琉球文化といえば入れ墨だというのは、私たちの時代ではわりと一般的だったと思います。琉球列島、という言い方を私たちはしていますが、そのいちばん北は奄美大島です。ここは昔入れ墨をしていました。でも奄美から北、トカラ列島に行くと入れ墨が消える。その代わりに出てくるのがお歯黒です。

 お歯黒は鉄漿(かね)付けともいうんですけど、早いところでは大体14、15歳から始めて、普通は結婚すると真っ黒にするんです。

――お歯黒も女性だけですか?

 昔は男もやっていたようですね。明治になると入れ墨もお歯黒も禁止されるんですけど、私の祖母はまだやっていました。子どもの頃それが珍しくて、おばあちゃん笑って笑ってって。笑うと真っ黒い歯が出てくる。きれいですよ。私は子ども心に、おばあちゃんきれいだなって思っていました。

 そういったわけで、沖縄は要するに入れ墨の文化。手は黒くて、歯は白い。大和はその反対に歯が黒くて、手は白い。琉球文化と大和文化の違いといわれれば、それが一番見やすいですね。

――たしかに分かりやすいです。二つの文化の違いはわかったんですけど、その逆に共通するもの、似通っている部分というのはいかがですか。

 違いはいくらでも言えると思いますけど、共通するものとなるとちょっと考えちゃいますね。琉球で使っていた古い言葉が、たとえば万葉集にあるとか、平安朝の頃の言葉と似てるといったことから、「大和と琉球は一緒だった」という人もいますけども、言葉というのは、同じ単語でも土地が変わると指すものが違ったりするので、なかなか難しいんですよね。

――やはり琉球と大和というのは別の文化だと考えた方がいいと。

 それがそうとも言い切れない。日本の文化をずっとさかのぼっていけば、琉球と共通すると思われるものもあります。

 つまり、琉球と大和の文化というのは、一方からもう一方に伝わったというのではなく、元は一つだったものがある時点から分かれていった、と考えることもできる。これは、非常に難儀な説明なんですけども。『日本書紀』あたりまでさかのぼると、琉球のやり方と共通するものが出てくるんですよ。

 たとえば、祭儀における女性の役割。伊勢神宮の祭司には皇室から出た女性がなるわけですけど、これは必ず未婚の女性だったんですね。一方の琉球では「ノロ」または「ツカサ」という神女が神様をお迎えするんですけど、このノロになれるのも元々は未婚の女性だけだった。神祭りをするのは未婚の女性だという点では、一応共通しているわけです。

――なるほど。

 それに7、8世紀ぐらいの記録を見ると、大和の人間もほとんどが入れ墨をしていたようです。だから何も、琉球の入れ墨を笑うことはない。いわゆる庶民の生活というものは、ずっと昔までさかのぼると、琉球も大和も案外差はなかったんじゃないかと思うんですよね。

――お話をお聞きしていると、そう考えるのが自然のように思えてきました。

 文化っていうのは、違いを見るのは簡単なんですよ。それに対して、昔は同じだったということを示すのには非常に労力がいる。でも、いろんな地方の風習を並べてみて、琉球の文化と大和の文化のこの部分はつながっているんじゃないかという勉強は、私はできると思っています。

酒井先生が主宰する研究誌『南島研究』。50年以上の歴史を持つ。表紙の版画も酒井先生の作

(取材日:2019年4月4日)