入所者の文化活動

 全国に13ある国立の療養所では、1つの園で多いときには千人以上もの人びとが暮らしていました。一度入ると二度と出られなかったため、すべての療養所には火葬場と納骨堂(お墓)が設置されています。入所者たちは家族と暮らすことも、故郷に帰ることもかなわず、一生をこの場所で終わらせることを余儀なくされたのです。では、かれらの人生とは、無為なものだったのでしょうか。療養所の暮らしとは、命が尽きるのを待つだけの、虚ろな日々だったのでしょうか。決してそうではありません。全国の療養所では、戦前から短歌や俳句、詩、絵画、音楽といった文化活動が起こり、戦後にはそれがさらに活発になっていきました。その中で私は、特に詩に注目しています。

 詩人の大江満雄(1906年~1991年)は全国各地の療養所をまわって入所者の詩を集め、1953年に『いのちの芽』(三一書房)という詩集を出版しました。その中で大江は、戦後に書かれた詩には、戦前にはなかったものが芽吹いているといいます。それは交流への希求であり、外の社会への呼びかけであり、社会をつくり変えていこうという意志である、と。その根底には、完治したにもかかわらず出ていけないという不条理への憤り、自分の人生とは何なのかという、切実で根源的な問いがあったのではないでしょうか。このことは、冒頭でご紹介した島比呂志の詩からもお分かりいただけると思います。

 哲学者の鶴見俊輔は、2001年にハンセン病資料館で行った講演でこの詩を朗読し、「この詩が書かれて50年以上が経っているが、これは当時だけの問題だろうか。ハンセン病の元患者やその家族を、いまの社会は受け入れているといえるだろうか」と問いかけました。そこから更に20年近くを経た2019年6月、ハンセン病家族訴訟に対して熊本地裁は原告の訴えを認める判決を下し、国は控訴しないことを表明しました。国の誤った隔離政策によって家族にまで差別が及んだことが、ようやく司法認定されたのです。

 しかし、これで終わったわけではありません。偏見や差別は私たち一人ひとりの心に生まれます。法律はそれを規定はできても、取り去ることはできません。島比呂志の詩が投げかける問いを、常に、私たち自身に差し向け、自らの問題として考える(それはもちろん、ハンセン病に限ったことではありません)。それこそがこの社会から差別をなくす、重要な方法なのではないでしょうか。


※タイトル画像:木下今朝義「家族」(部分)(2001年)国立ハンセン病資料館所蔵