――今日はヒトも含めた動物の「身体の歴史」についてお話をお聞きしていきたいのですが、まずは心臓がどういうふうにできてきたか、といったことから教えていただけますか。

 心臓は非常に古い器官で、たとえば手足なんていうのはかなり後になってからできたものですけれども、心臓はほぼ最初からあるんですよ。東北地方の旅館や飲み屋に行くとよくホヤが出てきますが、あのホヤの身体の中にはこいのぼりみたいな吹き流しがあって、実はこれが心臓の原型です。この吹き流しがぴゅっぴゅって縮むと、体液が左右に移動する。そうやって攪拌しているんです。だから、心臓は体液の攪拌装置として生まれたというふうに考えていいと思います。

――なるほど。

 その後少しずつ魚っぽい格好になっていって、ホヤに近い仲間で「ナメクジウオ」というのがいるんですけど、こいつはえらの近くに心臓をたくさん並べているんですよ。それがぽこぽこ動いてえらに血液を通すことで、身体中に酸素を供給できるようになりました。これがわれわれの心臓の初期の姿です。

――もともとはひとかたまりじゃなかったんですね。

 次の段階としてはヤツメウナギやサメあたりを考えますけども、この段階になると一箇所にかたまりつつあって、ようやく見た目にも心臓らしくなってきます。ただ、やっていることは一貫して体液の循環です。ある程度の大きさのものが生きていくには、どうしても体液を回さなきゃいけない。それによって酸素や栄養を身体中の細胞に届ける、逆に老廃物を受け取ってどこかから排出する。そのためのポンプが心臓です。

――骨ができたのもナメクジウオからですか。

 ナメクジウオと魚の間にまだギャップがあって、骨はもうちょっと魚っぽくなってからですね。骨の主成分は「リン酸カルシウム」というものなんですけど、これがないと私たちは生きていけないんですよ。リン酸がないとたとえばDNAを作ることができませんし、カルシウムは細胞分裂や筋肉の収縮などに関与しています。でも自然界では、これらがいつでも安定的に手に入るわけではありません。季節等によって供給状況にバラつきがあるので、身体のどこかに貯め込んでおく必要があったのでしょう。そうやってリン酸とカルシウムを体内に貯蔵していたら、次第に丈夫な柱になって、いつのまにか骨に化けていた。

 骨の役割でまず思い浮かぶのは身体を支えるということですけど、水の中だと浮力でサポートされるので、より重要なのは運動の起点になるということでしょう。骨を振り回すことで身体全体を変形させて泳ぐことができるというのが、水中における骨の大きな意義だと思います。

――それは面白いですね! 本来は貯蔵物だったものが、別の用途にも使われるようになったと。

 ただ、これは証明が難しくて、はっきりとはわからないんですよね。心臓がかつてどういうものだったかというのは形を一生懸命見ていくと何となくわかりますし、いまでは遺伝子で起源を追い掛けるということもできるのですが、できかけの骨がどういう機能を持ち、その生き物の生存にどう関与したのかの証明は非常に難しい。なので、いまの話も仮説ということになります。かなり有力ではあるのですが。

――なるほど。つぎに、顎(あご)についてはいかがですか。

 いまも生き残っているのでいうと、ヤツメウナギやヌタウナギは、脊椎動物ですが、顎がありません。つまり、背骨と顎の存在は一対一ではなく、もともとは顎がなかった。考えてみれば、口の穴が開いてさえいれば、ミミズみたいに、食べ物を摂取することはできます。顎はそれに加えて獲物を捕まえるとか、歯でもって喰いちぎる、咀嚼するといったことができる後付けのパーツなんです。

 いまはもうヤツメウナギとかナメクジウオといった漢方薬の材料みたいなのしか生き残ってないんですけど、以前には、顎のない魚が多様化していた時代があります。顎は主にサメ以降、サメのちょっと前からあるんですけど、可動性の、非常に運動能力の高い顎ができてからは、かなり幅広く採用されました。それが脊椎動物の成功につながったと言えます。

――顎の起源は鰓(えら)なんですよね?

 顎の起源は「咽頭弓(いんとうきゅう)」というものだとされてきました。この咽頭弓というのは脊椎動物の胎子でしか見られないんですけども、胎子の身体の前の方にある列をなした構造です。何列にもきれいに並んでいて、その後ろの方は鰓と鰓を支えるパーツになり、前の方の領域が私たちの顎の起源だと考えられています。鰓が一度出来上がってからその前の方が顎になったとよく誤解されるのですが、そうではないですよ。

――まさにそう思っていました。

 ただ、これもまだ議論が必要です。顎になる前の咽頭弓を親の形で持ってるやつは存在しません。おとなになると咽頭弓の前の方が顎に変形するという事実を見れば、その領域が顎の起源だと考えることはできますが。

鰭から四肢へ

――その後、陸に上がるためには四肢が必要ですよね。

 誰もが知ってる魚にシーラカンスというのがいます。シーラカンスはいまも生きている個体を見ることができますけども、シーラカンスの鰭(ひれ)は、アジの塩焼きのようにうちわみたいなのじゃなく、筋肉質で、中に骨の構造を持っているんです。こういう鰭のことを肉鰭(にくき)といいますが、アジやイワシみたいになっちゃうと、どうも上陸できなかったようです。ああなってから上陸している例としては、ハゼの仲間でムツゴロウというのがいますけど、ムツゴロウはぎりぎり歩くことができるだけですね。

――四肢の元は鰭だったと。

 ここで間違えないようにしないといけないんですけど、シーラカンスが陸に上がったわけではありません。シーラカンスの仲間で「ユーステノプテロン」というのが3億7000万年ぐらい前にいて、これが上陸する寸前の姿だったと言われています。筋肉質の鰭の中に骨格ができつつあり、やがて前足になるワンペアと後ろ足に化けるワンペアの二つのペア――これを対鰭(ついき)といいますが――で泳いでました。このユーステノプテロンの後に「イクチオステガ」っていうサンショウウオみたいなのが肉鰭=四肢で背骨ごと体重を支えられるようになって上陸した、と言われてます。

――肉鰭を持っている魚の動きというのは、アジやイワシなんかとはぜんぜん違うんですか。

 いまも生きている肉鰭を備えた魚類がそんなにいないですよね。以前から知られていたのはハイギョ(肺魚)ですけど、肝心の肉鰭が退化してて、ひげみたいなのがちょろっとあるだけなんですよ。ハイギョだけ見ていたら上陸というイメージはまったく湧きません。そういう意味でシーラカンスは非常に助かります。もちろんグループも正確に言えば違いますし、3億年前と同じことを今もそのままやっているとは思えないんですけど、上陸寸前の肉鰭類がどういう生態の動物であったかという参考にはなるはずです。

 シーラカンスの泳ぐ姿を撮影した映像や観察記録なんかを見ると、ただまっすぐに泳ぐのではなく、ちょうど空中で言うところのヘリコプターみたいに止まったり、その場でぐるぐる回ったりするんですよ。肉鰭の微妙なコントロールでそれをやっているんですね。

 肉鰭じゃないふつうの魚の鰭――条鰭(じょうき)と言います――でそうやって泳いでもいいはずですし、きっとそういう魚もいるんでしょうけど、たまたま生き残ってくれたシーラカンスが、肉鰭を器用に使って微妙な体勢のコントロール、泳ぎのコントロールをしている。このことから、3億7000万年前にも、ただ速く泳ぐだけではなく、泳ぎを微妙にコントロールできるということが、生きていく上で何らかのアドバンテージになっていたと考えることができます。つまり、その頃の海の中ではこうした肉鰭の魚がある程度幅を利かせていた。あとはそいつを干上がらせれば、うまいことに歩けたんじゃないかと。