ゾウにとっての私

 タイ東北部スリン県の「ゾウの村(muban-chang)」として知られるタクラン村には、エレファントスタディセンターという施設があります。ここで私がフィールドワークを始めた頃、仔ゾウのフジ(仮名)と出会いました。フジは、当時4歳のメスゾウで、センターの敷地内で暮らしていました。

 ある日、私は高床式の小屋の下でフジに背を向けて、クアイのゾウ使いに聞き取りをしていました。すると、頭に木の枝が当たったのです。ゾウたちが鼻で自分の周りにある草や木の葉を拾って放る場面を何度も見たことがあったため、最初は気にも留めませんでした。しかし、その後も、フジの方から木の枝や食べかけの草などが飛んできて、私の周りに落ちたり、背中に当たったりしました。私が後ろを振り向いてフジの方を見ると、フジは何事もなかったかのようにしています。私がゾウ使いの方に向き直り、聞き取りを再開すると、またフジの方から物が飛んできます。それを何度か繰り返した後、私はゾウ使いにフジが私に向かって物を投げてきているようだと告げました。

 ゾウ使いは、フジは私のことが気に入らないか、ゾウ使いをとられて嫉妬しているのだろうと言いました。その瞬間、私はとてつもない衝撃を受けたのです。私がこれまでフジのことを全く意識していなかったにもかかわらず、フジは私のことを意識し、私に対して行動を起こしていたのです。私はゾウ使いを調査対象として参与観察や聞き取りを行う一方で、ゾウたちを対話の相手とは捉えておらず、彼らとの関係を築いて来なかったことに気付かされました。そんな私を見てゾウ使いは、「ゾウは人間の言葉を話すことはできないけれど、話さないわけではないんだよ」と、口にしました。

 この体験を経たことで、私は人間を唯一の主体と見なす人間中心主義的な視座を脱却してゾウたちと向き合うことになりました。イヌやネコなど普段から接する機会の多い動物と比べて、ゾウの感情を読み取ることには難しさが伴うように思われるかもしれません。しかし、耳をパタパタと動かしているときは気分がいい、白目を見せているときは威嚇しているなど、行動や表情から感情を読み取ることは可能です。ゾウの方でもまた、人間と暮らすなかで、鼻を使って独自の音を出すなど、対人間向けのコミュニケーションツールを生み出しながら、関係を構築してきました。ゾウ同士では、鼻の奥から超低周波のランブル音を発し、それを足の裏で感知するという独自のコミュニケーションを行っていることが知られています。私が実施した動物行動調査の手法も取り入れたフィールドワークでは、ゾウたちがこのランブル音をゾウ使いなど親しい人間の使用する車やバイクに向けて用いている様子も見られました。

2021年から2024年のフィールド調査でのゾウとの交流の様子(大石友子2023)

クアイの人々とゾウ

 タイのゾウは、森林保護地区内で保護の対象とされている「野生ゾウ」と、所有の登録が義務付けられている「飼育ゾウ」に区分することができます。2023年時点では約4,000 頭の野生ゾウと約3,800 頭の飼育ゾウが生息しており、両者ともに個体数は増加傾向にあると推測されています。タイにおいて、ゾウは自由と権力の象徴であり、特に皮膚の色が白いゾウは、仏教徒の多いこの国では仏陀の生まれ変わる前の姿とされるなど、神聖な存在として捉えられています。

タイ王妃の写真を乗せて仏教行事に参加するゾウ(大石友子2023)

 タイには、北部の山地民であるカレンの人々や、東北部のクアイの人々など、何世代にもわたってゾウとともに暮らしてきた人々がいます。しかし、多くの個体数を抱える北部では、ゾウとゾウ使いが林業に動員されたことで、ゾウに関する在来知や技術を伝承する機会が少なくなりました。そのため、現在、北部チェンマイ県に多くあるエレファント・キャンプと呼ばれる観光施設では、ゾウと暮らした経験のない人々が訓練を受けてゾウ使いになる事例がよく見られます。このような事情から、タイではゾウ使いの知識と技術の制度化が進められており、認定資格化する動きも出ています。一方で、私の調査地である東北部スリン県およびブリラム県では、現在も地域内で在来知や技術の継承が行われています。ゾウについての在来知は、地域ごとに異なる自然環境や、ゾウとの関わりと結びついたものです。ですが、先述の制度化において主に参照されているのは、北部のゾウに関するデータであり、一般化することの難しい知識や技術をいかに取り込むことができるのかが課題となっています。

 スリン県およびブリラム県でゾウと暮らすクアイの人々は、9世紀から15世紀にかけて繁栄したクメール王朝下で野生ゾウの捕獲、訓練、周辺国との戦闘に従事していたとみられています。その後、各国からの支配を逃れるために、ゾウとともに現在のタイ東北部スリン県周辺地域に移動してきたとされています。彼らはタイ・カンボジア国境付近の森林で自分たちのゾウを用いて野生ゾウの捕獲を行っていましたが、1960年代にタイとカンボジアの間で生じた紛争に巻き込まれたことから、この捕獲は行われなくなりました。

ゾウを用いた戦闘を再現したショー(大石友子2023)

 その後、1970年に大阪で開催された日本万国博覧会への参加を経て、クアイのゾウ使いはゾウを連れて国内外の遊園地や動物園での出稼ぎに出るようになりました。しかし、ワシントン条約(絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約)の発効や、IUCN(国際自然保護連合)のレッドリストへのアジアゾウの絶滅危惧種としの登録により、国外へのゾウの連れ出しは困難となったのです。ちょうどその頃、タイは観光産業振興に力を入れており、タイ全国の観光施設へ出稼ぎに出るゾウとゾウ使いが増えるようになりました。他方、そうした機会のないゾウとゾウ使いは、首都バンコクなどの都市部で果物や象牙製品を売り歩いて生計を立てました。ですが、それから何年か経つと、動物愛護の気運が高まり、ゾウを都市部に連れて行くことが虐待であるとして批判され、彼らは村に戻らざるを得なくなってしまいました。

 このように、クアイのゾウとゾウ使いは、その時代ごとのゾウの位置付けや、国家により推進される産業の変遷に翻弄されてきたと言えるでしょう。それでもクアイのゾウ使いたちがゾウと仕事を続けてきたのは、ゾウの村周辺の森林が伐採され、ゾウの食糧の確保が難しくなったという事情があります。彼らにとっては家族の一員であるゾウの食糧を購入するために、どうにかして収入を得る必要があったのです。

ゾウ使いになる

冒頭のフジとの出会いの舞台となったエレファントスタディセンターは、クアイのゾウとゾウ使いの収入創出とクアイのゾウの飼育文化を継承することを目的として、1992年に住民が立ち上げた施設です。1999年にセンターはスリン県自治体に委託され、2006年から観光開発プロジェクトが行われています。このプロジェクトをきっかけとして、この地域には複数のプロジェクトが持ち込まれ、現在、地域内で暮らす約300頭のゾウがなんらかのプロジェクトに参加しています。それぞれのプロジェクトは、ゾウごとに支援金を支給するともに、ゾウの食糧となる牧草を栽培するための土地の無償貸与などの支援を実施しています。

 現代においてクアイの人々がゾウ使いになるためには、実践共同体における正統的周辺参加と呼ばれるような、ゾウ使いにとっては周辺的な実践に参加することからはじまります。まず食糧となる牧草を栽培したり、収穫します。この時点では、ゾウに近付くことはほとんどありません。次に食糧を与え、糞を拾い、掃き掃除をします。ゾウの身の回りの世話をしつつ、ゾウとやりとりをしたり、「止まれ」、「下がれ」といった指示のための用語を使うようになります。ゾウとの信頼関係ができてくると、ゾウの鎖を外して短い距離を移動させることを任されるようになります。世話に携わっているゾウとの相性が良ければ、そのゾウのゾウ使いの指導のもとでゾウに乗り、足など身体を使って指示を出す練習を繰り返します。この段階になると、「ゾウが教えてくれる」と彼らは言います。こうしたプロセスの中で、ゾウの食糧や健康に関する知識を身につけます。そして、ゾウ使いとしての仕事や自分のゾウを得ることで、初めて「ゾウ使い(khwan-chang)」と呼ばれるようになるのです。

 ゾウ使いと言うと、男性のイメージが強いかもしれません。ですが、クアイのゾウ使いの中には女性もいます。クアイの民話には、野生ゾウの捕獲の際に男性が妻子を森に連れて行ったところ、妻と死別し、息子は森から戻らなかったという話があります。また、かつて男性が野生ゾウの捕獲に出かけている間、家族は村に留まり、「動物を殺さない」などの禁忌を守って過ごさなければなりませんでした。女性がゾウに乗ることは、こうした民話や禁忌を想起させるため、縁起が良くないと考える人もいます。ですが、実際には女性も含め、家族が助け合いながらゾウの世話を行なっています。女性がゾウを相続した場合や、ゾウ使いの夫と死別した場合、家庭で飼育するゾウの数に対してゾウ使いの数が足りない場合などは、女性がゾウ使いになることも少なくありません。男性以外がゾウ使いになることが、禁じられているというわけではないのです。

クアイのゾウ使いの思考法

 近年の人文学では、「社会と自然」、「文化と自然」、「飼育と野生」というような、二項を対立関係にあるものとして捉える見方が、世界中で普遍的なものではないとして批判的に論じられてきました。そのため、現地で二つのものの対比が用いられている際には、二項対立関係を前提として捉えるのではなく、詳細に検討が行われるようになってきています。

 クアイの人々の場合、「村と森」という対比をよく持ち出します。ここでいう「村(su)」は人間(kuay)、イヌ、飼育ゾウ、バイクなどから構成され、「森(karawong)」は木や精霊、野生ゾウといったものたちで構成されています。クアイの人々にとって、「村」と「森」はそれぞれが動植物、精霊、人工物など多種のものたちによって構成された「社会」であり、ゾウたちはそれぞれの「社会」で「社会化」されているのです。つまり、人間は森羅万象のアクターの一つに過ぎず、すべては他者との絡まり合いのなかで認識されているということです。

パカムの精霊への供物の様子(大石友子2023)

 このようなクアイの世界において、他者は常に何かしらの「わからなさ」を有する存在として捉えられています。例えば、ゾウ使いはゾウを家族の一員だと語るほど親密な関係を築いていますが、「人間同士でも自分のパートナーのことを完璧には理解できないように、ゾウのことを完璧に理解することはできない」としばしば言います。

 ゾウに関しては、人間が「パカムの精霊(phi-pakam)」よりもゾウのことを理解することは難しいとされています。パカムの精霊とは、かつて野生のゾウを捕獲したことのある先祖の霊で、野生ゾウの捕獲に使われていた「パカム(pakam)」と呼ばれる縄に宿り、常にゾウとともに過ごしているとされています。こうしたパカムの精霊の存在を差し置いて、人間のゾウ使いが、自分はゾウのことがわかると発言したり、優れたゾウ使いだと自負することは、この地域では嫌厭[けんえん]されます。なぜならば、ゾウと長い時間を過ごし、人間よりもゾウのことをよく知っているパカムの精霊が、気分を害して、ゾウ使い本人やその家族、もしくはゾウに対して災厄をもたらすことがあるためです。事故や病気を通じて、パカムの精霊は不可視ながらもわからなさをもった他者として立ち現れます。このことから、クアイの人々は、ゾウとゾウ使いの関係を二者間で閉じたものとしてではなく、パカムの精霊をはじめとする多様なアクターに対して開かれたものとして捉えていることがわかります。

 クアイのゾウ使いたちは、ゾウのことを完璧に理解することはありえないことであるとし、理解したつもりになってしまい観察や交渉を怠ることは、とても危険なことだと言います。実際にゾウ使いは、ゾウとかかわる中で命を落とすこともあります。その一方で、ゾウは彼らの好奇心を掻き立てる存在でもあります。そのため、彼らは日常生活の中でゾウのことを知ろうとする努力を惜しみません。例えば、彼らは何十年も一緒に暮らしているゾウでも気になる行動を見せると、テントを張って一日中観察したりします。

 それでも若くて経験の浅いゾウ使いの中には、身体の大きなゾウを前にした恐怖から、ゾウに言うことを聞かせようと力を使おうとすることがあります。このようなとき、経験豊富なゾウ使いたちは、ゾウのことをよく見るように言い、ゾウを理解する努力を続けるよう促します。ゾウとのあるべき接し方は、ゾウの性格によって異なります。そのため、「良いゾウ使い」の明確な基準はありませんが、ゾウをよく観察し、理解しようとする姿勢を持ち続けることが重視されています。こうした努力を続けることで、彼らは人間とゾウの非対称性や相違性を乗り越えようとしているのです。

ゾウの便秘と自然環境

 クアイの人々などタイにはゾウの健康に関して深い知識を持つ人々がいますが、ゾウに対して医療を提供するゾウ専門の病院、エレファント・ホスピタルもあります。タイ全国に八カ所のホスピタルがあり、ゾウ専門の獣医師、検査技師、栄養士、ゾウ使いなどが従事しています。私は主にスリン県とブリラム県のクアイの人々と暮らすゾウを対象とした観光開発プロジェクトが運営するホスピタルでの長期フィールドワークを行いました。

調査先のエレファント・ホスピタルにて(大石友子2022)

 この地域では、人間とゾウが同じ敷地内で生活しているため、従来から人間とゾウの間で人獣共通感染症である結核の感染が発生してきました。近年は、人間による飼育環境やストレスが発症要因の一つである可能性が指摘されているゾウ血管内皮ヘルペスウイルス血症による若齢ゾウの死亡例も出ており、人間とゾウの密接な関係がゾウの健康に影響を与えています。ですが、結核菌やヘルペスウイルスはゾウに感染し、身体に潜伏するものの、必ずしも発症するわけではありません。ゾウは身体が大きく皮膚も厚いことから、室内での機器を用いた検査や開腹によるサンプル摂取が難しく、発症要因を含めて未だ解明されていないことが多くあります。

 コロナ禍でゾウ使いを悩ませたゾウの体調不良の一つに、便秘があります。ゾウはその大きな身体を支えるために十分なエネルギーを確保する必要があります。その役割を担っているのが、ゾウの臓器の大部分を占める腸の中にいる細菌です。この地域で暮らすゾウたちは、ネピアグラスなどの牧草を主食としていますが、コロナ禍では全国より200頭から300頭ほどの失業したゾウたちが戻って来たため、地域内におけるゾウの食糧の自給が追いつかず、普段はあまり与えない果物を与えていました。こうした食糧バランスの変化によって腸内細菌叢の構成が変わった結果、特定の生理活性物質が生成されるようになり、便秘が起こりやすくなったのです。ゾウの便秘では、消化物が腸で詰まり、腹痛が生じるとともに、エネルギーの吸収が困難となることで死に至ることすらあります。

 2022年には便秘で死亡するゾウが相次ぎました。当初、ゾウ使いにも獣医師にもゾウの腸内で何が生じているのかはわかりませんでした。そこで、ゾウにかかわる人々が緩やかにつながりながら調査が行われました。そこでは、直接は見ることのできないゾウの腸内環境の変化を捉えるため、ゾウの食糧バランスがいかに変化してきたのかに焦点が当てられました。すると、ダムの建設による近隣の河川の水量の変化、それによる植生の減少、政策に基づくユーカリ植樹のための森林伐採などにより、ゾウの食糧となる植物が減少したため、牧草を与えるようになったことが明らかとなりました。その上、コロナ禍において地域内におけるゾウの個体数がパンデミック前の約二倍になったことで、上述の果物を与えなければならない状況が生まれたのです。ゾウの腸内細菌叢はこうした変化の中で、バランスや振る舞いを変えてきたことが推測できます。このように、コロナ禍のゾウの便秘は、村周辺の自然環境とゾウの腸内環境のつながりの中で生じていることがわかったのです。

 ゾウの腸の状態を根本的にケアするためには、森林の保全や植生の保護などの問題について考える必要があります。これはつまり、ゾウの腸内環境をケアすることは、人間を含めたすべての生物が生きる世界をケアするということにつながっているということです。したがってゾウのケアは、人間とゾウの二者間で達成できるものではなく、絡まり合う多種のアクターの関係の中でしか実現することができません。

 クアイのゾウ使いたちの世界観や、わからなさを前提とした思考法は、こうした不可視のアクターの居場所を作り出し、それらとの関係の中でゾウとより良く生きるための実践を促します。それは、人間によって環境のあり方が大きく変容した時代に生きる私たちが、動植物を含めた他者へのケア、そして私たちが生きる世界のケアを生み出すための想像力を掻き立てるものなのです。

※本稿は「動物が振り返ったとき、人類学者は応答するか?:フィールドにおける動物の重要な他者性の再考」(『パハロス』(2)2021年)の内容を下地として、トイビトのインタビューへの応答を基に再構成したものです。

構成:辻信行