先回は、皆で一緒に食べることが協力や話し合いを生み、そこにいる一人一人にとっての楽しい時間となっていく様子を追いました。このようにして、「私たち家族」に始まり、仲間意識が広がっていく中で人間生活が営まれてきたと考えると、改めて人間っていいなという気持ちになります。

 ところで、家族の中で食べることと同じくらい大事なのが育児です。食べることが横のつながりを生み出すのに対し、育児は縦のつながりを生みます。

 縦のつながり、つまり世代をつないでいくことは、生きものが生きものであることを示す特徴です。生きるという言葉は、ある一つの個体が生存するというだけでなく、いのちを次の世代につなげていくことも含んでいます。「私たち生きもの」という時の私たちの中には、今同じ時を生きている仲間だけでなく、38億年も前からずっと続いてきた生きものたちすべてが入っているのです。長い時間が流れる中でさまざまな生き方をしている仲間を思い浮かべると、今ここにいる私という存在への愛おしさが増しませんか。これから生まれてくるたくさんの仲間への思いが立ち上がってきませんか。

 そのような流れの中で、2億年より少し前に哺乳類が登場しました。哺乳類での育児となれば、授乳をする母親が中心になるのは当然です。もっとも赤ちゃんは、乳房を探して乳首を吸う能力を持って生まれてくるので、あくまでも主体は生きようとする赤ちゃんですけれど。

 ここで、哺乳類の中のヒト科(ヒト、チンパンジー、ゴリラ)の育児を見ていきましょう。チンパンジーの赤ちゃんは、自分でお母さんの毛をつかんでしがみついています。そして欲しい時に乳を飲みます。チンパンジーの場合、離乳まで5年ほどかかるのですが、その間に他の個体との関係が少しずつでき上がっていきます。

 1歳を過ぎる頃には、お母さんと一緒ではあってももうしがみついてばかりではありません。まず近くにいる年上の子、つまりお兄ちゃんやお姉ちゃんが面倒を見てくれます。とくにお姉ちゃんはかなり長い間そばにいてくれます。実は年上のメスとしては、お母さんのお友達も世話をしてくれます。よい関係ですね。チンパンジーは父系社会であって父親にあたる年齢の高いオスは、そのコミュニティ全体を守る役割をしているのですが、でも子どもの面倒もみます。

 5歳までお乳を飲み、お母さんと離れられないチンパンジーの子どもですが、皆から可愛がられ、だんだんに社会を広げていく様子は、まさに「私たちの中の私」がつくられていく過程であり、そこには微笑ましい光景がしばしば見られます。家族と呼ぶには少し複雑であり、学問上は、チンパンジーは家族を作らないとされています。けれども、子どもの成長にとって不可欠な関わり合いの基本を学ぶ場であり、家族の役割をする小さなコミュニティです。

 一方ゴリラは、はっきり家族とよべる集団をつくります。一夫多妻で、中心となるオスはシルバーバックと呼ばれます。動物園で見るゴリラが向こうを向いて座っているときの背中は立派ですよね。出産した母親は半年ほどの間赤ちゃんを手放しません。100kgほどもあるゴリラにしては小さな1.5kgくらいの赤ちゃんを抱いての一対一の緊密な関係です。ただ、母親は保護を求めるようにシルバーバックの近くで暮らします。

 半年ほどすると子どもがシルバーバックにじゃれつき抱いてもらうようになります。離乳までは3年ほどですが、それまでに母親はシルバーバックに子どもを預けて餌探しにでかけたりするようになるのです。母親に自由な時間ができると同時に、子どもの方も、シルバーバックについて歩き、新しい食べものを食べるようになるので、離乳が早くなるわけです。シルバーバックの近くには年上の子どもたちもいますから、ゴリラの場合、父親中心の家族の中で子どもが育つことになります。

 このようにヒト科の仲間でも、それぞれの暮らし方があり、それぞれの子育てをしますが、そこでつくられる個体間の関係が大切であることは、どれも変わりません。

人間の育児

 では私たち人間、ホモ・サピエンスではどうでしょう。私たちの特徴は、二足歩行であり、その結果肉食を始め、狩猟採集をするようになってからは肉食が少しずつ増えてそれが脳の拡大につながったことは先回述べました。これが人間の出産と育児を特殊なものにしました。類人猿では骨盤は細長く、産道が大きいので赤ちゃんが生まれやすいのです。類人猿の研究者は、そのお産はあっという間に終わると言います。ところが人間は、二足歩行をしたために内臓の重さを支えることになった骨盤の形が平たくなって産道が狭くなり、赤ちゃんはそこを通らなければならなくなりました。頭がなんとかそこを通れる大きさの時に出産するために、1年ほど早産になりました。それでもなお産道を通るのが大変で難産です。

 脳の大きさをゴリラと比べますと、成体では人間が3倍(1500㏄)あるのに、生まれる時は1.4倍(350㏄)しかありません。しかもその後の生育を見ると、ゴリラは4歳で2倍になって成体と同じになるのに、人間の場合大人と同じ大きさになるのは思春期である12歳〜14歳です。人間の育児の期間が特別長いのは、二足歩行をして脳が大きくなったためと言ってよいでしょう。でも、考えたり言語を話したりして文化・文明を生み出すには大きな脳が必要なのですから、難産と長い育児期間は人間が人間として生きていくために不可欠です。別の言い方をするなら、それは人間を特徴づける大切なことと捉えなければなりません。

 脳が大きいために未熟な状態で母親の胎内から外界へと出てきた人間の赤ちゃんは、ヒト科の他の仲間と比べてもう一つ大きな特徴があります。脂肪がたっぷりのポチャポチャで、かなり大きいことです。あの大きなゴリラでも赤ちゃんは1.5㎏ほどなのに、人間は3㎏もあります。これも大きな脳のせいと考えられています。脳は大量のエネルギーを要求する臓器なので、脳に充分なエネルギーを供給するためには、脂肪という形でためておく必要があるわけです。もう一つ、森の中の方がサバンナよりも暖かいですし、ゴリラもチンパンジーも毛のあるお母さんにいつも抱かれています。人間の赤ちゃんは寝かされますね。とても重いのでずっと抱き続けられないからだと言われています。

 今も赤ちゃんは上向きに寝かされます。もちろん暖かいベッドの上ですけれど。この私たち人間にとってはあたりまえの行為が、生きものの歴史の中で考えるととてつもなく奇妙なものだということに気づかなければなりません。森や草原はもちろん動物園に行っても、仰向けに寝ている動物はいませんね。この形はとても不安定ですし、しかも何かに狙われたらすぐに動けませんから、そんな状態でゆったりと寝込んでいるのは家に守られた人間だけというわけです。赤ちゃんもその姿でぐっすり眠ります。

 仰向けの姿勢の意味について、チンパンジーを長い間研究していらした松沢哲郎さんが次のような興味深い分析をしています。少なくとも次の三つの人間らしさが見えてくるというのです。

 一つが見つめ合いと微笑みです。ここにも人間だけがもつ特徴が関わります。目です。これも日常とくに気にしていることではありませんが、私たちの目には白目がありますね。白目があると目の動きがわかり、そこから相手の気持ちがわかってきます。ですから、向き合ってお互いの顔を見ることが人間にとってはとても大事なのです。新型コロナウイルスのパンデミックで、親に会いに行けないとか病人のお見舞いに行けないという状況が続いており、多くの人が心を痛めています。人間にとっては、向き合って目を見ることがとても大事なのに、それを抑え込まれているのですから辛いのは当然です。

 見つめ合った時に赤ちゃんが微笑んだら、大人はとろけて、面倒を見たくなります。うまくできていますね。

 二番目は、声でのやりとりです。声のやりとりと書きましたが、赤ちゃんってよくそんな声が出るなと思うほど大声で泣きますよね。これも人間の特徴です。ゴリラもチンパンジーもお母さんと一緒ですから、いつでもお乳が飲めますし、泣く必要はありません。悩ましいのは夜泣きですね。お腹がすいているのかもしれないけれど、忙しく働いてやっと床に着き、眠りに入った頃にギャーッと泣かれると、お願い黙ってと祈ります。でもそんなことで止まるものではありません。今もあの時の眠さは忘れられません。こうして声を出すことが言葉につながるのですと説明されても、夜泣きのない進化の道はなかったのかしらと思います。野生動物の赤ちゃんがこんな大声を出したら忽(たちま)ち捕食者に見つかって食べられてしまうでしょう。

 三つめも興味深い指摘です。仰向けで寝ていると手が自由になります。赤ちゃんは二ヶ月もするとおしゃぶりやガラガラをもって遊びます。長女がちょうど二ヶ月頃に自分の握りこぶしを持ち上げてじーっと見つめていた様子を思い出します。あれは何だと思っていたのでしょう。自分の一部と認識していたのでしょうか。自由な手は、もちろん人間を支える大切なものです。

 こうしてお母さんから離れて過ごせるがゆえに、人間の赤ちゃんの離乳は1年ほどととても早いのです。チンパンジーは5年たたないと次の子どもが生まれませんが、人間には年子がいますね。人間の特徴の一つに多産があるのは、このような赤ちゃんの育ち方にあるのです。人間は弱いので多産が必要だったのだとも言われます。

 このように一人で置かれている赤ちゃんの周囲にいる人たち、基本的には家族が皆で赤ちゃんを可愛がり、育てるという人間の育児の姿が見えてきました。他のヒト科の仲間とのつながりもあり、しかし人間独自のところもたくさんあります。泣いても笑っても可愛がられる赤ちゃんが、「私たちの中の私」という気持ちで生き生きと生きる大人になるように周囲にいる小さな集まりが家族なのです。

 家族を考える時に、人間に特徴的な存在がおばあさん、つまり生殖に関わらない女性の存在です。社会的体験や文化の伝承が重要な人間にとって、おばあさんと孫の関係は注目すべきものです。

 家族から更に広がったコミュニティも大事な存在です。チンパンジーで見たお母さんの仲良しが面倒を見てくれるという例は人間社会にもありますね。

 私たちの社会は、今つながりの大切さを改めて感じています。ここでいうつながりは、身体あってのものを意味します。現代社会は情報技術を開発し、進展させ、つながりを広げてきたとされます。新型コロナウイルス・パンデミックの中でなんとか社会を動かせているのは、インターネットを活用し、離れた場所にいてもつながりをつくれるからです。会社に行かなくてもテレワークで済む便利さが持つ意味は決して小さくはありません。しかしそれは、経済を中心にした社会の動きを見た時の素晴らしさであり、生きものである人間としてはどこか充たされない思いがあるのではないでしょうか。

 「私たちの中の私」という時の私たちは、やはり生身同士のつながりを意味することを再確認し、それを基本に置く社会づくりを考えたいと思います。