さて、そろそろ西田幾多郎の「絶対無の場所」へおもむかなければなりません。まず、私が、なぜ西田を読むようになったのか話してみたいと思います。そもそも大学院に入ってウィトゲンシュタインから研究を始めたわけですから、おとなしくしていれば、西田にはであわないはずだからです。またまた、こうして話がそれていくかもしれませんが、今回は、充分注意して逸脱しないようにしていきたいと思います。

 西田幾多郎という名前は、もちろん知っていましたが、大学院に入るまで、一度もその本を手にとったことはありませんでした。理由は、わかりません。小林秀雄が、西田哲学を「奇怪なシステム」だと言っていたことが、頭に残っていたのかもしれませんが、その可能性は低いと思います。なぜなら、小林秀雄の影響は、高校時代で終わっていたからです。

 中学高校と、小林秀雄にどっぷり浸かっていたので、大学時代は、この批評家の文章を読むのも見るのも嫌でした。もちろん、その後再び小林について考えるようになったのですが、一時期とにかく離れたいと思っていた時期がありました。だから、大学時代に西田を読む機会は、当然あったはずなのです。しかし、なぜか近づきませんでした。

 そしていま、小林秀雄も西田幾多郎も、ある程度読んだうえで、小林と西田を等距離から眺めると、とてもよく似ているところがあると思います。とくに『善の研究』の時期の西田が目指していたものは、小林の目指していたものと同じだったと言えるのではないでしょうか。その理由は、もちろんベルクソンが二人の背後にいたからです。ベルクソンの「純粋持続」という概念や「直観」という方法論が、二人に甚大な影響を与えていたからでしょう。

 ところが、この二人は、その後も、なぜか近いところにいた節があります。それは、次のような事情です。西田の晩年、ハイゼンベルクや量子力学からの引用がかなり多かった時期があります。一方、小林も、昭和33年(1958年)から『新潮』で始めた連載、ベルクソン論『感想』の最後の方(1963年に中断)は、やたらにハイゼンベルクが登場します。小林の方は、おそらくベルクソンの『物質と記憶』の内容を、量子力学と関係づけたかったのではないかと見当をつけることができます。

 それに対して西田は、「場所」という概念と、物理学の「場」(「重力場」や「電磁場」の「場」)を結びつけて説明しているので、彼の哲学にとって、物理学の道具立てがとても重要だったということだと思います。それに、「観測の理論」が、西田哲学の構造(認識論から存在論へ)の根幹部にかかわっていると西田自身が考えていたのではないかとも思います。このあたりのことを絡めて、小林秀雄と西田幾多郎の比較をしたいと思っているのですが、いつになるやら。それは、私にも(私には?)わかりません。

 ほら、逸脱しました。戻りましょう。なぜ、西田を読みはじめたのか、でした。それは、木田先生が大学院で毎月おこなっていた研究発表がきっかけでした。わたしも、この研究発表会で、当時翻訳が出始めていたレヴィナスを発表し、その後レヴィナスとの長いつきあいが始まりました。そういう意味で、とてもありがたい発表会でした。その研究発表会で、後輩の大学院生が、西田の『善の研究』について話をする機会があったのです。その準備のために、『善の研究』を読んで、私は「幾多郎沼」にはまったのでした。

 『善の研究』は、とても不思議な印象でした。それまで、哲学専攻に入ってから原書で読んでいたハイデガー、ウィトゲンシュタイン、カント、ヘーゲル、メルロ=ポンティなどとは、かなり違っていました。西田を読むと、これらの西洋の哲学者のいずれとも異なる独特な読後感でした。他の哲学者とは、やり方も文章も異なる不思議な感覚なのです。その異様な緊迫感のある文章に魅かれて、それから西田の全集を一巻ずつ時代順に読み進めていくと、ひとりだけよく似た西洋の哲学者がいることに気づきました。それは、エトムント・フッサールです。

 この二人は、考究している対象の整理など一切せずに、哲学の格闘そのままを文章化していくように感じました。この二人の文章を読み終ると、どこからか「現場からは以上です」という声が、深い溜息とともに聞こえてくるかのようでした。これは、しかし、読む方にとっては、とても迷惑な話です。こちらで、整理整頓してあげないと混乱したままなのですから。「エントロピー増大型哲学者」とでも呼びたいくらいです。

 この二人の本を解読するのは、とてつもなく骨が折れます。西田やフッサールの思索に巻き込まれて、問題そのものにひきずりこまれるので、冷静になって俯瞰するということが、なかなかできないからです。わからないならわからないまま、いろんなことを放置したまま、西田やフッサールにあちこちに引きずりまわされるのです。本当に大変な「現場」なのです。 

「場所」

 そのような独自の頑なな掘削者(くっさくしゃ)・西田の考える「無」とは、どのようなものなのでしょうか。何回か前にも(連載10回「存在と無と場所と」)、少し話しましたが、改めて私なりに、ちょっと角度を変えてスケッチしていきたいと思います。

 西田は、「場所」という概念を考えるとき、「AはBである」という形式から出発します。それは私たちが、何かを判断する時の形式だと西田は言います。この世界に存在する「もの」(ハイデガーの用語を使えば「存在者」)を、われわれが説明するときにつかう道具(言葉の形式)と言えるかも知れません。そして、西田は、この道具(形式)には、「場所」が隠れていると言います。

 たとえば「人間は動物である」という言い方を考えてみましょう。「人間」という「もの」を説明するときにつかう形式です。「人間とは何か?」という問に対する答だとも言えるでしょう。「人間」についての説明なので、当然といえば当然ですが、「人間とは動物である」という言い方はできますが、「動物とは人間である」とは言えません。なぜ言えないのか、いろいろ理由はあるでしょうが、そういう形式をわれわれがもっている、ということにしましょう。

 この言い方に「場所」がすでに入りこんでいると西田は言うわけです。「人間」という対象に着目し、それについて説明するとき、われわれは、なぜか、その「人間」が属している領域を指摘します。「人間は動物である」と言います。つまり、主語「人間」に対して、「動物」という述語で説明するのです。「動物」という領域を提示するというわけです。「人間」が、どのような存在か、わからないとき、われわれは、「人間」と同じ種類の存在者が属している領域を示すことによって、「人間」の性質を示すのです。「人間」は、「動物」という領域(集合)に属している。だから、「人間」は、「動物」である「犬」や「猫」や「こうもり」や「昆虫」と同じような存在なのだ、と説明したことになります。

 「犬」や「猫」と同じような性質をもつ存在者なのだ。生きていて、動くことができ、顔があり、内臓をもち、食物を摂取し、・・・といった性質をもっている、ということになるでしょう。そして、動物以外の存在、たとえば、植物や鉱物とは、異なる存在なのだ、ということもおのずとわかります。「人間は動物である」という文は、こうして、一つの集合を示し、その集合のなかに「人間」という存在者が、まるごと入っているということを教えてくれます。

 そしてこの「人間は動物である」は、さらに集合を大きくすることができます。「動物は生物である」「生物は物である」「物は存在である」といった風に。そのつどの述語のもつ性質を共有している集合が、そのつど示されます。こういう言い方をするときの「集合」を、西田は「場所」と言っているのです。したがって、「どんな存在も、場所に於いてある」という西田の言い方は、「どんな存在だって、ある集合の一要素である」というのと同じことだといえるでしょう。実に当たり前のことを言っていると言えるでしょう。

 そして、ここからが、西田独自の話になります。「物は存在である」という最終的に最も大きい集合(=存在)にたどり着くと、今度は「あらゆる存在」が、そこに「於いてある場所」が現れます。さらに、この全存在を包摂する場所のほんの少し外側に、われわれの「意識の場所」があると西田は言います。たしかに、われわれは、全存在を外側からまるごと認識できるからです。われわれの意識は、本当に不思議なのですが、ビッグバン以来の宇宙も、他の恒星も、ウルトラマンも、村上春樹の小説の内容も、江戸時代の武士の暮らしも、なにもかも、包摂することができます。自分自身の身体は、この宇宙のなかに包摂されている(「あらゆる存在が於いてある場所にいる」)のに、その包摂されているどんな存在も、われわれによって「意識される」のです。「意識」の方が、一段と広い風呂敷なのです。

 この意識の場所を、西田は、「相対無の場所」と言います。ここが、西田の一番面白いところであり、すこしいかがわしいところかもしれません。世界の内部については、存在について話していたのに、世界全体の存在の「場所」が現れたら、それを今度は、突然「意識の場所」が外側から包摂するからです。哲学的な用語を使えば、「存在論の話をしていたのに、いつのまにか認識論の話になっているではないか、どういうことなのだ?」という感じでしょうか。

 たしかに、どういうことなのでしょうか?次回は、そのあたりから考えたいと思います。