを考えて、最寄りの駅がどこで、どう行ったらいいか、訊ねてみても、「ここあたりは、車社会ですよ、電車なんか、一時間に一本くらいしか来ません、電車なんか、誰も乗りません」、「駅までは、そうですねえ、八千円くらいかな、自分だったら、五千円で行くけどね」、そう云うので、タクシー会社の電話番号の書いてある紙を貰って、「そこに電話してもらって、サトウって言ってください、すぐ行きますから」、などという会話をしている頃には、目的地に着いたようで、結局、電話することはなかったが、またしても、どこかで、客を拾って、例のネガティブトークを炸裂させているのか、それとも、待機場所と言っていた、パチンコ屋の駐車場で、独り、電話を待っている、のか、空港からの、奇妙な旅は、すでに、始まっている。
産卵するアカアシガメ
「未受精卵なんですけどね、なんとか、孵化できませんかね」、話を聞いて、いるうちに、思い出したが、だいぶ、前にも、イグアナの卵の件で、似たような電話がかかってきた<重力を支える足のハイヒール>どうも、飼っている、陸ガメが、まず、二個、それから、時間を置いて、一個ずつ、計四個、卵を産んだらしい、「振るとか、針射すとか、刺激すれば、なんとか、なりませんかね」、その、アカアシガメ、という、カメが、どのくらいの大きさのカメなのか、察することもできないが、大きさを尋ねると、「ニワトリの卵より、ちょっと、小ぶり」、ということである<無重力足で踏み割る夏の空>毎年、秋に産む、そうだが、それが、今年は、冬真っ只中に、それも、ダラダラと、産んで、さすがに、食べる、のも、気の毒、なようで、それも、四個もあるので、一個くらい、危ない、賭けをしても、いいんじゃないか、ということのようである、「昔、ニワトリとか、やってませんでしたっけ」、と云われても、爬虫類は扱ったこともない、「きっと、ニワトリより、単純ですよ」、どうも、そう、簡単には、話は終わりそうにもない、「殻が薄いやつは割れちゃいましてね、それは、自分で食べちゃいました、それで、卵も食べるんだと思いましてね、ニワトリの卵やったら、食べるんですよ」、どうも、陸ガメ、というのは、一般的には、草食、ということになっているようで、カメノエサ、なるものが、ペットショップで売られていて、普通の人は、それを与えているらしい<血液に夢の溶けいく不整脈>「パンが高くなったこと、あったでしょ、あの時、塩っぱかったでしょ、あれ、小麦粉が足りないから、塩でましてあるんだよね」、一応、塩分のことは、考えているようで、でも、実際、「餌は何やってるんですか?」、と尋ねると、「ドッグフードも食べますよ」と、電話の向こうで、笑っている<眼に入れて音消えさらぬ金魚の尾>どうも、草食なのに、食べるから、といって、ドッグフードで、飼っているうちに、卵産むように、なってしまった、ようで、「処女卵ってあるでしょ、最初は、細長かったんだけど、だんだん、産むたびに、丸くなってきましてね」、もう、そのうち、なんのことを、話しているのか、わからなくなって、きている。
「今朝、また、一個、産んじゃってさあ、手元にあるからさあ、困っちゃったよ、こりゃあ、もう、藁にもすがる思いですよお」、どうも、あいかわらず、まだ、だらだらと<水枯れて中空半諧喉仏>産み続けている、らしい、「ワニとか、トカゲとかの未受精卵って、単為生殖することもある、って、云ってませんでしたっけ?」、そう、言われるが、苦し紛れに、そんなことを答えたような、気がしない、でもない、が、「そんなこと、いいましたっけ」、そう、しらばっくれて、「剥製にして、誰かにあげたら、いいんじゃないですか?」、と云うと、「あなたですよ、あなた以外、いませんよ」、そんなことを、云われても、時間が経ってから、「あの卵、どうなりました?」、とか、訊かれても困るので、受け流すしかない、「どうも、天気のいい時に、産むみたいですね、晴れた日に」、カメの産卵にも、温度とか、湿度とか、関係しているだろうが、一体、どんな環境で、飼育しているのか、知る由もない<爆心で立体となる夏の街>陸ガメだから、室内で、放し飼い、かもしれない、「葬儀屋やってる、女性がいましてね、ケズミリクガメ、飼ってんですよ」、「アルダブラとか、ガラパゴスとか、いるでしょ、あいつら、みんな、海に囲まれた、島に棲んでるでしょ、大陸に棲んでるのは、それだけなんだよねえ」、「スンダランドって、知ってます?」、「え? ズンダランド?」、「あの、フィリピンとか、インドネシアのあたりに、あって、沈んじゃったやつ、あそこから、来たんですよ」、「あれえ、ダジャレで話、終わらす人でしたっけ、言ったじゃない、シズンダランド」、どうも、似たようなカメらしい、「あの、葬儀屋の女性にでも、訊いてみるしか、ないかなあ」、「知り合いなんですか?」、「あの界隈じゃ、有名人でしてね、カメ連れて、散歩してるんですよ」、「だったら、ちょうど、いいなあ」、「じゃあ、仕事にいそしんでください、お忙しいところ、失礼いたしました」、そう言って、電話は切れた。
隔離病棟7B
タクシーを降りた、病院の緊急外来入口の、小さな窓口の、向こうには、警備員がいて、そのまま、通り抜けようか、とも、思ったが、一応、指示に従って、自分の名前と、面会相手の名前、部屋番号、入室時刻を、記入すると、番号のついた、バッジを、くれる<三重苦頭の上の宇宙人>先日、見ず知らずの電話番号から電話がかかってきて、電話をかけ直すと、コールする音が、続くだけで、気が付かないんだな、そう、諦めて、切ろうとすると、「いや、ずっと、隔離されてましてね」、「入院してるんですか?」、「そう、入院してるんですよ、まだ」<逸脱を脱調という言語軸>「お見舞いに、行きますよ」、そう云うと、「病院には、看護婦さん、いるでしょ、だから、やめといたほうが、いいよお」、これも、どういう、ことなのか、わからない<砂浜で空に吸われて裸体立つ>ので、理由を尋ねると、「いや、あなたには、刺激が強いんじゃないかなあ」、そう言って、笑っている、その、入院している、らしい、病院の名前を、訊いて、お見舞いにやってきている<感情を微分してから吹き替える>その電話が切れる瞬間、「7B」、そんな言葉が、聴こえた気がして、でも、何かの、聞き違えかも、しれない、そう思っていたが、エレベーターで、7階まで上がると、その7Bが、確かにあって、モニターが並ぶ、ナースステーションを、通り過ぎて、奥に進むと<幾何学を銃殺すれば木乃伊かな>向こうから、廊下を、普段着で、それも、サンダルで、ペタペタ、歩いてくる、どうも、ここの病院には、入院着という、ものは、ない、ようである、一番、奥まった、二重扉で、食べ物の差し入れ口のある、個室には、点滴装置も、治療をしているらしき、気配もなく<轢死体その脈拍に触れている>ただ、誰にも、視えない、幽霊のように、そこを、占拠している、ようにしか、思えない、永遠に、眠れそうな、部屋である<病む蝶に麻酔をかける時間かな>その、アカアシガメの飼い主の名前は、数字と英語からなる、星座番号で、受付で、面会人の名前を、記入したときも、感じたが、そして、腕に巻かれた、IDチップに、書かれた、名前を見て、その人物が、現実に存在することを、改めて、認識することに、なった。
「新玉葱がおいしくてね、やっぱり、九州からですね」、そんな話から、始まった、「カメ、散歩させてますか?」、「なんか十九世紀に、餌食べてるカメの写真があって、まだ生きてるんだって」、「カメは万年だから」、「カメの方が長生きしても困るんだから」、「葬儀屋にいた大きなカメ覚えてる?」、「お祭りで買ってきたんだって」、「ウミガメなんじゃない、リクガメ、売ってないでしょ」「あそこの葬儀屋のカメなんだって」、「あの辺の人は、みんな、やってもらうの」、「カメの葬儀をですか?」、本人の病状というより、殆どが、リクガメ、もしくは、どうでもいい話である<沈黙の顔に饒舌拭き取れず>それで、この後、墓参りに行くことを告げると、墓の掃除は、やり始めたら、終わりがない、ので、「気をつけたほうがいいですよ、危ないから」と、墓石の取扱いから、石屋の作法の話が始まった、石屋の棟梁、というのは、朝、仕事場に出かける時、ワンカップ酒、三つ、持っていく<絶頂を通過する花眠り込む>夕方四時半になると、その三本を、採光器の脇に置いて、その熱で、ちょうど、良い加減に、燗のつく、三十分後、つまり、仕事が終わった途端、それを、持って、道端に出る<首吊りて遠近感なき人柱>その三本のうち、二本を、道端に置いて、そこに、腰を降ろして、余った、一本を開けて、飲む、それを、飲み終わったら、飲み終わった、一本を、尻で温めていた、もう一本と、置きかえて、それを、飲む<満月が直立している夏至の海>その繰り返しで、どんな道端でも、尻を汚すことなく、三合飲む、ことができる、その姿を見た瞬間、「棟梁、弟子にしてください」、そう、云いたくなる<偶然を必然と呼べば死者になる>その話を聞いて、墓掃除は、確かに、ひとりで、やり始めると、周りに、誰もいないことを、いいことに、時間を忘れて、やってしまうので、やはり、誰かと、一緒に、行ったほうが、いいのかも、しれない、そう、納得した。
帰ってきたタクシードライバー
玉葱をお土産に持ってきてくれた、葬儀屋の女性と一緒に、お見舞いも、墓参りも終わって、空港に、向かう、タクシーを拾おう、としているが、今、立っているのは、空港とは、反対方向に向かう車が、走っている、車線の脇の、歩道で、本来なら、道を渡って、反対車線を走る、タクシーを、拾うべき、だろうが<散らばりし歯のようなもの皮膚に生ゆ>車がひっきりなしに、走っていて、近くに、横断歩道も、なさそうで、タクシーも、反対方向へ走っていくばかりで、目的の方向へ走っていくのは、殆どいない、連れの女性が、どうしても、タクシーに乗りたい、ようなので、突き当たりの通りを、左にでも、曲がって、次の通りを、さらに、左に曲がれば、遠回りにはなるが、目的の場所には、いけるだろう、そう思い、手を挙げていると、タクシーが、一台、近寄ってくる<服薬し眠り入れば脈はなし>目的地を告げると、そのタクシーは、走り出したが、運転手は、何を考えているのか、突き当たりの通りを、左折することはなく、その先に続く、車1台しか、通れないくらいの、それも一方通行の、狭い路地を、直進している。どうやら、路地の突き当たりにある、小さなスペースに、車を頭から、突っ込んで、そこで、切り返して、向きを変えようと、しているようだが<絶望に塩をかければ溶けていく>後ろからは、次々と、その路地に、後続の車が、入ってきて、「まだ、来るんか」、運転手も、イライラし始めて、いる<直観に砕ける音が木霊する>弱気になってきたのか、連れの女性が、「ごめんなさい」、と、小さな声で呟くが、もう、タクシーに乗ってしまっているので、降りるわけにもいかず、黙って、成行きに、まかせていると、そのタクシーは、いつのまにか、その、一方通行のはずの、路地を、狂ったように、逆走している。
跋
指紋だらけの鏡に、映る顔は、誰の顔、なのか、ほどけた指紋の、糸が、執拗に、纏わりついて、繭のように、覆われた、顔のような、一枚の皮が、剥がれ、堕ちて、裏返しにされ、また、貼り付いている、その指紋の渦の、渦の糸が、鏡の中で、繋がって、地面を這って、夜の闇に、消えて、ビルの壁を登り、そこで、渦を巻き、死人の、指紋になる、その、巨大な指紋は、夜の電波を受信する、暗号なのか、その渦の、中へ、吸い込まれた、浮浪者達の、千切れた、指の、指紋の、渦の、その渦の中へ、巻き込まれつつ、一枚、一枚、顔の皮が、剥がれて、次から、次に、知らない顔が、ビルの闇から、現れては、人混みに、消えていく。
降霊背面体 II 縫部憲治、 室野井洋子の想い出に
序
吊られた首の、行く末は、視えない、糸をつけて、浮かばせて、破裂させる、指も、あれば、突いていく、嘴も、ある、夜更けから、朝にかけて、畳の上で、執り行われる、行為は、静かな、儀式で、数秒ではなく、数日、もしくは、数年、かかるが、背丈は、伸びて、足は、地面を、掴む、そこに、絶対的垂直性が、成立する、だから、成長は、段取りなど、踏まなくても、単純な、寸法の、組換えに、過ぎない、植物のように、足から、根が生えて、そこから、吸い上げつつ、立つ、でもなく、根無しで、動き回る、人体の、死に至る、奪胎となる、硬かったはずの、足の裏の、皮が、柔らかくなって、空から、降りてきた、糸に、吊られて、風に、吹かれている。
ザリガニ
「航空券はお持ちですか?」、キャビンアテンダントに、そう云われて、気がついたが、いつ、どこで、どこ行きに、搭乗したのか、そこあたりの記憶がない<水性の指に溶けいく虚無の跡>飛行機の通路を、ホテルと勘違いして、風呂に入ろうとして、「タオルありませんか?」と、声をかけられれば、そういう返事が返ってくるに、決まっている、「買ったかどうか、覚えてないんですけど」、と応えると、「じゃあ、空港の事務所まで、来て頂けますか?」、空の上にいる、はずなのに、そう、思って、「まだ、日本じゃないですよね」、と訊ねると、「一時着陸したみたいですね」、「だって、さっき乗ったばっかりのような気がするんですけど」、どうも、中国とロシアとヨーロッパに挟まれた国の空港にいるらしい<油性でも消し難きかな夢の跡>そのまま、そのキャビンアテンダントに連れられて、いかにも、JRの駅の改札のようなゲートを出て、空港の外に出ると、微笑みながら、こちらに向かって、「彼の名前がおもしろいのよ」、そう、呟いてくる、「どんな字書くの?」、と、一応、反応すると、草冠に、カタカナの「ム」みたいな、漢字だったか、「ムスケ、ムヒコ、これは、やめといたほうがいいよ」、それから、どういうわけか、ふたりで、電車に乗って、こちらは座席に座っていたが、そのキャビンアテンダントは、途中で、乗車してきた、サラリーマンらしき男に、口説かれているようで、でも、それを、聞き流して、目の前の吊革に、捉まったまま、揺られている。
いつの間に、着替えたのか、身体にぴったりの、肌色のアンダーウェアに、薄手のスリットの、紫のワンピース、それに、金色のハイヒール、化粧はしてはいるが<一秒を二度ほど生きて死に逝けり>年頃は三十代半ばか、赤坂の会員限定のクラブにでもいそうな、美人であることに、変わりはない、そのキャビンアテンダントも、立ち疲れたのか、足元を、動かし始めたかと思うと、金色のハイヒールの、右だけ、脱いで、片脚、タイツのままで、床に立っている、その右足と、脱ぎ置かれた、ままの、ハイヒール、それから、ハイヒールを履いたままの、左足の、足元、だけを、眺めていると、しばらくして、左隣の席が空いて、そこに、座った時には、すでに、両足とも、ハイヒールを履いていて、今度は、口紅を塗り直している、「ザリガニがさあ、いなくなっちゃっててさあ、気持ち悪いでしょ~、自分の部屋で」、別に、盗聴している、わけでもなく、聴き耳を立てている、わけでもなく、ただ、大きな声の会話が、電車の中で、響いている<記憶され忘れさられて夢があり>それも、遠く離れた、座席からである。「だって、ザリガニだよお」、「それで、眠れなくてえ、夜中に、ソファ、ひっくり返したりしてえ」、「え~、ほんとに~~」、若い、女の子達らしい会話は、続いている、どうも、最終的には、その、ソファーの下で、死んでいる、姿を、発見したらしく、「土に埋めてあげたの」、ということで、ザリガニの話は終わり、その声の主の姿を、電車を降りる時に、軽く振り返ると、団扇をもった、Tシャツの女子ふたりで、浴衣ではないし、花火大会があるわけでもなさそうである。
ビニール傘
数年前までは、この電車で、終点の駅の、最寄りの、小さな野球場に、来ることもあった<裏切れば背中に花が咲いている>そんなことを、思い出しながら、その駅で、降りて、改札を抜けた、あたりで、待っていると、電車に乗っているあいだに、降り始めた、雨は、ますます、激しくなっていて、降りやむ、様子もない、キャビンアテンダントの女性は、途中の駅で降りたのか、気がつけば、いなくなっている、昨年末に届いた、喪中を知らせる、住所の書かれた、一枚の葉書を頼りに<雨の夜の気圧で割れる蕾かな>道を歩く人にでも、尋ねながら、歩いていけば、たとえ、時間がかかったとしても、辿りつくだろう、いつものことだが、その程度くらいしか、考えもせずに、やってきたので、もう少し、考えておけば、よかったか、そうも、思ったが、もう、どうしようもない、ビニール傘さえ、持っていない。
「全然、連絡くれないんだから、やっぱり、わからない人だわ」、そう、いわれてみれば、電話番号を、知り合いに教えて貰って、それで、突然電話をかけて、何度コールしても出ないので、留守電に、名前を名乗った、ところで、向こうから、電話がかかってきたのは、いつだったんだろう、その時、適当に、日時を決めて、それ以来、何も、連絡しないまま、いきなり、御宅に、お邪魔する、というのは、一般的には、普通じゃなかった<雨音に死調不定極寒の闇>住宅街の迷路を、あっちに行ったり、こっちに行ったり、している間に、電話がかかってきた、「お酒飲みたいなら、駅前のお店で買ってきて、とか、思って、電話したんだけど」、「でも、電波が届かなかったみたい」、駅に、着くまでは、電車で、貨物のように、運ばれるままに、辿り着いた、というのが、ほんとのところで、しばし、迷ったが、「あ、見えた、そこで、待ってて」、と云われて、しばらくすると、娘さんらしき、若い女性と、ビニール傘をさして、石段の、途中まで、迎えにきてくれている。
白いサラシに包まれた御骨に、線香をあげて、昔の話に、花が咲いたところで、お宅をお暇して、水天宮にお祈りに、向かうために、再び、電車で、それも快速に乗り換えて、繁華街のある街についたのは、まだ、明るい時間帯で、その時間帯に、軽く、お清めのできる、場所が、確か、南口の陸橋、渡ったあたりにある、はずで、そこに向かったが、休みなのか、潰れてしまったのか、陸橋から眺めただけでも、やっている気配も、しない<憑依して酒を飲めば足がない>それで、そういえば、以前、行った、居酒屋が、他にもある、ことを、思い出して、そこの三階で、飲み始めている<沈黙が無限に殖えいく蝉の夢>フロアーのおばちゃんが、そういう性分の女性なのか、「これ、あんたの?忘れ物じゃないよね」、と、横に置いてあった、ボロボロのマフラーが、気になったらしく、声をかけてきたりして、時間も経ったので、精算して、エレベーターで一階まで降りて、駅へ向かおう、としていると、その、おばちゃんが、「忘れ物」、と、追いかけてきて、手渡してくれたのが、床に、置きっぱなしに、したまま、忘れてしまったらしい、喪中の女性から、帰りに、貸してもらった、壊れかかった、ビニール傘である。
どこかの、場末の、客引きの、男が、人通りの少ない、雨の夜、こんな、安っぽい、ビニール傘をさして、呼び込み、やっていそうな、気がしないでもない<亡霊を殺して眠れば朝になる>その姿が、目に浮かぶようである、その、あやうく、居酒屋に忘れそうだった、ばらばらになりかけの、でも、まだ、使えないことはない、透明なビニール傘には、黒いビニールテープで、「大人の」、と内側から、大書してあって、「の」、のあとには、カタカナの、「ハ」、の形に、白いビニールテープが貼付けられている<既視感に覆われている不在かな>そこに書かれている、「大人の」、とは、いったい、何だったんだろうか、それとも、そのあとに、言葉が続いて、「大人のハ○○○」、とか、書いてあったんだろうか、なんで、「大人」、ってことを、アピールする必要があったんだろうか、「大人」、という言葉で、条件反射のように、場末の情景が、頭に浮かんでしまう、のは、単なる、想像力の欠如、だろうか<惑星が直列している昼の闇>いったい、誰が、なんのために、この傘を、使っていたのか、そして、どういう理由で、こんな傘が、巡り巡って、あんな場所にあったのか、わからないこと、だらけだが、今、ある現実は、それが、手元に渡り、それをさして、雨の降る、場末の街を、歩いている、ということだけである。
水天宮
「水天宮には行けましたか?」、そう、後ろから、声がする<逝く人が巻き戻しつつある腕時計>日曜、だからか、閉店、だらけの、通りに、一定の間隔で、木の長椅子が置いてあって、そこに、時折、奇声を発する、若者や、老人が、何をするでもなく、座っている、人気のない、商店街の、マップには、花園銀座商店街、そう、書かれていて、それを、眺めている時、だった、振り返ると、そこには、胸元に、赤ん坊を抱えた、白いTシャツに、ジーパンの、若い女性がいて、こちらが、きょとん、としていると、「アラッ、って思って」、そう、付け加える、おそらく、こんなところで、壊れかかった、「大人の○○○○」と書かれた、ビニール傘を杖代わりに、歩いている、男など、あまり、見かけることはない、のかもしれない、ちょうど、その、海の見渡せる、丘の上にある、水天宮に、立ち寄って、高名な歌人の歌、それが石碑に刻まれた、その隣の地面に、ビニール傘を、墓標代わりに、垂直に突き立てて、車が降りていく、道があったので、それを辿って行けば、駅に帰りつけるだろう、と、その坂を、ぶらぶら、くだってきたところで、当初、その丘へ、どうやって行けば、いいのか、わからずに、通りかかった女性に道を尋ねた、まさに、その女性、であることに、やっと、気がついた。
「この道をまっすぐ行けば、その先にありますよ。ただ、地獄のような坂ですけど」、確かに、その、丘に向かって、まっすぐに、伸びる、狭い道は、上り坂で、遠くには、草の生い茂った、急な石段が、見えている、もっと、楽に、辿りつける、道はないか、尋ねてみると、彼女が歩いてきた、道を、指さして、「この道の突き当たりを、右に歩いていって、右に曲がっても、行けます」、そう、教えてくれた<ストローで啜る脳に夢はあり>そこから、駅へ抜ける、道はあるか、さらに、尋ねると、突然、呼び止めた、にも、かかわらず、「う~~ん、それは、水天宮あたりで、会った人に、訊いたほうが、いいかも」、という返事である<人体に首なき時は脈をとる>その間、胸元に、ダッコされていた、赤ん坊は、泣くこともなく、目をまん丸くして、こちらの、顔を、ジッと、見つめていた。
その、女性が云う、ところの、「地獄のような坂」を、さすがに、昇る気はせず、二番目の選択肢で、行ってみることにする、旨を告げて、その時は、別れた<二度寝して空見上げれば水死体>そして、云われたように、歩いていくと、反対側から、拡声器で、お囃子を流しながら、荷台に、神輿を積んだ、トラックが、低速で、近づいてくる、運転席には、法被を着た、中高年の男性達、助手席には、天狗のお面をつけた、誰かが、座っている<物体に近似してくる旧未来>朝から、土砂降りだった、せいか、神輿には、透明なビニールシートが、被せられていて、幟には、住吉神社、とあるが、ここあたりでは、トラックの荷台に、神輿を載せて、街を練り歩くのか、それにしても、通りには、それを、眺める人もいなければ、店があっても、開店している、気配は感じられない。
結局は、道に迷って、しまって、当初、遠くに見えていた、「地獄の坂」の、石段を登ることに、なったには、なったが、なんとか、水天宮には、辿りついて、そこで、わかったことは、そこには、どこまで、続いているかも、わからない、「外人坂」という、もっと、急な、地獄のような、石段があって<腐敗した魚は箸で選り分ける>こちらが登ってきた石段など、それに、比べれば、地獄でも、なんでも、ない、と云うことである、それから、適当に歩いて、帰るはずが、線路も、超えてしまって、「北海新地」、などと云う、昼、死んでいるだけなのか、夜も死んでいるのか、路地のある、シャッター商店街で、また、先ほどと同じ、女性に、声をかけられる、とは、思わなかった、「ありがとうございます。行けました」、そう、返事すると、ニコッと、笑って、こちらが、今、歩いてきた、商店街を、反対方向に、歩いていく<吃音の身体に色を塗りすぎる>その、後ろ姿には、黒いリュックと、揺れるポニーテール、赤ん坊も、ダッコしているはずだが、今回は、少し離れて、会話していた、せいか、子供の姿は見えなかった、ただ、どういうふうに、歩いていれば、こんな田舎の街で、二度、会うことになるのか、なにを、するために、彼女は、歩いていたのか、少なくとも、水天宮のある丘の周りの、十キロ以上の道のりを、一時間以内で歩かなければ、二度、会うことはない。
十字架
サクランボを、食べ終わって、その枝を、口に含んで、舌で、十字結びにする、ことの、できる、女性は、何人くらい、いるのだろうか、それは、ごく、当たり前の、食事作法、或は、サクランボを、食べた後に、必ずやる、なにかの、おまじない、のような、もの、なんだろうか、飛行機の窓際の席に座っている、女の子が、それを、繰り返している<無調絶対音感の猫がいる>はじめて、それを、見たのは、というか、見せられたのは、だいぶ前のことで、ペロッと出された、舌の上に、綺麗に、十字に結ばれた、サクランボの枝が、乗っかっていた、その顔には、別に、「すごいでしょ」、という、感じでもなく、ただ、身体の中に隠されていた、十字架に、その秘密を、無言で共有するしかなくなった、「この機体はこれから空港に向けて着陸態勢に入ります」、そんなアナウンスが、聞こえている、それとは別に、野球帽を被った女性が、非常口の扉を叩きながら、叫んでいる、「だから、快速は嫌なのよ、乗り換えしなきゃ、いけないでしょ」、「もう、降りたいの」、「ドア、オープン、ドア、オープン」
跋
土砂降りの雨に、消えていった、背中が、隣の、誰かの、背中に、張りついて、雨宿り、しているのを、見かけるにつけ、雨傘の下にある、気配は、やはり、水のようなものに、置き換わって、いたのではないか、そう、納得するように、している、誰も彼も、どの人の、背中にも、別の、誰かが、張りついて、いるので、人も疎ら、なのに、誰かが、吐く息で、曇っていたり、視えていない、はずの、背中の、裏にも、数枚、張りつかれて、いるかも、しれない、この湿度で、溶けない、固体は、存在しない、液化して、床に溜まる、水になるか、言葉にならない、溜息交じりの、蒸気になるか、あとは、魚になる、くらいで、鱗と、鰓と、開けたまま、閉じることのない、目玉が、必要に、なる、濁流になった、雨水が、下り落ちる、アスファルトの上で、誰かが、泳ぎ始めている。
