仏像は私たちにとって身近な存在ですが、その観賞方法や楽しみ方はヴァラエティーに富んでいます。旅行の折にその土地の仏像を拝したり、好きな仏像を見つけて何度も会いに行く、という方が多数派でしょうか。

 奈良、京都、鎌倉など地域を限定して仏像を巡る鑑賞方法もあれば、観音像、阿弥陀像など仏像の種類にこだわって鑑賞を広げたり、飛鳥、平安など年代を限定して見に行く楽しみ方もあるでしょう。また、来歴や表現方法などに「謎」がある仏像を追いかけるマニアックな仏像ファンも、案外たくさんいるのです。

仏像が語る歴史

 仏像鑑賞を長年続けていると、日本における仏教の変遷や時の政府、権力者との関り、それに伴う仏像の姿や意味の変化などが見えてきます。仏像は日本の歴史の語り部でもあるのです。

 たとえば、東大寺の大仏は奈良時代につくられましたが、「江戸の顔」をしています。平安時代の大地震と平清盛の命による南都焼き討ち、戦国時代の松永氏と三好氏の戦火などによって顔が損なわれ、江戸時代にオリジナルとはまったく異なる顔につくり変えられたのです。現在の大仏は角ばった輪郭ですが元は丸顔で、仏様が坐っている台座の側面に線描きされた丸い顔がオリジナルに近いと言われています。

廬舎那仏 東大寺

 東大寺の大仏ばかりではありません。1000年以上の時を永らえた仏像の多くは、幾多の天災や戦火で傷つき、修復された姿で私たちを出迎えてくれるのです。 

 仏像のなかには信仰上の理由や保存状態などの理由で公開されない、あるいは特定の年や日にしか公開されない「秘仏」があります。年に2回だけ公開される法隆寺の救世(ぐぜ)観音もその一つで、明治時代まではずっと厨子(ずし)に納められていました。しかし、単なる収納ではありません。救世観音は400メートルを超す布でぐるぐる巻きにされ、「触ると祟りがある」と言い伝えられていたのです。

 この救世観音を世に解き放ったのは、アメリカの美術史家 アーネスト・フェロノサでした。明治政府の依頼で日本の文化財保護に関わったフェロノサは、長きにわたって封印されていた救世観音に好奇心を抱き、厨子から解放しました。

救世観音菩薩立像 法隆寺

 一説によると、救世観音は聖徳太子に生き写しなのだそうです。とすれば祟りは聖徳太子と関係があるのでしょうか? この謎はまだ解明されていませんが、400メートル以上の布で包まれていたことを思うと、相当強い怨念が像に宿っていたのかもしれません。

 こんなふうに個々の仏像にまつわる歴史や秘話を発見すると、仏像巡りは俄然楽しくなります。仏像好きが高じて専門家になってしまった私は、学生や一般の方に仏像の魅力を伝えることを自らの役割としています。

 以前のコラムでは、仏像の「目」に注目しながら、仏像づくりの変化についてご説明しました。今回はもう少し踏み込んで、仏像が日本に上陸した飛鳥時代から江戸期まで、仏像がどう変化したか、その背景に何があったかを簡単にお話しします。 

覚えておきたい4つのカテゴリー

 まずは基本中の基本を押さえておきましょう。仏像の誕生と、4つのカテゴリーについてです。

 仏教はおよそ2500年前インド北部(現パキスタン領)に生まれた釈迦が説いた教えから始まりましたが、釈迦の教えには仏像は登場しません。釈迦は教えのシンボルになるような像の制作を禁じていました。

 しかし、釈迦が入滅(逝去)すると弟子や信者のなかからシンボルを求める動きが始まり、1世紀末頃のインドで釈迦を模(かたど)った「釈迦如来像」がつくられるようになったのです。ちょうどその時期、開祖の釈迦が伝えた教えに新しい解釈を加えた大乗仏教が次々興り、仏像の種類が増えていきます。日本には6世紀にこの大乗仏教が伝わり、以来仏像は日本の仏教史に伴って発展していきました。

 仏像は、「如来」、「菩薩」、「明王」、「天部」というカテゴリーに大きく分けられます。これらは仏教世界における「位」のようなもので、仏像を見慣れてくると像の姿や衣装、装飾品を見ただけで、どのカテゴリーに属するかが分かるようになってきます。

 カテゴリーの頂点に位置する「如来」は「悟りを開いた者」で、仏教の開祖・釈迦如来や阿弥陀如来が代表的です。欲も迷いも捨て去った如来は極めてシンプルに、衣を1枚か2枚まとっただけの姿で表現されています。

 如来に次ぐ「菩薩」は、将来如来になることを約束されて、修行に励んでいる者で、観音、文殊、地蔵など多数の種類があります。表現は如来ほどシンプルではなく、瓔珞(ようらく)と呼ばれる装身具や冠を身につけた姿でつくられるので、如来と区別できます。

 第3のカテゴリーに属する「明王」は如来の変化身で、仏教の教えを理解、実践できない人を教化する役割です。身体は赤や青色、顔は「怒り」の形相で表現されることが多い明王像ですが、その怒りは私たちに改心を促す「愛のムチ」と言えます。

 最後の「天部」は、古代インドで崇められていた神々を仏教の守護神として拝借したものです。私たちにとってなじみの深い阿修羅や帝釈天、四天王がそれにあたります。天部の役割はガードマンで、多くは甲冑などをつけた勇ましい姿で表現されています。

 この4つのカテゴリーを見分けられるようになるだけで、仏像巡りの楽しみが一気に増すことでしょう。