「理の発見」と「製品の創造」
英語のscienceの語源は知識全般を意味するラテン語のscientia(スキエンチア)であるとされている。明治時代にscienceという言葉が輸入されたとき、最初に提案された訳語は「窮理学」、つまり自然物一般の原理を窮(きわ)める学問という意味であった。しかし、19世紀中ほどのscienceの中身は、既に物理学(physics)、化学(chemistry)、生物学(biology)、地質学(geology)、鉱物学(mineralogy)などに分かれており、それぞれの研究が相手にする物質の存在形態や運動を扱う学問に分科していた。そこで、日本では分科した学問という意味で「科学」という言葉が発明されたのだが、極めて便宜的な呼称であったと言える。
窮理学に最も近いのは物理学で、今もscienceの中心と見做されている。自然物の一部を扱っている他の分野(化学、生物学、地質学、鉱物学)とは違って、物理学は自然物すべての論理の学という意味を持っているためである。科学の諸分野を研究する学部は理学部(Faculty of Science)と訳されているが、科学部とした方が実態に近いだろう。ともあれ、science=科学は本来「理の学問」を意味したのである。
一方、「技術」も明治時代の造語でmechanical artを「器械の学」と直訳し、やがて「わざ」を意味する「技術」となった。人間世界を取り巻く客観的自然を前にして、人間は生き残るためにさまざまな方法・手段を発見してきた。石を削って石器として草木の採集や獣を狩り腑分けする道具を作り、土を固めて土器として水や食物の入れ物とする、というふうに自然物をさまざまな技(わざ)を駆使して「細工」し能率化・効率化を図ったのだ。
技術は最初は、スキルやアートと呼ばれるような個人技量や技能を意味したが、やがてそれらを組み合わせて器械・機械を作るようになった。語源的には、「手法」という意味のテクニック(technic)、達者な技術の専門家であるテクニシャン(technician)、組織化された技術の体系としての工学(technology)があり、いずれも純粋な技術に関係する言葉である。しかし、なぜかtechnologyの日本語の訳として「科学技術」が使われている。日本という国が科学と技術を同時に輸入したことから、二つを区別しなかったためだろう。その一方で、もっぱら科学を応用して人工物を造る分野を工学部(Faculty of Engineer)と呼んでいる。Engineerは、技師とか、機関士とか、(機械の)修理人とかを意味するから、この工学部の英語名は技術者養成分野ということになる。
というわけで、日本では科学と技術を一体として考えるのが通例となっており、また私たちも区別せずに使う方が便利なのでそうしていることが多い。ところが実際においては、日本では科学技術という言葉で意味するのはほとんどが技術のことであり、原理・原則を曖昧にして、実生活に役立つ知識が科学技術である、との感覚を持っている。しかし言うなれば、科学は「理の発見の知」であり、技術は「製品の創造の知」であるとの区別があることを押さえておきたい。
技術の出自:火、農業、産業
人間の歴史においては、まず技術が発達し、後に科学が発見され、やがて科学と技術が二人三脚で進むようになった、と言うことができる。人類が発祥して、まずなすべきことは食料を手に入れることであり、口に入れられる自然物を獲得し加工する技術を身に付けたからだ。
最初は野に生える雑草から食料となりうる草を見分けて採集し、また魚や昆虫やウサギなどの小動物を獲って動物性タンパク質を摂取口にしていた。やがて、多くの人が協力し合ってイノシシやウシなどの大型動物を狩猟し、たくさん実や種をつける草木を選ぶうちに、どんな植物がいつどのように育つかを知って採集したと思われる。このように、日常の食料を能率的に獲得するという「技」を洗練し拡大してきたのである。
約50万年前に人類は「最初の技術革命」を経験した。それが「火の発見と制御」で、森林への落雷で発生した火を保存して猛獣から身を守り、火を発する石を見つけ、火を使って料理することを覚えたのだ。土を焼けばより堅牢な土器になり、植物の種や葉を煮ると食べやすくなり、動物の肉を焼いたり煮炊きしたりすることで安全で美味しい食べ物とし、また保存できることにも気が付いた。
「料理」の技術によって人間の歯の構造が硬いものを噛み砕く尖った歯から磨(す)り潰す臼のような歯へと一変したことが古代人の化石から証明されている。獲得した技術が人間の造型を変化させたのである。動植物を切り揃えて味付けをし、焼いたり煮たりして食べ物を作る調理作業は、さまざまな「技術」の集成であり、人間の進化の形態に影響を与えたことがわかる。
食糧となる植物の種を保存し春に植えて生育させる農業という方法を生み出し、野獣のうち人間の保護を受けることを躊躇しない動物を家畜として保護し成育させる牧畜を開始し、共同作業で灌漑(かんがい)設備を造るというふうに、約1万年前に農業文明が成立した。これが「第2の技術革命」である。食糧を備蓄できるようになって寿命が延び、人口増大が分業を促して多様な生産・生活様式が可能になったのだ。
石(鉱物)を焼くことによってガラスを発明し、石器より頑丈で細工が可能な金属が抽出できるようになってより便利な金属製の道具を使うようになった。むろん、それは人間を殺傷する武器としても使われるようになり、戦争という人間同士の殺戮合戦がより大規模になり、より凄惨なものに変化する契機となったことも事実である。
このように、人間が厳しい自然の中で生き抜いてこられ、人口を増やし、文明を築いてきたのは、知らず知らずの間に見に付けたスキル(力量・腕前)を洗練させてきたためだと言える。最初は個人的力量であるアート(技量・技能)であったが、個々の技の知識が蓄積されるにつれて「経験知」や「暗黙知」に潜む法則性を見出し、専門的技術(テクノロジー)へと洗練された。それを集積したのが「産業文明」であり、17世紀後半にエネルギー革命と機械の発明・利用が伴った「第3の技術革命」が起こった。歴史的に見れば、これが契機となって技術が「近代文明」を引き起こしたのである。
科学の出自:時間の区切りと天文学
一方、科学の出自は人間の精神的な活動から生み出される宗教や芸術など「文化」にある。5万年前に始まる旧石器時代の洞窟壁画は人類最初の「芸術」であり、同じ頃にネアンデルタール人は死者を埋葬していたことが遺跡から分かっている。既に「宗教」の意識が芽生えていたのだ。当時の遺留品に象牙で作ったブローチのようなものが見出されており、自ら飾って楽しむという感覚が芽生えていたこともわかる。これらは精神世界の豊かさを求めた「文化」の出発であり、物質世界を操作する技術とは異なった人間の重要な営為と言える。
より直接的な科学の出自は、自然界を客観的に観察することによって、月や太陽や星の動きが規則的であると気づいたことだろう。太陽が作る木の陰の長短の変化から時の移ろいを知って日時計を発明し、月が29~30日ごとに満月から新月を経て再び満月に戻ることを知り、夜空に見える星の並び方に目印をつけて(星座を作って)1年という長い時間の繰り返しを認識した。
こうして、抽象的な時間に、一日、一ヵ月、一年という区切りを入れられるようになった。そして、なぜそれらの区切りが入れられるかの原因を考え、天体の自転運動や公転運動を空想し、それを証明する方法(例えば天動説)を考えた。このように天文学が「科学」の出発となったが、それは自然と一体化した生活のための「技術」と密接に結びついていたことがわかる。
自然界の規則的な現象には必ず理由があり、それを明らかにすることに熱中する人間が現れるようになった。それが明らかになったからといって何かの役に立つわけではなく、また利益を得るわけでもないが、それが明らかにならねば安心できないという変わり者が出現したのである。自然界の「秩序の根源」を明らかにしようとして自然の根源を考える人間を「自然哲学者」、つまり「自然を哲学する人間」と呼ぶようになった。
最初は、神のお告げとか、魔法の力とか、見えざる手の差配とか、何らかの卓越した存在に頼ることが多く、「魔術師」と呼ばれた。科学が、見えないところで何が起こっているかを明らかにする営みであることを考えれば、魔術と親近性があることは納得されるだろう。17世紀に科学の「第1の近代化」をもたらした第一人者であるニュートンは、他方では「最後の魔術師」と呼ばれた。彼は万有引力という魔術のような未知の力を導入して天体運動を説明しようとしたためである。
以上から、まず生活上の必要から技術が人間世界に持ち込まれ、やがて技術の根源を問うことから魔術的要素がある自然哲学が派生して科学の前身となった、と要約することができる。その意味では、科学と技術は明らかに出自が異なっており、次に述べるように科学と技術の近代化の過程の相違につながっている。しかし、IT(情報技術)の発展によって科学と技術が合流する方向に進みつつあるのが現在だと言えるだろう。
