注釈

[注1]
 ロシア語が併記されていたのには地政学的な背景があります。1898年3月、帝政ロシアは清朝と旅順大連租借条約を結び、ハルビンから大連にいたる南満州支線の敷設権を獲得しました。これにより、ハルビンは帝政ロシアが中国東北部で影響力を拡大させるための拠点として急速に発展することとなったのです。1900~01年にかけて建設された松花江鉄橋は、1027mの長さがあります。橋桁の石垣は、この地への進出を狙う日本から、長崎の石工たちが送られて施工しました(現在は歩行者専用橋として整備されています)。1905年、思惑通り日露戦争で勝利した日本は南満洲鉄道株式会社を設立、大連―新京間、安東―奉天間の鉄道を獲得します。その後、満州国が建国されると日本は東支鉄道も買収し、それまで大連―新京間を結んでいた特急列車「あじあ号」は、大連―ハルビン間まで運転区間が延長され、日本人の進出も加速しました。

 このように、帝政ロシアが最後まで鉄道を手放さなかったハルビンには、アジア=太平洋戦争中もロシア人の影響力が残り、松花江鉄橋にもロシア語の表記が見られるのです。異国情緒あふれる街は日本人にとって観光名所となり、当時の絵はがきには「歓楽の都市ハルピンに遊ぶ」といった文言が記されています。

 しかし中国人にとって松花江は、「奪われた地」に他なりません。満州事変に着想を得た「松花江上(松花江のほとり)」という歌は、現在でも有名な抗日歌として知られています。その歌詞を見てみましょう。

「松花江のほとり」
作詞・作曲:張寒暉 

わが家は東北、松花江のほとり
そこには森林と鉱山
さらに山野に満ちる大豆と高粱がある
わが家は東北、松花江のほとり
彼の地にはわが同胞、そして年老いた父と母がいる。
ああ、9・18、9・18
あの悲惨な時から、わが故郷を脱出し、
ああ、9・18、9・18
あの悲惨な時から、わが故郷を脱出し、
無限の宝庫も捨て去って、流浪、また流浪、
関内をさすらいつづけている。
いつの年、いつの月、
私の愛する故里へ帰れるのだろうか。
いつの年、いつの月、
いつ、私のあの無尽の宝庫をとり戻せるのだろうか。
父よ、母よ、喜んで一堂に会するのはいつだろうか 

(日本語訳・澤地久枝)

 9・18とは、満州事変の引き金である柳条湖事件が発生した日付です。この日を境に故郷を追い出された主人公の悲哀が歌われています。日本人にとっての8・6や8・9に匹敵する日付と言えるでしょう。

 このように、中国・ロシア・日本それぞれの思惑が交錯する松花江を背にして、市郎は一体、何を思ったのでしょうか。

 
[注2]
 バシー海峡の犠牲者への想いは、広く知られている作品にもなっています。市郎が戦死した年の暮れ、1944年12月30日にバシー海峡で沈没した駆逐艦・呉竹には、海軍少尉の柳瀬千尋(1921~1944)が乗船していました。誰よりも心根が優しく、軍服とイメージの合わなかった千尋。その兄こそ、漫画家のやなせたかし(1919~2013)です。やなせがまだヒット作を生み出す前、「自分を励ます歌」として1961年に作詞し、空前のヒットになったのがこの曲でした。

「手のひらを太陽に」
作詞:やなせたかし
作曲:いずみたく

ぼくらはみんな 生きている
生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから かなしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮
ミミズだって オケラだって アメンボだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ

 「生きているから かなしいんだ」という歌詞が印象的です。戦争で弟を亡くした経験を持つやなせならではの「生きる」ことへの賛歌と言えるでしょう。この歌はNHK『みんなのうた』で紹介されてレコードが発売され、やなせは詩人としてヒット作に恵まれるようになります。そして1973年、弟の千尋をモデルにした一冊の絵本が出版されました。それが、『あんぱんまん』です。お腹の空いた子どもたちに、自分の顔を食べさせる主人公・あんぱんは、最初のうちは気味悪がられましたが、75年に続編の絵本『それいけ!アンパンマン』が刊行されると、静かなブームを巻き起こします。そして1988年、日本テレビでアニメ番組『それいけ!アンパンマン』が放送され、人気に火が付きます。アニメ版で放送された主題歌を見てみましょう。

「アンパンマンのマーチ」
作詞:やなせたかし
作曲:三木たかし

そうだ うれしいんだ 生きるよろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
なんのために生まれて なにをして 生きるのか
こたえられないなんて そんなのは いやだ!
今を生きることで 熱い こころ 燃える
だから 君は いくんだ ほほえんで

そうだ うれしいんだ 生きるよろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
ああ アンパンマン やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため

 ここでも「生きる」ことが高らかな喜びとともに歌い上げられています。「胸の傷がいたんでも」生きることはうれしく、喜びであるのです。「アンパンマンのマーチ」は、哲学的な問いが畳みかけられるようにして続出し、この歌詞を仏教やキリスト教の教えに通じると指摘することもできるでしょう。

 やなせは語っています。「アンパンマンをかきはじめたとき なにか不思議ななつかしさをおぼえた どこかぼくの弟に似ている」「アンパンマンについて話すことは あるいは自分史と重なるかもしれない お恥ずかしいがしかたがない」(『やなせたかし全詩集 てのひらを太陽に』北溟社、2007年)。初期の絵本に登場するアンパンマンは復員兵のような格好をしていましたが、それが段々と現在のような親しみやすい姿になり、いまや海外でも知られる作品になっています。バシー海峡で戦死した千尋への想いは、このように普遍的な作品へと昇華されていったのです。 


[注3]

「敗因21ヵ条」
1、精兵主義の軍隊に精兵がいなかった事。然るに作戦その他で兵に要求される事は、総て精兵でなければできない仕事ばかりだった。武器も与えずに。米国は物量に物言わせ、未訓練兵でもできる作戦をやってきた
2、物量、物資、資源、総て米国に比べ問題にならなかった
3、日本の不合理性、米国の合理性
4、将兵の素質低下(精兵は満州、支那事変と緒戦で大部分は死んでしまった)
5、精神的に弱かった(一枚看板の大和魂も戦い不利となるとさっぱり威力なし)
6、日本の学問は実用化せず、米国の学問は実用化する
7、基礎科学の研究をしなかったこと
8、電波兵器の劣等(物理学貧弱)
9、克己心の欠如
10、反省力無き事
11、個人としての修養をしていないこと
12、陸海軍の不協力
13、一人よがりで同情心がないこと
14、兵器の劣悪を自覚し、負け癖がついたこと
15、バアーシー海峡の損害と、戦意喪失
16、思想的に徹底したものがなかった事
17、国民が戦いに飽きていた
18、日本文化の確立なき為
19、日本は人命を粗末にし、米国は大切にした
20、日本文化に普遍性なき為
21、指導者に生物学的常識がなかった事

(山本七平『日本はなぜ敗れるのか:敗因21ヵ条』角川書店、2004年)