――右翼・左翼という概念はそもそも何に由来しているんですか。

 もともとはフランス革命時の議会における席の配置ですね。急進的なジャコバン派などが左側に座り、保守的な王党派などが右側に座ったので、進歩的な勢力を左翼、保守的な勢力を右翼というようになったようです。

――議会の右・左ということだったんですね。

 そうです。フランス革命は市民階級が封建制を打破する「ブルジョア革命」だったわけですが、その市民階級が勃興して資本主義が発展すると、その中でいろいろな矛盾が起きるようになりました。すると今度は、その矛盾をマルクス主義による「プロレタリア革命」で解消しようとする労働者のグループが左に、それを封じ込めようとする資本家のグループが右に位置付けられる。そういうように変わっていったわけです。

――もともと左だった市民階級が資本家という「右」と労働者という「左」にわかれたと。

 第二次大戦後には、ソ連を筆頭とする社会主義陣営とアメリカを筆頭とする資本主義陣営という東西の枠組みができたので、その東西に重ね合わせて、漠然と左・右と言われてきたところがあります。日本の政党でいうと、東側を支持する日本共産党が左、西側すなわちアメリカの資本主義陣営と結んで安保体制を維持する自民党が右。ただ、これは冷戦時代の非常に漠然とした区別なので、現在の観点でわかりやすいのは「文化的な統制を強めるかどうか」そして「経済的な統制を強めるかどうか」という二つの軸だと思います。

 「文化的な統制を強める」というのは自国民や男性といったマジョリティーを中心に規範を強化していくという考え方で、日本だと天皇制や家父長制を中心に、大日本帝国憲法や明治民法でいわれていたような価値観を守ろうという流れ、それが右ですね。それに対して「文化的統制を弱める」というのは、女性や外国人、LGBTの人たちといったマイノリティーの権利を擁護して多様性を認めようという流れで、それが左になります。

 もう一つの経済的な統制というのは要するに「小さな政府」か「大きな政府」かということです。もともとは自由放任主義というか、経済は市場に任せて政府は統制しないという考えが出発点でした。ところがそれだと、格差や貧困といったさまざまな問題が出てきたので、政府が市場に介入して所得を再分配する「福祉国家」という概念が生まれます。それで、「小さな政府」つまり経済的に統制しないほうが右で、「大きな政府」つまり統制するほうが左。

――なるほど、よくわかりました。

 とはいえ、これは非常にユニバーサルな枠組みであり、これとはまた別の歴史的経緯というものがあって、特に日本の場合は単純にこれだけでは言い切れないところがあります。

 右・左の枠組みは――フランス革命やロシア革命がそうであったように――革命がきっかけになることが多く、日本の場合も明治維新以降に右・左というものができてきます。明治維新は江戸時代の身分制をなくしてみんなが平等になるという一種の革命だったわけですが、一方で、天皇を中心とした本来の国に戻すんだというバックラッシュ(復古主義)でもあった。つまり、前に進む要素と過去に戻る要素の両方を持っていた。このことが、日本の右派が独自の発展をしてきた理由の一つになっていると思います。

――具体的にいうとどういうことですか。

 右はふつう保守なんですけど、日本では右にも社会を変革していこうという動きがあって、必ずしも保守ではなかったんです。右は、左とはまた別の見方でもって世の中を革新しようとしたところがある。たとえば、政権が資本家や特権階級と癒着するということに対して、右からも左からも政権すなわち保守への攻撃が行われるということがありました。

 その際に、右は民族的な伝統を守るという価値観を軸に、農民を中心とした人びとの立場に立って腐敗した政府を批判していく。それに対して左は労働者ですね。マルクス主義的な思想を軸に、特に工場労働者らの立場から、やはり政府を批判していく。なので、日本の場合、右翼と左翼は教科書的に語ることがなかなか難しいんですよ。枠組み自体が漠然としている上に、そのときどきの社会情勢にすごく影響されているので。

日本独自の右翼思想

――そもそもでいうと、明治維新の前までは江戸幕府が保守だったわけですよね。

 そうですね。江戸幕府がつくってきた体制を壊したのが明治維新なんですけど、そのときに、さっきも言いましたけど、日本古来の天皇というものを持ってきた。つまり、古いものを持ってくることで、新しい体制をつくろうとした。そのとき出てきた言葉に「一君万民」というものがあって、天皇以外はみんな平等だという意味ですけど、非常に矛盾していますよね。復古的に天皇を持ってくることによって平等な近代的社会をつくるという、反動的なのか進歩的なのかよく分からないところがある。

――天皇という宗主を抱く封建的な思想と、フランス革命にも通じる近代的思想が混在していたわけですね。

 なんでそんなことをしたかというと、欧米の帝国主義によって日本が植民地化されるという危機感があったからです。外国勢力に対して国内の力を集約するために、士農工商の四つのランクをリセットして「万民」にしようと。それには、その万民を治める「一君」がどうしても必要だったのでしょう。

――天皇だけは特別だけど、あとはみんないっしょだよと。

 天皇は「万世一系」、つまりその身分を保証するのは天皇家の血筋だと言われますが、これはものすごい差別思想ですよね。日本の統治のやり方が「一君」という差別思想と「万民」という平等思想の両極を持っていた。それがなければ、時代を変革できなかったのかもしれません。

 戦前の「国家社会主義」なんかにはそれを意図的にやろうとしたところがあります。軍部と結び、天皇を抱くことによって日本に社会主義体制をつくろうとした。これは明治維新に連なる日本独自の右翼思想ですね。近代化への単なる反動ではなく、反動的なモチーフをきっかけに社会を変革して平等を達成するという、アクロバティックな思想。こういったものがあるので、日本の右翼の話は難しくなるところがあります。単に右翼は反動だとか保守だと言い切れない。ヨーロッパやアメリカとは大きく違うところです。

――ただ、民族主義的なものをその中心に置いているということは言えますよね。

 そうですね。それは江戸時代の国学が一つの出発点になっています。国学の一派は、当時民衆を支配していた武士ではなく、神としての天皇が農民と直接結びつくような、古代天皇制のユートピア的なイメージを提示し、そういったものこそがこの国の正統だと主張しました。そのため、武士階級の圧政に対抗していく思想として、農民にとってある種のイデオロギーになり得たわけです。それを意図してつくられたかどうかはともかく、そういう要素があった。

 欧米からの帝国主義的な圧力の中、日本古来の文化を基準とし、神話や天皇を軸とすることで武士の支配を打倒しようという発想が、農民階級と一部の武士階級の間で共有され、実行された。それが明治維新の一つの側面だったのではないかと思います。