成熟か成長か
――先生はご著書『ポスト資本主義』の中で、近代科学と資本主義の関連性についても書かれていますよね。
その話題を出していただいたのはとても良かったです。近代科学と資本主義というのは車の両輪というか、表裏一体という面があって、この両者が前提とする世界観はかなり共通しているんですね。
ポイントは二つあって、一つは個と全体の関係が要素還元主義的であること。近代科学は、すべての物質は原子という要素で構成されており、あらゆる自然現象はこの原子の連関や運動に還元して理解することができる、というものです。一方の資本主義も個人がすべてというか、有名なイギリスのサッチャー首相は「社会などというものは存在しない、個人があるだけだ」と言ったそうですが、まさに個人という要素から社会というものを捉えるわけです。
それからもう一つは人間と自然の関係性。自然を人間から切り離してコントロールするというのが近代科学の世界観ですし、資本主義というのは自然からエネルギーを搾り取って経済発展していくという仕組みですから、これも共通しています。
――なるほど。
先ほど、資本主義の発展によってわきに追いやられたコミュニティの重要性が今あらためて浮かび上がっている、という話をしましたが、面白いことに、科学の領域でも今コミュニティや関係性といったものに非常に関心が集まっています。たとえば、脳科学の領域にはソーシャルブレイン、社会脳という考え方があって、人間の脳は社会性の発達と並行して進化していったというんですね。近代科学というのは個人とか個体を中心に世界を考えるんですけど、実は人間の脳は、他者とのコミュニケーションやコミュニティ的なやりとりがあったからこそ大きく発達したという議論です。
――ミラーニューロンとかですか?
まさにそうです。それからこれは社会科学の領域ですけど、他者との関係性やコミュニティのあり方が人間にとって非常に大きな意味を持つというソーシャル・キャピタル(社会関係資本)の議論であったり、ニューロエコノミクス(神経経済学)では、オキシトシンという愛情に関わる脳内物質が人間に多幸感をもたらす――これは多少アメリカ的な偏りがあると思いますが――といったことが言われています。つまり人間は個人、個体でできているのではなく、他者とのつながり、利他性、協調性といったものこそが本質的なんだということを論じる研究が、文系理系を問わず、ここ10年20年でわっと起きつつあるんです。
――資本主義と近代科学は車の両輪だからこそ、資本主義が行き詰まりを見せ始めたタイミングで、科学の方でも従来の世界観が見直されるようになったんですね。
その点をもう少し突っ込んで考えると、私は地球環境の限界にぶつかったからというのがあると思うんですね。地球の資源が無限に消費できるのであれば、世界中の個人が自分の利益を追求し続けてもそれほど問題はない。でも実際にはもちろん資源は限られているわけですから、その中でいかに共存していくかということが課題となり、コミュニティというテーマが浮かび上がってきているということではないかと思います。
――なるほど。逆に言うと、イーロン・マスクが言っているように人類が火星に移住するとか、地球と同じような星が2、3個見つかって資源の心配がなくなったら、これまでの狩猟採集、農耕、産業化に続く第4の拡大成長がはじまるかもしれない。
その通りです。コミュニティの再構築ではなく、第4の拡大成長を目指す方向というのは、まさに今言われた地球脱出だとか、アメリカの未来学者 カーツ・ワイルが展開しているシンギュラリティ(=AIが人間を超える知能を持つこと)や最高度に発達したAIと改造された人間が結びつくポストヒューマンといった議論です。ただ、私は、人間がそれで幸福を得られるとは思えないので、やはりコミュニティを軸とした持続可能性の方に軸足を移していくのではないかと思っています。
――イーロン・マスクにしてもカーツ・ワイルにしても、そういった議論が資本主義の「権化」であるアメリカで出てくるっていうのが示唆的ですよね。
それからユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス』ですね。あれも人間が神になるみたいな話なので、ユダヤ・キリスト教的であり、彼自身はイスラエル出身ですが、アメリカ的な世界観が非常に強く働いていると思います。