英語になったZen

 前回は、「こころの時代」はアメリカ由来だという話でした。仏教関連でアメリカ由来であるものは、実はほかにも少なくありません。その代表例は、Zen という表記でしょう。

 今日では Zen は英語として定着しており、cool(かっこいい)の意味で用いられたりすることもあるほか、Be more Zen.(もっとリラックスしてあれこれ無駄な心配しないように)といった言い方もなされるようになっています。

 この Zen という表記を定めたのは、鈴木大拙やその師匠の釈宗演などではなく、アメリカ人の医療伝道宣教師であったジェイムズ・カーティス・ヘップバーン(1815-1911)でした。つまり、ローマ字の「ヘボン式」でお馴染みのヘボンですね。このことは、「近代におけるZenの登場と心の探究(1)」(『駒澤大学仏教学部論集』第49号、2018年10月)で指摘しておきました。

 ヘボンは、中国での宣教を終え、ニューヨークで眼科医として成功した後、安政5年(1858)に日米通商条約が結ばれると、翌年に日本に渡り、横浜の寺に住んで宣教と医療活動を始めました。日本語研究にも打ち込んでいます。

多数派は「じぇん」だった

 ただ、万延2年(1861)頃に書かれた日英語彙集の手稿では、禅宗を Jen-siouと表記していました。これは、イエズス会の日葡(にっぽ)辞書やその影響を受けたヨーロッパの日本語辞典などの影響でしょう。16世紀後半から17世紀初めにかけて日本にやって来たイエズス会の宣教師たちは、「禅」をローマ字で表わす場合、Jen や Gen といった表記を用いていました。「じぇん」ですね。

 このため、私は、長崎弁では「ありません」が「ありましぇん」、「ぜんぜん」が「じぇんじぇん」となるように、「せ」を「しぇ」、「ぜ」を「じぇ」と発音するため、長崎を拠点としていたイエズス会の辞書では「禅」が「じぇん」と表記されたのだと、学生たちに説明していました。

 ところが、上記の論文を書くためにあれこれ調べていた際、将軍との会見での「通事(通訳)」もつとめたジョアン・ロドリゲス(1562-1633)が、1604年から1608年にかけて長崎で刊行した詳細な Arte da lingua de Japam(日本語大文典)を見たところ、坐禅を Zajenと表記していました。

 しかも、ロドリゲスは、発音については都(京都)の発音を標準とすべきだとし、本書では都の発音を用いると述べたうえで、「xe(=she)」を「se」と発音するのは、「一般に物言いが粗く、鋭くて、多くの音節を呑み込んで発音しない」「独特で粗野」な関東地方の訛りと明言していたのです。

 いや、失礼しました。京都を含めた日本の多くの地域で禅を「じぇん」と発音していたのであって、「ぜん」などと呼ぶのは、私のような野蛮な関東の人間だけだったのか。

 これを知って衝撃を受けた私は、駒澤大学の仏教学部の授業では、禅宗というと鎌倉武士の宗教というイメージがあるけれど、道元は京都のお公家さんの家に生まれているため、その著である『普勧坐禅儀』については、「ふかん・ざぜんぎ!」という風にキリッと呼ぶことはせず、上品に「ふくぁん・ざじぇんぎ」と言っていたのですなどと述べたところ、イメージが崩れるとして不評をかいました。

 そうして考えてみると、禅が Zen と表記されたことは、アメリカやヨーロッパに広まるうえで重要であったと思われます。禅の現代中国語での発音は chán ですが、もし、禅宗が Chan という表記で紹介されていたら、当時のハリウッド映画などでいかにも東洋人風な様子で描かれていたチャンさんとかワンさんとかが思い浮かび、「東洋の神秘」といったイメージは湧かなかったかもしれません。

 表記は大事ですね。自動車メーカーのマツダにしても、ロータリーエンジンを売り物にしてアメリカに進出する頃は、イランの光明の神、アフラマズダのローマ字表記である MAZDA を英語での社名表記として採用したことで有名です。これによって、長すぎる名、それもMat, su[ʌ’]daと読まれがちであった Matsuda ではなく、中央に力強い印象を与える Z を置き、左右に2字づつ配するバランスの良い表記とすることができたのです。

 社名表記を宗教がらみの5字のローマ字に変更したのは、カメラのキャノンも同様でした。戦前にカメラメーカーとして発足した当初は、観音の旧仮名表記に基づき、Kwannon という名でしたが、戦後になって海外進出を考慮し、聖典・基準・標準の意味を持つ 5字のcanon に変えています。

Zenの普及

 それはともかく、禅宗を Jen-siouと表記していたヘボンは、慶応3年(1867)に上海に渡り、その地の漢字活字を利用して英和・和英の辞書である『和英語林集成』を印刷します。その第一版では、禅師を ZEN-JI、禅宗を ZEN-SHŪ、坐禅をZA-ZENと表記していました。関東の発音が標準となったのです。

 これについては、ヘボンが長らく住んだのが横浜であったうえ、ヘボンの助手となって辞書の編集を手伝っていたのが、後に新聞記者や実業家としてその名を知られることとなる岸田吟香(1833-1905)であったことによるのでしょう。吟香は、文久3年(1863)に眼病治療のために眼科医であるヘボンを尋ね、以後、助手役を務めるようになり、英語も学んでいます。

 岡山出身ながら嘉永5年(1852)に19歳で江戸に赴いて儒学を学び、各地で教えた後、江戸に戻り、吉原で妓楼の主人となって気ままに暮らすなどしていましたので、発音は江戸風になっていたはずです。

 吟香は、上海へもヘボン夫妻とともに出向いており、辞書に入れる片仮名・平仮名・万葉仮名などの版下を作成しています。辞書の名も、ヘボンに依頼されて吟香が『和英語林集成』と定め、扉絵の版下も器用な吟香が描いたのです。この絵の才能を受け継いだのが、吟香の四男である岸田劉生(1891-1929)ですね。

 見出し語をローマ字で表記し、これに片仮名と漢字を添えた『和英語林集成』は大歓迎され、増広した改訂版を出すたびにたくさん売れるようになり、辞書のベストセラーとなりました。ただ、「ヘボン式」と呼ばれる表記法は、明治19年(1886)の第三版で羅馬字会の表記法を採用し、これが広まったため「ヘボン式」と呼ばれるようになったのであって、第二版までの表記は、いわゆる「ヘボン式」とは少々異なっています。 

「禅」の表記をめぐる争い

 いずれにしても、ヘボンの辞書によって Zen というローマ字表記が普及したことは事実であり、吟香とともにその功績は大きいものがあります。

 しかし、アジア諸国のナショナリズムが高まってくるにつれ、この日本語発音に基づく Zen という表記は好ましからぬものとされ、それぞれの国の発音で表記する例が増えてきました。Zen/Chan と並記したり、中国の禅宗については Chan と表記しつつ、禅文化一般などについては Zen の語を用いる研究者もいます。

 そこに乗り込んできたのが韓国であって、唐代・宋代の中国の正しい禅を受け継いでいるのは韓国の禅宗だけであるため、韓国音の Seon を使うべきだと主張する僧侶も出てきました。

 ベトナムも負けてはいません。かの有名なティック・ナット・ハン師などは、中国に最初に禅を伝えたのは交趾(ハノイ周辺)出身の康僧会(?-280)だとして、2002年にその伝記を Master Tang Hoi: First Zen Teacher in Vietnam and Chinaという題の英文の書物として刊行し、本文では禅をベトナム語音のThiềnで表記しました。康僧会の禅は、インドの伝統的な禅定であって、中国禅宗のいわゆる禅とは異なりますが。

 この争いは今後どうなるのでしょう。インド人学者が、インドこそが本場だと言って、文語であるサンスクリット語の dhyāna、あるいは実際に用いられていた口語の jhānaを使えと主張するでしょうか。

 言語学者は、インド西部からシルクロードにかけてその末尾の母音が落ち、禅という音写語の直接の元となった  jhan という表記を使うのが妥当だと言うかもしれません。ただ、jhan の a を cat のようにǽ と発音すると、「じぇん」に近くなりますね。日本語の漢字音は、昔の中国語の発音を反映しているのですから当然ですが。