狩猟採集という、ヒトという生きものとしてどう生きるかを求めての暮らしは、それなりに豊かなものであったことが分かりました。そこから、人間という独自の道を歩んだ農耕に始まり、現代社会に到る道を見た時、生命誌としてはどうしてもこれを見直したいと思わざるを得ません。宮沢賢治の言葉を借りるなら、今歩んでいる道が「ほんとうの豊かさ」、「ほんとうの幸せ」につながっているとは思えないからです。そこで生命誌を踏まえての立て直しを考えて行こうとすると、注目すべきは「土」ということになりました。

 土に注目することになったのは、どのような社会をつくるにしてもまずは食べものが必要ということで、農業に目を向けた結果、今、さまざまな形で現代農業の問題点を感じている人たちが、土をとりあげていることがわかってきたからです。

 ところで、農業について考えるために土へと関心を向けたところ、興味深いことが見えてきました。農業以外の分野で今の暮らし方を見直そうとしている人たちの中でも、土への関心が高まっているようなのです。その中で特に興味を惹かれたのが「土木」分野での動きです。もう一つ、これは当然と言えば当然なのですが環境分野でも土への関心が見られます。環境は農業とも土木とも関わることですから、土を通して農業、土木、環境が深く関わり合いながら様々な問題点を浮かび上がらせていると言ってよいでしょう。

土木とは何か

 今土木と聞くと、人間が勝手に自然を操作し、思うがままに人工物をつくっていくイメージがありますが、そもそも土木という文字が土と木であることに意味があるはずです。大型機械で樹を伐り倒したり、土を掘り起こしたり、盛土をしたりするものというイメージから離れて基本を考えてみる必要がありそうです。土と木は自然の代表と言ってもよいのですから。

 元来土木は、人々が安全で豊かに暮らせる環境づくりをすることで、道や橋をつくることに始まり、今ではダムや鉄道なども含む生活の基盤となるさまざまなインフラを造る活動をさします。まさに社会資本の整備であり、食べることを支える農業と共に人間社会を支える基本です。ですから、現在の土木工事が、山を切り開いて宅地開発を行ったり、高層ビルの建ち並ぶ都市をつくったりするものであって、自然や生きものとは遠いものになっていることには問題ありと言わざるを得ません。

 ところで、先日造園、土木を専門とする高田宏臣さんが生命誌に関心を持って下さって、話し合いの場を持ち、高田さんの体験を伺いました。裏山のある土地に宅地造成をするために急傾斜の崖を削ってコンクリートの壁を築いたところ、裏山がみるみる荒れていったのだそうです。ツル性植物がはびこり、ヤブ状態になって、地表は乾燥していきました。2年ほどたつと、壁の上にあったケヤキの大木が突然倒れました。造成はきちんと行ったのに、なぜこのようなことが起きたのか。不思議に思って調べた結果、土木工事で水脈を切り、土中にある水と風(空気)の流れを切ったからだということに気づいたということです。

 目に見えない土中に水と風の道ができていれば、微生物を含む多様な生きものが暮らすことができ、そこに生える樹の根は充分な空気と水をとり入れた健康な状態で、大らかに棲息できるのです。このような状態の場所は、土砂崩れなど起こしません。このような体験から学んだことをまとめた『土中環境──忘れられた共生のまなざし、蘇る古の技』(建築資料研究社)という高田さんの本には、土中にある「通気浸透水脈」の大切さが具体例をあげて書かれています。

 実はこの本の最後に、このような考え方を持つようになったのは、土中の水と風の道の存在を指摘し、「大地の呼吸」という言葉を教えてくれた矢野智徳さんから学ぶことが多かったと書いてあります。矢野さんは「大地の再生技術研究所」所長であり、まさに土こそ基本という考え方で、土を生き返らせる再生医と言われています。矢野さんには、私の庭で大地の再生の基本を教えていただきました。要所、要所に穴をあけ、炭と小さな枝を入れていくという方法で水の道を作った後は、小さな移植ゴテと草刈鎌で、土や草や木と話し合う感じで手入れをしていきます。一日の作業で、確かに周囲の空気が変化していくのが感じられました。

杜をつくる

 矢野さんが主演する映画『杜人』で具体的活動が示されているので、ここからも多くを学べます。ここでふと気づいたのが、「杜」という文字が土と木でできているということです。辞書を引くと、鎮守の森や屋敷林などの二次林に用いることが多いとされます。そういえば、仙台が緑に恵まれた都市であることを表すのに「杜の都」と言いますね。本来土木とは、まさに杜をつくることだったのでしょう。水と空気の流れのある土の上に緑がある。そこで私たち生きものとしての人間が暮らしていく。そういう場をつくるのが土木なのだということを忘れてはいけないでしょう。

 他の生きものたちのように森だけで生きるのでなく、杜をつくって暮らそう。そのための技術として、土木はあるのです。矢野さんは実際に、北海道から沖縄までの多くの現場で大地が呼吸不全に陥っているのに出会い、それを再生した体験を語って下さいました。このような気付きをみんなが共有し、本来の土木を進めることが、21世紀の暮らしのありようとして見えてきました。

 ここで宮沢賢治の『狼森、笊森、盗森』を思い出しました。これらの森がある場所へ人間がやってきて農業を始めるというお話です。賢治がこれを人類史としての農業の始まりと考えていたかどうかは分かりませんが、今の私には農業の始まりはこうであったに違いないと思えるのです。

 やって来たのは4人の男とおかみさんが3人、小さな子どもたちが9人です。3家族と独身男性一人でも、家族の一つにおじいさんがいるのでもよいのですが、とにかく農業を始めるには少なくとも数家族の協力が必要だということです。ここで最初に起きたことが興味深い。4人の男があちらこちらを向いて叫ぶのです。

『「ここへ畑起こしてもいいかあ」

 「いいぞお」 森が一斉にこたへました。

  みんなはまた叫びました。

 「ここに家建ててもいいかあ」

 「ようし」 森はいっぺんにこたへました。』

 その後で、“火をたいてもいいか、少し木を貰ってもいいか”と聞くと、どちらにも“いいぞ”という答えが返ってきます。みんな大喜びです。

 ここでの「みんな」という言葉には、社会のありようについての賢治の思いがこめられているように思います。人間としての生き方をしていくなら、一人の力では無理であり、協力が必要です。仲間の大きさは、大き過ぎず、お互いが心を通じ合い協力していけるほどがよく、それが「みんな」でしょう。この連載での「私たち」がまさにここでのみんなです。私たち家族、私たち地域の仲間です。

土や木の力を生かしての暮らしへ

 狩猟採集生活から農耕へという移行は、自然との関わり、もう少していねいに言うなら、自然の中での暮らし方がかなり変わることを意味します。狩猟採集でも、時が経つにつれて定住の傾向が出てはいますが、食べ物を求めていつでも動ける暮らしです。しかし、農業を始めたら、基本が定住になります。家を建て、そこで火を使って暮らすのであり、その時の自然との関わり方は狩猟採集の場合とは異なります。この時の自然との関わりこそ、農業、土木、環境を一体として捉えるものであるはずです。そこで、畑を起こし、家を建てることについて森にお伺いを立てるのが生きものとしては当然の礼儀だろうと、賢治は考えたのです。今もこの本質は変わっていないはずです。

 ところが人間は何だか自分勝手になり、自然を支配することが人間らしい生き方であると言わんばかりの暮らし方を始めてしまいました。大量の資源を使い、大量消費をし、挙句の果てに大量廃棄をするのが豊かさであると勘違いして。そのような社会では、土木工事は強力な自然支配の手段と位置付けられます。農業も近代化と共に工業化の道を歩み始めはしましたが、作物が生きものであることから、完全な自然支配、自然操作になることはできず、ある意味中途半端な形になっています。

 こう考えてくると、生命誌を踏まえて農耕を始める時は、食べものだけに眼を向けるのでなく、土や木の力を生かしての暮らしすべてを構想するという意識が必要だということになります。農業も土木も自然を生かすものと意識し、みんなが一緒に暮らす快適な場をつくることがだいじであり、それが「村」です。

 ところで、賢治の物語の中の農民は、森と関わりながらも家を大きくし、納屋をつくり、新しい作物の収穫を喜ぶのです。人間にはこのような面があることは、誰もが認めるところでしょう。そこから後支配階級が生まれ、国ができるという大型化や格差の傾向が出てくるのは、歴史の示すところです。冒険を好み、創造力を持つ人間が豊かさ、幸せを求めて新しいことをして行こうとするのは当然でしょう。ただ、闇雲に拡大・成長・進歩を求めるだけの道を進むのではない道があるのではないか。そこを考える時に来ているのではないでしょうか。

 農耕文明の始まりをただ農業の始まりと捉えず、そこでの土木のあり方、環境への視線を重ね合わせて考えることが重要であることが分かってきました。もちろんそこでも「食べることは生きること、生きることは食べること」であって食が生活の基本であることに変わりはありません。具体的には“自分の食べることは自分で賄うのはあたりまえ”ということです。これは農民作家、山下惣一さんの言葉です。百姓を自認する山下さんの言葉からは学ぶことがたくさんありますので、次回はそこから始めたいと思います。