朝、稀に、ほんとうにごく稀に、列車の通る音がきこえる。きこえる、ということばをつかうのが正しいかどうか、よくわからない。すこし規則正しいような振動がからだのどこかに感じられ、たぶんそれは鼓膜からきているのだろうとおもうのだが、振動はほんの数秒にすぎず、音は、いつもではないかもしれないが、すくなからぬ場合、ほんとにしていたかどうかはかなり曖昧だ。
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たとえば、いにしえの街の音環境について、京都は平安京の鐘について、あるいは江戸の鐘について調べ考察したものがあり、それらは細長い、タツノオトシゴ型の列島の西と東、ましてや数百年隔たっていながら、それぞれの街で宙に吊られた合金の鐘がひとつひびけば、かなりの範囲まで届いたことを教えてくれる。
大晦日の除夜の鐘さえ騒音と言いたてられ、永年の慣習をとりやめにすることあまたある時代、鐘がどこまでひびくのか、音が届くのか、ああ、鐘がなっているなとなんとなく気づかれることがあるのかないのか、容易に調べることも難儀か。寺の鐘でなくとも、どこぞで火事がおきれば半鐘をならす。近さによって叩きかたが違うと教えてくれるのは、圓生のかたる「火事息子」だが、そこではあわせて、大きな蔵がたっていると、火事を堰きとめることもあわせてふれられ、蔵は延焼をさえぎるとともに、音もまた、と想像はできそうだ。タテにのびる建物が無数にある街で、音たちはビルの壁面に立ち往生、あいだの道々に追いこまれ、迷い、いつのまにか消えてしまう。音のゆくえ、音の生活圏は、かつてにくらべ、はるかに狭くなり、寿命は短くなった。サウンドスケープ論のなかでハイファイと呼ばれたありようは、いま、都市周辺でどれだけみつけることができるのかわからない。
いくつも軒をならべる繁華街でそれぞれに録音された音楽をながし、道をゆくひとは、店ごとになっているのが違うのを、店ごとに認識はするが、認識していることさえも気づかず、ただ歩みさってしまう。
それは、遠くからきこえてくる微かな音楽とは違う。ましてや狸囃子のようになっているのかいないのか、そもそもあるのかないのかわからないあいまいなものとは、きこえる、きこえるような気がする、と、それを探してふらふらするのは、違っている。
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朝、たまたま早く目覚める、あるいは夜を徹して何かしていて、寝そびれてしまったときに、鳥が一羽鳴きはじめるのに気づく。しばらくは一羽。それから二羽、そして三羽。あとは数がわからない、鳴きかわし、呼びかわしがしばらくつづき、いつしか、おさまっている。あいだに、何本もの牛乳瓶がバイクのモーター音を伴いながら、木箱のなかで高い音をたてふれあっている。もうすこしすると自転車のブレーキと郵便受けに配達される新聞のことりというやわらかくもかたい音がして、バイクはまたつぎの家へとごく短く走ってゆく。こんなのは、もはや十年二十年前の記憶のなかにたくわえられたものであり、すでにもはや失われ、ききたくてもきけないものであるのかもしれない。それでも、朝の、といえば、はじめに記した列車の、ほんとうにしている、していたのかしていないのかわからない、あいまいであやふやな音の記憶とともに、朝の光景のひとつ、文字どおりのサウンドスケープとして、ある。
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音楽における近代、近代なるものを再考する。それが課題なのだろう。しばらく、ああでもない、こうでもない、こっちから、あっちから、と切る角度を考えていた。いつも、いつのまにか、かなり違ったところに行ってしまい、たちどまる。帰り道などみいだせない。どうしてこんなに迷うのか。近代がよくわからない。ぴんとこない、こなくなっている。まして音楽と近代とが結びつけられるとさらに、だからだろうか。古代から中世、近世と時代がくだって近代、19世紀から20世紀にかけて、も、まんざらピントはずれではないかもしれない。はずれていないことを願ってはいるのだが。
ふと想いだした1冊は、濱田明を代表として掲げ、モダニズム研究会編『モダニズム研究』(思潮社)。刊行は1994年、660ページを超える大著。重心は美術と文学にあり残念ながら、音・音楽をめぐる論考ははいっていない。残念。だが当時は、わたしじしんそちらの圏域にいたのだったが、多少の違和感程度しかおぼえなかったような気がする。
せっかくだから、とこれも今更ながらに引いてみる。
近代をmoderneの訳語としてととらえ、故意にある傾きにこと寄せるなら、この語にあるmode、うつろいゆくもの、のニュアンスをクローズアップし、敢えてそう呼ぶことで、それまでのずっと世のなかって政治社会体制はたしかに変わることがあるけれど、ひとの生活は大して変わらないんじゃ、と言えなくなってきた時代、具体的にいえば、フランス革命が起きて半世紀かそこいらで、けっこうわさわさしてきたしいまもしているしこれからもまだ続きそうだよいったニュアンス、がここにはあるんじゃないか。ボードレールが『現代生活の画家(Le Peintre de la vie moderne)』を書いたのが1859-60年、発表が1863年。ランボーが「何がなんでもモダンでなくては(Il faut être absolument moderne)」と『地獄の一季節』で書くのが1873年。
19世紀後半、1848年のパリ二月革命/ルイ・ナポレオンのクーデター後にボードレールが、1871年のパリ・コミューン後にランボーが近代(moderne)という語をつかった、そうした文学だの芸術だのの領域に携わるものの肌身にふれていたのは、政治社会体制と並行して変動しているテクノロジーの、テクノロジーによる変化ではなかったか。
地球が情報的に狭まったとの感覚を抱くためにいくつかの例を引くなら、こんなところか。
ロアルト・アムンセンが 南極に至ったのは1911年、北極には1923年。地球上のあるところとべつのところとは昼夜がすこしずつずれている、端的にいって時差がある。そんなことに気づいて時間帯なるものを世に問うたのは1884年、国際子午線会議のフレミング卿の発言だったが、いわゆる標準時なるものが発動されるまでにはすこし時間がかかって、1929年まで待たなくてはならない。陸上の、そして海底の電信用ケーブルは19世紀半ば急速に進んだ。1912年4月のタイタニック号沈没も、1923年9月の関東大震災も、またたくまに世界に知れわたった。インターネットの即時ではないかもしれないが、100年前にはかなりの速度感が、それ以前の50年100年とは変わっていた。
ヨーロッパの覇権がヨーロッパの外へむかってゆく、資本主義、帝国主義、植民地主義、といった語が浮かび、並行して、非西洋圏音楽への関心がおこる。調律のグローバル化、調性や和声の不安定化、楽器の改良や拡大、録音・再生技術の発展がある。音楽家たちは具体的にどのようにすすめられたか、個別に、また大括りにみる。そうしていけばたしかに浮かびあがってくるものがあるはずだ。ただ、そうしたことにどれだけ惹かれるかといえば、ほとんど、惹かれない。いつだってそういうはなしはする。あたまの隅にはある。あるけれど、それはまあいいかな、とおもっている。前提を再考し、詳しくこまかく再考することに意味はある。あるはずだ。ただじぶんができるか、ふさわしいか、適任か、といえば違うのではないか。じゃあ何かほかにあるのか。あらためて考える、考えるというより、まわりを見回してみる。ほかに、といえるかどうかはわからない。すこし食指がうごくかなという気がするのは、音楽というより、音、音の、音へのありよう、音からのありよう、であるような気がしないでもない。
もったいぶっているわけでは微塵もない。
近代とは――たとえば、楽譜に記し、よそでも、リテラシー(読み、演奏する、などなどのもろもろ)があれば再現(にとどまらぬプラス・マイナス)できるとの思考・志向性だったかもしれない。それはデータ化とか、コンピュータ化、IT化ともつながってくるかもしれない。
それについてのもろもろは傍において、もっとより具体的に、いや、卑近にと言ってもいい、「そこ」でしている、なっている、具体的な、物理的な音・音楽、表層的な音・音楽――なんてものがあるのかはわからないが――を志向する、しようとした、それを近代?の一側面、一部分とみるにはどうか。いやいや、抽象化からこぼれおちるのはわかっているけれど、それをわざとモデル化することででてくるものを、十二音音楽と未来派の音楽がかさなっているのと、そのあたり、たとえば雑駁な例ではあるが、抽象絵画とシュルレアリスムが並行的にあったこととつながっていないではないだろう。
オクターヴ12の音をひとつひとつ独立したものとみなし、序列なく、どれかの音を特権的に扱うのをやめてどれも均等に、順列組み合わせのように扱う、重心を持たせない、あるいはそこから発しながら、オクターヴの12分割に飽きたらずもっとこまかく、あるいは、べつの分割を試行したり、音楽のための道具としての楽器という枠をはずして、現実音やノイズ、電気・電子的発音によって音楽の音を拡張したり、といったおこないは、やはり近代におさめられると言っていいのだろう。
前世紀の終わりには、もう、楽器が弾ける、楽譜が読める、そんなところからすでに遠く、ありあわせのものをつぎはぎし、PCで楽曲づくりをするなど、あそびの、ゲームの延長上になった。音楽とあそび、古語のあそびと、西洋語のplay-joker-spielenが(あらためて?)近づくのはこのあたりかもしれない。
オクターヴを12に分ける。それぞれの音の間隔をどうするか。そもそも、基準となる音の高さ、ピッチはどうするのか。長いこと議論されてきた。古代におけるそれぞれの文化圏から現在に至るまで、調律法は根本的なこととしてあった。そこからすると、音楽はほかのことどもより、グローバル化がはやく行きわたった、進んだとみえなくもない。古代中国で「楽」が重んぜられ、三分損益という調律法が度量衡とからめて決められたのと似たかたちで、と言ったらいいだろうか。その一方で、平均律が近代・世界を席巻したかにみえつつ、つねにそれへの揺さぶりはかけられている。ディジタル環境において加速していると言ってもいい。
そうした音ひとつ、もうひとつ、さらに……と決めてゆく調律法のゆらぎに比して、基本となるひとつの音を決める、どこにいっても、ここをセンターとしよう、とりあえず世界標準として決めようということになったのは、やはり19世紀から20世紀にかけてだった。各地でばらばらだった標準の「ラ(A)」音が、1920年代半ばにアメリカ――そのあたりで世界=音楽=地図の地政学が変わってきたのかもしれない――を中心としながら440Hzと決まってきて、1939年、ロンドンでの国際会議で国際規格、1955年にISO(国際標準化機構)がISO 16として正式に採用。この時期、単数形の音楽という語が複数でもありうるということが認められたことをかさねられるのも意味があるはずだ。
他方、時代はすこし遡ってしまうけれども、この列島においては、といって、非西洋圏でのありようについてひと言加えておくべきかもしれない。幕末、戊辰戦争の山国隊、伊澤修二による音楽取調掛の設置というようなことを勘案する、と。だがこのことはとりあえず脇に措く。いつかどこかで想いだし、何かに関わってくることがあるにしても。ひとつだけ、さきの標準ピッチとつなげるなら、いま耳にすることはあまりなくなったけれども、NHKの時報が440Hzと220Hzで告げられるようになったのも、この圏域と無関係ではなさそうだが。
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音楽家が王宮や貴族や教会に雇用されるところから独立し、音楽をひとつの主張、思想にして表現者となる。名手として喝采を浴び、各地で活躍する。教師として弟子を育てる。音楽院の教授になる。世紀が変わると、楽譜やレコードを販売し売上が伸び、人気を得、スターとして認識される。そうした市民革命から資本主義の伸張とシンクロしたかたちでの音楽家のありよう。
共同体に要請され、宗教から政治社会祝典その他といった儀式に付随する音楽のはたらき。芝居や祭りを彩る音楽。ひとが集まったときのうたと踊り。
よそからやってきたひとたちと一緒に声や楽器をあわせ、ともにひとつの音楽らしき何かを奏でるために、音をあわせる。そのための調律のありようと、世界的な標準への志向。
ランダムにいくつか挙げてみたが、こうしたことどもの「近代」以前と「近代」以後を検証することは、大切なことでもあろう。
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防音カーテン、制音シート、遮音シート、吸音材、防振材……ところによりおなじものを別の名で呼んでいるかもしれないが、こうしたものの発達して、以前より、都市の工事の騒音はずっと抑えられるようになった。かつては現場がもっと剥きだしで、視覚的にも、そんなふうではあるが、ちょっとした音、たとえばハンマーで金属を叩く――反響する音が、ひじょうに短い間隔でエコーをともなっているのが、気になる。現場のかなりそばにおなじような建物が密集し、壁にあたって、エコー(のように二つ目がいくぶん弱くなることもなく)ではなく、連続音のように耳に届く。
音は洩れる。
あるひとたちが秘密裡に弾いているものもあった。
門外不出の楽曲、秘曲もあった。うらぎりがあり、音の性質上、洩れゆくこともあり。
特定の、許されたものにだけ伝えられるものもある。
密室のなかでのみ奏でられる音楽。
都市化にしたがって、ノイズはふえてゆく。
都市環境における雑音の増大。室内のノイズを外に押しだすようにして、街のなかの音は多様に増大する。音楽を静かな環境のなかで享受すること。演奏場所の囲いこみ。生活において不可避的なものとして雑音はそばにある。室内の音のみに聴き手を集中させるような場所が確保されるようになる19世紀。楽音のみで構築された音楽=作品に集中することが要請される音楽のありかた、思想と、ノイズを遮断する建築の工法とは、それぞれべつであったかもしれない――にもかかわらず、両者は連動していたようにみえる。徐々に静かさが担保されるところもある。その場にいるひとたちは黙し、身ぶりを抑える。雑音から隔絶したありよう。それが音楽の場所とされる。他方で、雑音のとりいれ、共存がある。
大気汚染、騒音公害が浮上し、それぞれのアラームがターミナル駅周辺に表示されていたのは高度成長と連動していたような記憶があるが、勘違いだろうか。ああしたものを目にしなくなったのは、いつごろから、だったか。
都市といい近代という。
時代を切り拓くのが都市であるとして、都市化と重なりまたずれながら、変化してゆくところがある。業態が生活が環境が変わり、諸々の素材が、メディアが、ひとの数が、家族が変わる。共同体が変わる。それも含めての近代、であること。
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風が吹いている。
アルミサッシではない。日本家屋。
木製窓の、はめている枠とガラスのあいだには、ほんの、じつにほんのわずかなあそびがあって、ガラスが揺れる。音がする。隙間風が。
これとはすこしちがった、鴨居と敷居のあいだの障子や襖の揺れと音も。
想いだすのは泉鏡花、『菎蒻本』か――「如月のはじめから三月の末へかけて、まだしっとりと春雨にならぬ間を、毎日のように風が続いた。北も南も吹荒んで、戸障子を煽つ、柱を揺ぶる、屋根を鳴らす、物干棹を刎飛ばす―(中略)―東京もまた砂埃の戦、を避けて、家ごとに穴籠りする思い。」
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ぼんやりとおもうのは、音の発する、発されるところと、発音するもの、耳をむけるものとの距離だ。
かつて、少なからぬ場合、音を発するもの、いわゆる楽器は、ひとのカラダのそばにあった。息を吹きこみ、管のなかで音がする、唇やリードが振動する。指が絃をはじく。弓で弦をこする。手や指、撥が革や木や金属を叩く。指が鍵盤を叩き、ハンマーが絃を叩くピアノでは、ほかの楽器よりは間接的かもしれない。パイプオルガンはさらに鍵盤と諸々の管ははなれている(それでいて、多くのストップを用いているときの鍵盤の重さ?圧力?は、そうでないときとはかなり異なり、いつもおなじわけではない)。
プリペアド・ピアノのような例もある。ピアノではあるが、音色がかえられている。決まった変えかたはない。誰かがあらかじめ絃にゴムやボルトやフェルトをはさみこみ、ほかの誰かがそのプリペアド・ピアノを弾く。ひとつひとつの絃に何が挟みこまれ、どんな音がするのか、弾かなければわからない。予想がつかない。
いわゆるアコースティックな楽器にくらべ、電気・電子的な楽器は、指やからだと、音そのものがでるところは、条件によって異なる。端的にいえば、楽器とスピーカーとは距離がある。さらにいえば、指がふれるところ、インプットの身体的な感覚と、アウトプットされる音とは、じかんさがあったり、音色が予想と異なったりすることがある。発音するカラダと、でてくる音のイメージがずれる。いわゆる音楽を奏でるための媒体たる楽器ではなく、汎用性の高いPCであるなら、楽器のキーボードとアルファベットを打つためのキーボードとの違い以上のものがあり、プログラムによって即時的に発音されるとはかぎらず、時間的遅れもある。みずからすでにふれ、プログラミングしていなければ、アウトプットは予想がつかない、といってもいい。より具体的になら、おなじ白と黒の鍵盤でありながら、タッチの差、鍵盤そのものの重さ、跳ねかえるバネの速度、はかなり異なる。わかりやすく、またすぐおもいつく程度の例を挙げたわけだが、このようなカラダと発音のずれはほかにもあるはずだ。インプットがキーボードではなく、吹奏でも絃であっても、あいだにブラックボックスを介在させていれば、イン/アウトの距離はいろいろな意味で大きくなる。
音を発するのは楽器とカラダだけではない。時計だってラジオだってTVだって、PCだってそうだし、何かをすれば音がでる。音は、何かと何かが出会うときに、発される。たぶん、こんなのは一例だ。
いま・ここ、でしか耳にはいってこなかったもの、つぎの瞬間には消えてしまい、起こったのかあったのかなかったのかも判然としなくなる音・音楽。それが録音・再生技術によって、いつでも・どこでも(便宜的にではあろうが)になる。
地理的・時間的距離がほとんど無効となる。ほんとうにおなじかといえば、違うだろう。いろいろな意味で。ただこまかいことを捨象して、大括りにすればおなじといえないこともない。そこでは三次元的な演奏するカラダを欠いてはいる。音楽は、ただ音の組みあわせのようだ。もともとはさまざまなレヴェルのカラダがかかわり、重層化していたのだったが。
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絵や文字として過去は表象されていた。モノも残っていた。じぶんの記憶はつねに不確かだった。そこにあるモノをとおしてしか過去はなかった。
ある作家は書いていた。19世紀のイギリス人は、過去はせいぜい数百年と信じていた。聖書に記された創世記などそれほど前のことではなかったし、シュリーマンの発掘以前には『オデュッセイア』は空想だと信じていた、と。
録音・録画ができてから、ひとは過去に再会し、過去とともに生きるようになった。見知らぬ過去は無数にある。静止しているとはかぎらない、動く過去。亡霊。かつてあっただけではなく、適宜変更・変容された過去が寄り添ってくる。音楽は消えるものだった。終わってしまったら残らない。残っているのは、ひとそれぞれのきおくのなか。それがかわってしまった。ひとはあらためて過去に気づき、過去を知り、過去とともに暮らすようになった。レコードにあるのは、いつか、どこかの演奏。スタジオにミュージシャンはおのおのやってきて、パートごとに録音し、帰ってゆく。複数の時間をひとつの持続にまとめなおして、かたちにし、送りだす。ときにはそのままでなく、適宜、手を加えて。耳にするスピーカーからの音楽のほとんどは亡霊だ。気づかないうちにつくられた過去に出会いなおしている。
インターネットにあがってくる人物が往年のアイドルであり、とうの昔に亡くなっている、なんてことはざらだ。つぎつぎに更新されるコマーシャル映像も、多くのひとの目にふれるのはいまであっても、何度もチェックされ、カメラを前に撮影されてからすこしは時間が経過し、映っている人物は数日でも数週間でも数カ月でも、加齢している。音は、音楽は、おなじようではあっても、映像より気づきにくい、言い換えれば、すこしくひとは無関心だ。
ひとは過去とも、それまでとはべつのかたちで、べつの意味で、ともに暮らす。
ときには距離をおき過去のものといちいちおもいはしなくとも、ときには「いま」ともにあるものとして、過去とともにある。
くりかえしになる。
たぶん、音・音楽を考えていても、いつしかそこからはみだしてゆく。どうやら掴みとれるのは、時間の輻輳(化)、空間的・時間的な距離の迷い、といったところか。近代なるものと音・音楽とは、具体的な作品や音楽実践のなかに深く埋めこまれ、それだけを音・音楽においてと切りだすのはむずかしい。そんなふうにおもう。いま挙げた二つも、近代なるところでこそみいだしえるかもしれないながら、それ以後、いまにいたるまで変わらずに、さらにいっそうややこしく世とからみつつあるのだというところではないか。もしかすると、音楽の日常化、とか、音楽があたりまえになる、とか、音楽にうんざりする、というのもはいってくるのかもしれないのだが、むしろそれは近代というより、近代「以後」のことなのだろう。ただ、変化することを特性とするなら、近代はいまも、であるだろう。そうすると、そもそも近代が、近代「以後」があるのか、ずるずるべったりといつまでも近代だったりするのか、いや、そんなことはないはずでいつのまにか近代からはずれていて、それがいつどこでなのかは、もしかすると事象ごとに丹念にみていかなければならないだろう。このはなしは終わらない……。


