禅ではないが、レコードを漁り続けた、単館系映画をかじりつくように観ていた大学時代。対象となるものに惹きこまれて一体化することで、自意識がなくなるときがいちばん救われる瞬間とノートに書き残していた自分を思い出していた。だから、「いつまでも何かに見惚れていたいんだ」と、吐露していた。実感レベルに留まったままだったが、突き詰めていたらこうゆう学問に行き着いていたのか。
2023.05.07
――そういえば、恐山の院代をされている南直哉さんが本の中で、坐禅を組んでいると身体感覚が変化してきて、床が痛いとか襖(ふすま)が痒いみたいな感覚になると書かれていた記憶があります。
現代西洋哲学
中村 昇