国民国家建設をめぐる法と宗教の競争

 まず、先ほど江藤先生のお話にあったように、論理的に先行する憲法によって国家がつくられるというのは、ノモス(規範)におけるフュシス(自然)の実現という、古代ギリシア以来の思想史的系譜をひくものではあります。しかしその議論は近代になって、国家三要素(国民、国権、国土)という客観的な要素と、集団的自己決定という主観的要素に再構成されます。客観的な三要素からなるアパラートとしての国家を、意思共同体としての人民がつくるという国家建設運動が起きたのは、きわめて特殊近代的な事象であったといえます。

 アメリカの連邦最高裁では、政教分離を形骸化する解釈論として「歴史・伝統テスト」というものがよく使われていますが、この「歴史・伝統」に照らしていうと、成文憲法をもたないイギリスでは初めに国家ありきなのか、初めに憲法ありきなのか、両者の論理的前後関係が実はよくわかりません。また、革命前のフランスにしても、「歴史・伝統」の一種である「王国の基本法」――革命期のフランス国民議会では、保守派議員は、封建制がまさに「王国の基本法」の核心をなすものであるから、それを廃止するには3分の2の加重された多数決によらなければならないといって抵抗しました――があったわけで、主権者意思の表明である憲法によって人工的につくられた国家ではありませんでした。つまり、江藤先生の言われた、西洋では憲法によって国家がつくられ、それに対して日本では国家が先にあって憲法が後からできたという構図は近代限りの事象であるということです。

 次に、日本の憲法学者や法律家についてです。「和魂洋才」という言葉がありますが、ある意味で「和風」の国家および憲法理論を提唱していた上杉慎吉や筧克彦といった、国体憲法学に分類される作者たちには、すくなくとも初めのころはむしろ西洋の魂が入っていたのではないか、という指摘があります。これは石川健治先生によるごく最近の研究です。上杉慎吉については、彼の「天皇主権論」は結局のところ、ルイ14世の絶対王政を焼き直したものと見ることができます。そして筧克彦の非常に難解な「惟神(かんながら)」の憲法学というものも、よく読んでみると、フッサールらが展開した現象学が下敷きになっているということが分かります。 

 ところで、最近統一教会問題で再び脚光を浴びている岸信介と福田赳夫――この2人はいずれも東大法学部を最優秀の成績で卒業しています――は上杉慎吉からの「大学に残って国体憲法学の後継者にならないか」という誘いを蹴って官僚になりました。これはつまり、岸も福田も、一見和風にみえるけどその魂に西洋が入り込んでいる上杉の憲法学では、日本独自の「国体」を表現できないと考えていたのではないでしょうか。この2人がのちに、国家神道や統一教会と深い関わりをもったことは、規範的なものよりも宗教的なもののほうが、国家にとって本質的なものであり、国家を憲法によって表現することの限界を逆説的に露呈させたといえるでしょう。 

 それから「天皇機関説事件」について。天皇機関説というのは、江藤先生のお話にあったように、「国家法人説」あってのものです。事件当時首相だった岡田啓介――もともと海軍の出身で、海軍大臣を二度務めた人です――の回顧録(『岡田啓介回顧録』中公文庫)を読むと、岡田自身は最初、天皇機関説を問題にするつもりはなかったようです。しかし、在郷軍人会などが騒ぎ出して、それを代弁する形で、元陸軍少将で、当時衆議院議員になっていた江藤源九郎(江藤新平の弟)が議会でこれを問題にし、さらには美濃部達吉を検察に告発しています。

 戦前の日本では陸軍も海軍も徴兵制の軍隊――海軍は一部募兵制――であり、軍隊は佐藤幸治先生のいう「神権的国体論」をたたきこむ場でもあったわけです。それで陸海軍大臣は、美濃部の天皇機関説は兵士の教育に非常に都合が悪い、内閣としてきっぱりとこれを否定する声明を出してもらいたいと首相に求めました。その結果が内閣による「国体明徴声明」です。岡田によると、その草案は陸軍省軍務局あたりで作られたもので、内閣はそれをそのまま声明文にすることになっていた。しかし草案には「国家は法人ではない」といったことまで書かれていて、それを認めると明治維新以降に構築された、まさに六法全書に書かれている日本の実定法体系が根本からひっくり返されてしまうおそれがあるので、その部分は抵抗して削除させたそうです。

押しつけ憲法論の自己矛盾と平和主義の受容

 「押しつけ憲法論」については、江藤先生のご指摘に付言しますと、私は「八月革命説」をめぐる宮沢俊義と尾高朝雄の論争にはある種のむなしさを感じています。法学者や法律家というのは理由付けというか、説明の論理を非常に重んじる人種ですから、こうした論争が起きるのは分かります。ですが、そもそも日本社会には規範に従う理由をしつこく問い、「秘教主義」(esotericism)でも個人の良識でも、とにかく理屈で決着をつけないと気がすまないという文化がなかったのではないでしょうか。そのことについては、私が拙著で参照した高校生意識調査がよく示しています。

 ちなみに「秘教主義」というのは先述した上杉慎吉の憲法学の特徴で、なぜ天皇に従わなければいけないのかというと、理由はないですね。理由を階層的に考えていくと、最終的には必ず、これ以上はもう理由を問えない根本的な規範=ノモスに突き当たります。実はこれがケルゼンの根本規範論の難点で、立憲民主主義体制のもとであれば、あとはもう個人の良識に任せるしかない。個々人が自分の判断で、この規範に従うか従わないかを決めるしかない、それでいいではないかというのが、江藤先生のお師匠である長谷部恭男先生の主張です。

 たしかに非常に自由主義的で個人主義的といっていい解釈ですが、それでは凡人はついていけず途方にくれてしまいます。秘教主義の立場からは、神の起源や神の存在をとことん問うことはまさに人間の思い上がりです。だから黙って従え、ということになります。そして日本社会というのは、とことん問うまでもなく、いとも簡単に権威・権力に従ってしまうところがあります。

 「押しつけ憲法論」は、第一次大戦後にウッドロウ・ウィルソンの「人民自決論(「民族自決論」とも訳される)」として結実した、近代的なエリート・リベラリズムの一種である「憲法ナショナリズム」の受容がなければ成り立たないと私は考えています。日本国憲法でいうと13条、これは個人の尊重や幸福追求が謳われた条文ですが、この13条から派生した、個人が結び合うかたちで形成された国民の集団的自己決定の受容がその前提でなくてはならない。つまり、日本国憲法の価値を受け入れて初めて「日本国憲法は押しつけだ」という逆説です。ところが、みなさんご承知のように、「押しつけ憲法論」をとる方々の多くはそのような見解をとっていません。

 1945年の8月、日本は天皇の「ご聖断」で戦争を終わらせました。自由意思を否定する審級と自由意思の共存とでもいいますか、サンフォード・レヴィンソンというアメリカの憲法学者が呼ぶところの「憲法カトリシズム」を想起させますが、その矛盾を丸山真男が「重臣リベラリズム」と呼んで批判しましたね。要するに天皇主権をとる明治憲法の下では、主権の「取引」ができるのは上御一人(かみごいちにん)だけですから、天皇自身が主権者の交代を求めるポツダム宣言の受諾を受け入れた降伏を決断した以上、押しつけの問題は生じません。 

 一方で、日本の民間社会では戦争も原爆も原発も憲法も、天災のようなアクシデントなんですよね。島薗先生との共著で片山杜秀先生が展開された議論です。そしてアクシデントである以上、それを「国民ひとしく受忍しなければならない」。この「国民ひとしく受忍」というのは最高裁判例の言い回しですが、アジア太平洋戦争で被った損害について、一般市民が裁判で国の責任を追及すると、最高裁はこう言ってはねつけてきた。戦争は自然災害のようなものなのだから、全員がとにかく我慢しなさいと。このメンタリティーが日本社会を支配するかぎり、本気で押しつけ憲法論を主張できるほどのナショナルな主体性は出てこないと思います。 

 もっとも、日本以外の被害者向けという意味で、憲法9条は押しつけられたといえるかもしれません。思想・良心の自由との関連で日の丸・君が代訴訟についても言及がありましたが、阪口正二郎先生は、この訴訟と謝罪広告の強制に関する判例との類似性を指摘されています。とある名誉棄損の事件で、被告は定型文の謝罪広告を出しなさいという判決が下されたのですが、それに対して被告は、謝罪するつもりがないのになぜそんなことを強制されるのか、憲法19条が保障する思想・良心の自由の侵害だといって最高裁まで争いました。 

 最高裁判決(1956年7月4日)の法廷意見は、裁判所が命じる謝罪広告は被告に心からおわびすることを求めるものではまったくない。それを出すことで紛争を解決し、原告の社会的信用を回復することが目的である。したがって謝罪広告の(形式的)強制は、被告の内心の自由に踏み込むものではない、と述べて訴えを棄却しました。

 同じ理屈で考えてみると、憲法9条にも実は、謝罪広告的な側面があるのではないでしょうか。つまり平和主義条項としての前文と9条は、国民国家の無謬(むびゅう)性を否定する一方、戦争放棄と戦力不保持で戦争責任をとったということにして、日本が戦争で被害を与えた諸外国に対して「心からの」お詫びをすることまでは求めていない、といえるのではないでしょうか。 

 謝罪広告を強制された原告と同じように、中国や韓国から日本国家の戦争責任を追及されると、まるで自分が責められているように感じ、自己防衛の手段として改憲に躍起になる人々がいます。彼らは、憲法が否定したはずの国民国家の無謬性=宗教性を堅持しているわけです。まさに今回のテーマである物語論を直撃する問題で、なぜ立憲主義やノモスが宗教と絡み合っているのかというと、前者は、宗教そのものではないにせよ、宗教的次元(超越性)と情操を持っているからだと思います。 

国のまさに興らんとするや民に聴く。まさに滅びんとするや神に聴く

 続いて、江藤先生の研究対象であるロバート・カバー。「リベラルな法」あるいは「立憲主義」という大きな物語が、人びとにとって身近な生活世界の成り立ちの意味付けに失敗していることは、昨今のアメリカにおけるトランプ現象でよく示されているのではないかと思います。先ほど申し上げたように、国家は、宗教的情操を内包するかぎり、物語性がなくなることはありません。ただしそれは、社会全体を包み込むような包摂型の物語から、社会の一部が他の一部と「内戦状態」になるような対抗型の物語に移行していく傾向があるように思います。

 ひるがえって日本社会はどうかというと、日本法制史の新田一郎先生は、天皇も憲法も、ローカルな生き方をしている日本人にとって身近な生活世界の成り立ちを説明してくれる物語としては成功していない、という見方を示されています。代わりに新田先生が挙げられたのは、古典の「通俗読み」です。つまり太平記や平家物語、万葉集といった日本の古典の通俗読みを通じて、日本的共同体のエートスが形成されているということです。

 マックス・ヴェーバーは部族社会の特徴として、排他的・権威主義的な「対内道徳」が支配的であることを挙げています。日本のムラ社会を部族社会に見立てると、そこでは人びとは、仲間内でしか通用しない道徳規範に従って生きているわけですが、こうした対内道徳を、他者との共生が前提になっている「対外道徳」への転換をせずに破るのは、ナショナルなものへの肯定感しかないのではないか、と最近思うようになりました。先ほど言及した高校生意識調査が根拠の1つです。すなわち、他の点では権威にきわめて従順な日本の若者でも、ナショナルな日本への肯定感に水をさすような言論には、たとえそれが非常に権威ある人物の発言であっても、拒否反応を示しているのです。 

 こうして見ると、おそらく江藤先生も参照された、佐藤幸治先生の『憲法とその”物語”性』(有斐閣、2003年)の重要性が浮かび上がってきます。私が見る限り、佐藤的な憲法の物語は、神権的国体論および軍国主義を除外した明治国家の物語と接続可能な平和主義から、英米型への憧れを具体化したものである「ネオリベ立憲主義」へと移行した物語であり、したがって市場国家と安保国家に親和的です。

 すなわち佐藤先生は、一方では戦前からのエリート・リベラリズムを受け継ぎ(これに通俗道徳を加えて「人格的自律」として再構成されます)、もう一方では、自国のナショナリズムを、中国ナショナリズムの暴走に対抗し、アジアにおいて西欧的普遍を体現する唯一の国というステータスへの矜持に結びつけて再肯定します。憲法物語をもっていることが、日本が世界に誇るべき国であり続ける条件だと。

 最後に、安倍事件に対する評価です。私の見方は若干江藤先生と異なります。江藤先生は、被疑者の山上氏には政治的思想性があまり見られないというお考えのようですが、私は、神聖天皇の物語を利用しながら各種の宗教右派を動員し、天皇に代わるナショナリズムに到達しつつあった安倍首相のプロジェクトを、山上は暗殺という形で中断させたといえるのではないか、という見方です。彼は市場国家の被害者であると同時に安保国家の支持者であることが重要ですが、佐藤先生と安倍元首相がそれぞれ考案した、日本国家の衰退に対応するナショナリズムの物語では、この事件の政治性を完全に解明できません。まさにこうした宗教的なものを政治利用する物語論の限界が、「戦後日本と国家神道」を考えなおすことの重要性を示しているのではないかと思います。


※本稿は2022年10月15日より配信されたNPO法人東京自由大学の講座「国家神道と物語論」の内容に一部加筆・修正を加えて作成しました。