90年代には「学校の怪談」だけじゃなく、ホラーに関する新しい動きが出てきます。そのひとつが、実話怪談、もしくは怪談実話と呼ばれるジャンルの登場です。ちなみに加藤さん(編注:質問者のこと)は何年頃のお生まれですか?

――私は1975年です。

 75年というと、オカルトブームの少し後ですね。多分加藤さんが小学生、中学生ぐらいになると、いわゆる心霊番組が盛んになってきたと思うんですけど。

――『あなたの知らない世界』とか、よく覚えています。

 新倉イワオさんがおやりになった番組ですね。書籍の方では、たとえば中岡俊哉さんが『ほんとにあった怖い話』系の本をいっぱい出してました。

――ありました、ありました。

 あの頃紹介されていた怪談には、変な言い方ですけど、オチがあったんですよ。

――オチ(笑)

 あるときこんなことが起こった、なぜそんなことが起きたのかというと、実はこんな原因があった、という構成で、話として完結してるし、みんながそれに共感することができた。世間的に因果応報の原則を共有していたといいますか。それは供養が足りないからだとか、お墓をほったらかしにしていませんかといった、仏教的な文脈の中に落とし込んでいけば、大体みんな納得していた。

 そんななか、1990年に『新耳袋』っていう本が出ました。

――新耳袋。

 『耳袋』というのは江戸時代に、根岸鎮衛(しずもり)という武士がいろんな人から聞いた話をまとめた随筆で、その『耳袋』の現代版という意味で、タイトルを『新耳袋』にしたんだと思います。この本に収められている話は、原因にこだわりません。起きた事柄を、淡々と述べていくというスタイルです。これがめちゃくちゃ怖いと評判になったんです。

 こうした実話怪談と呼ばれるスタイルは、すでに一定数の読者を確保しています。今では毎年、おそらく数十冊単位で出版されていると思います。基本的にオチがないというか、「原因はよく分からないんだけど」という形で語られる怪談です。なぜオチがないかというと、話を聞いて、みんなが「そんなことしちゃ駄目だよね、ひどい目にあうよね」と納得できるような理屈が消えてしまったからではないのか。かつてのような仏教的な応報譚は、現代を生きる私たちには有効じゃないのかもしれないですね。

超常現象を科学する

――さっきのお話をお聞きして、私たちがオチのある話、すなわち因果応報を信じられなくなったのには、科学的な世界観が支配的になってきたことも関連してるんじゃないかって思ったんですけど、そのはじまりは、やはり明治時代ということになりますか。

 そうでしょうね。江戸時代以前の、というと大雑把すぎるかもしれませんが、人間が自然と密着して暮らしていた頃は、自然の脅威を擬人化したり実体化したりするという形で、神仏的なもの、霊的なものをすごく身近に感じることができた。でも、私たちは明治時代に科学の洗礼を受けて、霊的な実在を「精神」とか「無意識」といった言葉に置き換えちゃうわけです。

――存在論的なものから認識論的なものへの転換というか、それまでは「いる」ものだった霊が、精神や無意識の作用によって、「見えてしまう」ものになったと。

 啓蒙主義が妖怪や幽霊を否定するさいに使った代表的な論理が、それは脳や神経のトラブルによるというものです。幻視幻覚の類いだと。精神医学や心理学といった西洋由来の科学という権威によって、怪しげなものを抹殺しようとしていくわけですね。

 ところがその後、海外で盛んに研究されていた催眠術や、科学的心霊研究(Psychical Research)の動向が日本でも紹介されるようになって、実体としての霊魂の有無とか、催眠術によって透視や念写といった特殊な能力に目覚める、ということが議論されるようになります。なんでそんな能力が発現するかっていうと、人間には精神という特殊な領域があり、その扉を開けることさえできれば誰もがそういう力を発揮できるんだ、という理屈です。

――人間には本来、超常現象を引き起こすような力が秘められていると。

 精神の力の8割9割はふだん眠っている。でも、催眠術によってその扉を開きさえすれば、誰でも、精神の力のすべてを開放できるんだっていう論理。

――それは西洋由来の考え方ですか。

 催眠術そのものに関してはそうなんですけど、日本における催眠術は、受容のあり方が複雑なんですよね。

 近代の催眠術はメスメリズムから始まるとされています。やがてメスメリズムが「科学を超えた超科学」を標榜するようになってオカルトに接近していったとき、ジェームズ・ブレイド(1795-1860)が「いや、催眠術は脳の作用で考えられる」と言って、オカルトに行こうとしていた催眠術を、科学の側に引き戻します。そのとき、オカルト色の強い「メスメリズム」という用語では具合が悪いということで、新たに「ヒプノティズム」という用語を提唱しました。この「ヒプノティズム」の翻訳語が「催眠術」ですね。

 ところが明治の日本では、西洋のタイムラグを無視して、いろんな知識が移入されました。つまり、心理学や精神医学によって研究されているアカデミックな催眠術のイメージと、メスメリズムにもとづく魔術的な催眠術のイメージが並立して入ってくるのです。前者では、暗示効果とか脳内作用が問題視されますが、後者の立場では「無限の精神の力」などと言い始めます。ではそれは脳の力なのか、それとも霊魂の属性の一部なのか。

――そこは知りたくなりますよね。

 アカデミズムのなかで真っ向から催眠術の研究に挑んだ代表的な学者が、福来友吉です。一方、催眠術のオカルティックな面を強調して、より神秘的な方向へスライドさせていったのが、後に霊術家と呼ばれるようになる人たちだ、ということになると思います。

――福来友吉という人は東京帝大に所属する心理学者だったんですよね。

 彼は変態心理学――今でいう異常心理学――の専門家だったこともあり、超常現象の解明はあくまでも学問の枠組みでやるべきだと考えていました。

 ところが、御船千鶴子や長尾郁子といった「超能力者」が出てきて、いわゆる「千里眼事件」に深く関わったことで、態度を変えます。彼女たちの能力は科学的な方法では明らかにできないと主張したことで、東京帝大を追われました。

――1910年に行われた御船千鶴子の透視実験には、物理学をはじめとして各分野の研究者が立ち会ったとか。いまの感覚ではちょっと考えられないですよね。

 当時はまだその手の現象が全否定されていなかったので、もしかしたら学問的にアプローチできるかもしれない、という感じだったのでしょう。それで皆さん、お忙しいところを集まった。

――そういう現象があってもおかしくはないというか、昔ながらの霊魂観みたいなものが科学の研究者の中にも残っていたということでしょうか。

 いや、そこは微妙ですね。わざわざ西洋まで行って、当時の最先端の学問を学んで帝大の先生になってるわけなので、基本的に彼らは強固な科学主義者だと思います。

 そのなかで福来を擁護したのは、たとえば仏教哲学者です。もともと千里眼という言葉は仏教からきていて、坐禅を組んでいると何か遠くのものが見えたり、未来が予知できたりっていうのは、普通にあることみたいです。ただしそれは野狐禅(やこぜん)といって、仏教が本来目的とするものではなく、むしろ悟りを開く上で邪魔になるものなんですけど、そういう現象自体がないとは、仏教の立場からはさすがに言えないでしょうね。