生きものとしての連続性と人間独自の特徴に注目した時の不連続性とが重なり合う中で、不連続性の方が少しずつ目立ち始めていくのが認知革命以降の生活であり、それが現代にまでつながってきます。いよいよホモ・サピエンスという生きものが人間として生きる過程を見ていくことになります。くどいようですが、「私たち生きものの中の私」という立ち位置を忘れずに。 

狩猟採集民の世界観

 人間としての生活の始まりは、狩猟採集生活です。すでに述べたように、ホモ・サピエンスはほぼ世界中に広がっていますので、それぞれの場での暮らしは多様ですが、その底にある共通の性質を探っていきます。少数とはいえ今も各地に現存する狩猟採集民の研究と古代の狩猟採集民についての遺跡を通しての研究が、共に興味深い結果を出しています。

 現存の狩猟採集民としては、南部アフリカに暮らすサン(J・スーズマン、池谷和信などの研究)、マレーシア・サラワク州のプナン(奥野克巳の研究)の例を学びました。古代の人々については縄文人を中心にして、典型と考えられる事柄を探っていきます。

 狩猟採集民は基本的に家族を単位とし、それがいくつか集まった集団をつくって暮らしています。私たちの祖先は生きものとして見た時のオスとメスの体格があまり違わないことから、配偶者を獲得するための雄の競争の少ない一夫一妻だったと考えられます。そこで夫婦と子どもたちを核とし、それに祖父母や夫婦の兄弟姉妹が共に暮らすこともあるというのが家族の姿だったでしょう。そのような家族が集まった集団の人数は通常数十人であり、時に100人を超えるものもあるという状態です。

 縄文時代の遺跡の発掘が進み、住居が一棟だけ見られる場所もあるけれど、三棟が並んでいることが多いことが分かってきたのだそうです。条件のよい場所ではこれがいくつかまとまって存在し、全体で十棟、二十棟というレベルの集まりになっているところもあるとのことです。その場合、共同作業や行司、祭祀の場として中央広場があります。集落です。よく知られている三内丸山遺跡が、大規模な集落の例と言ってよいでしょう。植物採集や小さな魚などを捕って食べるのは家族単位でできますが、狩猟や大がかりな漁獲となれば近くの仲間、更には集落での協力が必要です。

 ところで、本連載は現代社会のもつ価値観の見直しを目的としていますので、狩猟採集民のもつ世界観・価値観に目を向けます。彼らは完全に自然の中に入りこんだ生活をしているのですから、世界観も自然から分離しない形でつくられているはずです。「人間は生きものであり、自然の一部」という生命科学が明らかにした事実は、狩猟採集生活では自然感覚としてすべての人に共有されていたと考えてよいでしょう。まさに「私たち生きものの中の私」として毎日を暮らしているのですから。生命誌で考える世界観は、日常生活で何を考え、何を大事にしているかということですから、そこを見ていきます。

 生活と言えばまず食べものです。狩猟採集生活と言いますが、日常は採集に支えられています。森林の中で樹上生活をし、果実を食べて生きてきた歴史を考えても、まず植物食でしょう。日本列島は、主として本州北側の落葉広葉樹林と、南に下って照葉樹林帯が広がっていますので、そこではブナ科のドングリやクリ、トチ、クルミなどの実がたくさんとれます。

 三内丸山遺跡など集落の周辺には、管理していたに違いないクリ林が見られます。更に、ダイズの野生種であるツルマメや、アズキの野生種であるヤブツルアズキの栽培、更には時の経過につれてそれらが栽培種であるダイズやアズキに近づいていっていることがわかってきました。その他、貝の採取や漁業による魚、鳥たち、更には狩猟によるイノシシ、シカ、ノウサギ、タヌキ、クマなどの動物たちの捕獲と、食べものの種類は多く、豊かな食生活と言ってよい日常が浮かび上がります。 

「いのち」への思い

 ここで考えたいのは、食べるという形で生きものと向き合う時の人々の気持ちです。食べものとして動物や植物を手に入れる時、そこには「いのち」への思いがあったに違いありません。先ほどまでかけ回っていたシカが動かずに眼の前に横たわっているのを見て、そこで消えた何かがあることを感じ、それを皆で食べることで自分たちが生きていけるのだという実感を持ったでしょう。そこで自然へのお礼の気持ちを抱いただろうことが想像されます。人間と自然との間の互酬関係が、今も残る儀式や神話の中に多く見られますので。

 私たちになじみ深いものとして、アイヌのクマ送り(イヨマンテ)があります。アイヌの人々は動物、身近な道具などにも魂があると考える、いわゆるアニミズムの世界をもっています。そこですべての身近なものに対して役に立ってくれたことをねぎらい、カミの世界へと送る儀式を行います。クマは身近であり、しかも最も大型の生きものとして特別の存在ですので、自然の大きさを意識させるものとして特別の気持ちで送られるのでしょう。

 ここで私は、宮沢賢治の『なめとこ山の熊』を思い浮かべます。猟師(マタギ)の小十郎は、東北の山に暮らす熊撃ちの名人であり、町で熊の毛皮や肝を売って暮らしを立てています。クマを撃ちに行くなめとこ山は自分の座敷のような気がしており、熊の言葉もわかります。事実小十郎は、山の中で熊の親子の愛情に満ちた会話を耳にしています。ですから小十郎は、熊を殺してはいても憎んではいなかったのです。ところである時、熊が銃を構えている小十郎に「おまへは何がほしくておれを殺すんだ」と問います。小十郎は「お前の毛皮と肝が欲しいだけで、それも高く売れるものでもない。ほんとうに気の毒だけれど仕方がない。けれどもお前にそんなことを言われると、粟かしだのみでも食ってそれで死ぬなら死んでもいいような気がする」。このような意味の答えをします。

 小十郎と熊の関係、難しいですね。「私たち生きもの」として考えていると、こう答える気持ちはよく分かりますけれど、そうかと言って他の生きもののいのちをいただいて生きることは、私たちも行っているのです。ここが大事なところです。

 ここで熊は、「もう二年ばかり待ってくれ。二年目にはおれもおまえの家の前でちゃんと死んでいる」と言い、その約束を守ります。ここで小十郎は思わず拝むようにしたと賢治は書きます。その後のある日、今度は小十郎が大きな熊に襲われ、「熊どもゆるせよ」と思いながら死んでいくのでした。小十郎と熊の間には相互に認め合い、交感し合う生き方があります。お互いに贈与し合うことによって生まれる関係性があります。

 実は小十郎も言っていたように、熊の毛皮や肝を売っても決してその努力に報われるような値段がつくわけではありません。そのような人間世界でのずる賢い人について、賢治は「こんないやなずるいやつらは世界がだんだん進歩するとひとりで消えてなくなっていく」と書いているのですが、とんでもない。今やずる賢いほど生き残る社会になっています。進歩とは何なのでしょう。ここに描かれた贈与・交換の気持ちが「私たち生きものの中の私」として生きる基本であることを再確認しながら考えを続けるほかありません。

生命誌におけるアニミズム

 このような自然の中での生き方は、アイヌのところで触れたように「アニミズム」と呼ばれます。生命科学から生命誌へと移行した時に、それまでの科学の世界にいる時と自然との関わりが変化していることを意識し、そこにアニミズムが関わっているのではないかと感じました。以来アニミズムが大事な課題であるとわかっていながら、心……というより魂が関わり、宗教に続く課題ですから安易に入り込んではいけないと思い、これまで生命誌として正面から向き合うことはしてきませんでした。

 けれども「私たち生きものの中の私」を表に出して考える今、「アニミズム」が重要な視点であることを確認しないわけにはいきません。アニミズムについては多くの研究があり、宗教と関連させての考察が必要であることは承知しています。

 実は、生命誌を考え始めた頃に岩田慶治先生がアニミズムについて考えるようにと強く言われたことを思い出します。送って下さった多くの著作を、もっと真剣に読み、お話を伺っておかなければいけなかったと反省しながら、『カミと神─アニミズム宇宙の旅』(講談社)を開いています。ただここでは、宗教として考察するところまでは考えが進んでいません。著作を読み直して新しいものを探す努力をすることをお約束しながら、ここでは生命誌という知のありようとしての範囲でアニミズム的思考の必要性を考えるところに止めることを許していただきたいと思います。

 1998年に社会学者の鶴見和子さんが出された現代の学問にとってのアニミズムの重要性の指摘に刺激されて、生命誌で考えてみたことを思い出すところから始めます。鶴見さんはアメリカで社会学を学び、帰国後プロジェクトとして水俣の調査に参加されました。水俣病という現代社会の抱える課題を、具体的に示す現地調査です。

 アメリカで「社会の中の出来事は社会の中だけで説明する」と教えられ、それを正しいと思っていたのに、水俣の調査では人間と自然との関係を取り入れずに考えを進めることはできないことに気づいた鶴見さんは、悩みます。そして、社会に閉じこもらず自然をも取り入れて考えるという姿勢を選んだことによって、「内発的発展」という切り口を見出されたのです。発展は一律のものではなく、その土地にある自然や文化によってそれぞれに進められるものであるという考え方です。

 詳細な説明をする余裕がありませんが、水俣病を起こすような現代文明は、一律な進歩拡大を求めてきたところに問題があるということが見えてきたのです。これはまさに私が生きものについて、一つ一つの生きものはそれぞれに自分を生かす「自己創出系」であると捉えなければならないと気づいたことと、ピタリと合う考え方です。そしてそこにはアニミズムが生きてくるというところで、考えが重なりました。

 その時鶴見さんが出されたのが、(1)自然と人間との間に互酬の関係があるという信念、(2)自然に対する限りない親しみと畏れ、(3)死と生の間の交流の三つです。一つ一つについて細かな説明はしませんが、これまで生命誌として語ってきたことと重なることは感じとっていただけると思います。「自然そのものを見ようとする」なら、科学を基本に置こうが社会学であろうが、アニミズムと共有する自然との関わりが自ずと生まれてくるということなのでしょう。

 「近代的な学問の中にいながらアニミズムとは何を言うのか」と問う方があるかもしれません。しかし、学問を進めてきたからこそ自然の本質をそのまま見ることができるようになり、それは自然の中に入り込んで心と身体とで自然を実感していた狩猟採集時代の人々と同じものを感じとることになったと言ってよいのではないか。今、そう思っています。

 宮沢賢治のように鋭い感覚の持ち主は、アニミズムの世界に生きるのだろうと思います。『なめとこ山の熊』だけでなく、さまざまな作品を通してそれを感じとることができます。しかし、生命誌を知れば特別の鋭さがなくても、私たち人間が生きものの一つであるという事実を通して、誰もがその世界を感じとることができるのです。

 ところで、ここで考えなければならない課題があります。アニミズムでは、アイヌの人々の場合でわかるように、あらゆる存在の中に魂があり、それをカミの世界に送ると言います。生命誌では「人間と自然との間に互酬関係がある」という感覚は抱きます。そこでは、従来の科学による解明の対象になるモノとして捉えることのできない何かを思わずにいられないことも確かです。ここで魂という言葉を用いることにやぶさかではありません。

 ただ、このような文脈の中で文化人類学・民俗学で用いられるカミという言葉を、今のところは生命誌には持ち込まず考えたいと思っています。カミは、その後世界各地で確立していく宗教の中で、神という絶対的存在につながっていく言葉です。アニミズムを宗教とは独立した知である生命誌の中で考えるという今の気持ちに正直に、カミという言葉を用いずにまず「いのちの不思議」とし、考えを進める中で言葉も考えていきたいと思います。

 自然は、科学ですべてを解明できるものではありません。生命誌は、科学に拠って科学を超える知として組み立てているので、自然の一部である人間(ヒト)として、自然に、思うようにはならない大きなものを感じることを素直に認めざるを得ません。「私たち生きものの中の私」として生きている私は、クマ送りをするアイヌの人々、更には古代の狩猟採集民と同じように、超越した他界ではなく、自分と同じ世界の続きに存在するものとして「不思議な何か」を意識しています。それは私たちとつながっていながら、私たちの力で自由にできるものではない何かです。

 アイヌの場合、カミがクマの仮面を被って人間の世界に現れることになるのは、カミの世界が人間の世界から超越したものではなく、動物を通して連絡できるものとなっていることを示します。私たち生きものという実感はこれと重なります。

二元論の盲点

 この関係について、中沢新一さんが、「メビウスの帯」で考えるというみごとな示唆を与えて下さいます。メビウスの帯はご存知ですね。紙テープを一度ねじってから貼り合わせるとできる輪には、表裏があるように見えながら、表と裏がつながっています。アニミズムの世界では、私たちが暮らす世界とカミの世界とがどちらでもあり得るという、メビウスの帯のような通路があると考えられます。アイヌのクマ送りでは、あちらへ行ったクマがまた戻ってきてくれる、つまり通路を行ったり来たりすると考えるわけです。

 一方生命誌では、科学研究によって明らかになった生きものの姿を見つめ、その本質を知ることで世界観をつくりあげ、生き方を考えていこうとしています。生命誌での世界観は生きていることと死ぬこと、人間と自然など、一見分けられるもののように語られる事柄が、実はメビウスの帯の表と裏と考えると、実態が見えてくることを明らかにしています。生きものの世界はこのような形でつながっているのです。

 現代社会では、すべてを二元論で考えます。生命に関わることも生と死、男と女、遺伝と環境などと、あたかも両者が対立するものであるかのように語られます。けれども生きものの実態はきれいに二分されるものではありません。生と死も、男と女も、遺伝と環境も、入れ子になってつながっているのです。メビウスの帯です。すべてを二分し、時にそれを対立させたり○か×かを決めつけたりする現代を考えると、改めて、鶴見和子さんと話し合った生き方の大切さ、とくにいのちに対する畏れを抱くことの大切さを思います。

 ここである言葉を思い出しました。哲学者であり美学者である今道友信先生が科学を否定的に捉えられる理由を、「科学は好奇心で動くからだ」とおっしゃいました。好奇心を辞書で引くと「珍しいこと、未知のことへの興味」とあります。人間のもつ大事な能力ですが、そこには対象に対する畏れがないことが気になると先生は言われました。人間は生命誌絵巻の中にいるのに、現代社会は自分たちが絵巻の外、しかも上に立って生きものたちを操作するという上から目線を持っているという問題があります。そこには畏れはありません。

 今道先生は、対象への知的な関心には驚き(タウマゼイン)が必要で、そこには知ることと同時に常に畏れがあるのだと語られました。狩猟採集社会にあった世界観であるアニミズムを、原始的とか遅れていると言って切り捨てることはせずに、現代の学問を活かしながら評価することです。恐れではなく畏れをもち、「私たち生きものの中の私」として地球で生きる生き方が見え始めました。