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「わかる」より大切な「わからない」

 先日、経済学者の中山智香子先生にお話をお聞きしてきました。市場と国家、自由と正義をめぐる議論など、経済学が辿ってきた歴史や今後のあるべき姿についての非常に興味深い内容でしたが、記事として公開できるのは年明けになると思います。

 記事の企画から公開までの一連の作業の中でいちばん楽しいのは、研究者のお話をお聞きすることです。これだけやっていればいいのであればどれだけ幸せだろうといつも思います。トイビトを始めたのはアカデミアと一般社会の橋渡しをするためですが、より直截的な理由は、私自身がいろんな研究者の話を聞きたかったからに他なりません。 

 以前も書いた通り、私はもともと広告会社のコピーライターをしていました。電車に掲出するポスターや新聞、商品カタログ、Webサイト、時々テレビCM等の企画やキャッチコピーをクライアントに提案していたのですが、そうしたプレゼンのとき、私はいつもある種の気まずさというか、居心地の悪さを感じていました。自分はこのクライアントの一体何を知っているんだろう、と。

 クライアントが広告を出すのは、その企業なり組織なりの課題や目的があるからです。企画を考える前にそれを教えてもらい、自分で調べたりもするのですが、一週間やそこらで得られる情報など高が知れています。にもかかわらず、プレゼンでは課題の全体像を、少なくともその本質を理解したていで、解決策としての企画を提案しなければなりません。自分でも「本当かよ」と思いながら……。

 それには私自身の能力の低さも影響しているとは思いますが、こうしたプレゼンやコンサルティングの場では、「正解」を知っている側(提案者)とそれを教えてもらう側(クライアント)という構図になることが多いように思います。クライアントは解決策が知りたくて専門業者に依頼するわけなので当然と言えば当然ですが、私はどうやらこのタイプの会話が苦手だということにあるとき気づきました。自分が「知っている」側に立つのはもちろんですが、相手に「知っている」という態度で話されると、急に聞きたいと思えなくなるのです。

 こう言うと、「学者こそその典型ではないか」と思われるかもしれませんが、少なくとも私がお話をお聞きした研究者からそうした印象を受けたことは一度もありません。その証拠に、多くの先生方がお話の中で「わからない」という言葉を口にされます。私は最初、このことにとても驚きました。研究者であれば、その分野のことは何でも「わかっている」と思っていたからです。

  生命誌研究者の中村桂子先生はインタビューで「一つわかるというのは、わからないことが100出てくるってことです。10わかると、今度は1万わからなくなる。研究というのは、やればやるほどわからない世界が広がっていくんです」と言っておられました。こうした認識こそが研究者の基本姿勢であり、だからこそ長年にわたって研究を続けられるのだと納得しましたが、ここに、研究者の話が面白い理由もあるように思います。

 研究者の方のお話からは、そのテーマに対する並外れた関心と、「わかりたい」という情熱を感じずにはいられません。その根底にあるのが「わからない」という認識なのは間違いありませんが、思うに、「わからない」は「わかっている」よりも共感や共有がしやすいのではないでしょうか。

 知識量ということでいうと、研究者と私のような素人ではまさに雲泥の差があります。事象を捉える解像度や考察力にも千里の径庭があることでしょう。それでも、この先生の関心が何に向かっていて、何を知りたいと思っているのかを(少なくとも自分なりに)理解することはできます。「雲」と「泥」という視座の差はあれど、夜空に浮かぶ同じ月を見て、一緒に考えることはできるのです。それは、「正解」の受け渡しをするだけのコミュニケーションとは、大きく異なるのではないでしょうか。

  メディアにはコメンテーターやインフルエンサーといった「わかっている人」の言説があふれています。混迷の度を深める世の中、歯切れのよい言葉が耳目を集めるのは無理もないことなのかもしれません。しかし、こうした言説(その人の考える「正解」)を無条件に信じることは、自ら考えることを放棄するだけでなく、他の可能性を頭から排除することにつながるのではないでしょうか。双方が所与の「正解」に拘泥した言い合いから、より良い考えや新しいアイデアが生まれるとは思えません。

  「わかっている」ではなく、「わからない」から始めること。この危機の時代を乗り切るためにもそうですが、何よりもそっちの方が、はるかに多くの学びや発見と出逢えるのではないかと思います。

トイビト 加藤哲彦

2023.12.03

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