午前5時48分。なぜこんなに早く目が覚めたのだろうと思い、時刻を確認する。(元)義理の父が何か喋っていることを理解するまで、少し時間が必要だった。“Demilitarizatsiya i denatsizatsiya”(非軍事化と非ナチ化)という言葉を聞いて、ようやく頭が動きはじめ、全体の意味を理解する。しまった、昨夜、午前3時まで仕事をしていたのは失敗だった。

 賽は投げられた。子どもたちは車で、もうキエフを出発している。義理の父は、別の車で、義理の祖母を迎えにいくことになっている。しかし彼女は「私はどこにも行きません」とはっきり言っているらしい。

 外に出ると、そう遠くないところで、爆発音がする。まだ危険は及んでいないが、何かが起こっていることは明らかだ。ユーゴスラビア戦争の際の偽の爆破攻撃を思い出すが、いま起こっていることとそれがどれくらい似ているかは定かでない。

 どうして脱出を決意するまでに、そんなに時間がかかるのだろう。ロシアはこの国を砲撃していて、わたしたちはその首都にいる。ロシアはわたしたち全員を捕まえるだろうから、いまは話し合っている場合ではない。でも祖母は繰り返す。「プーチンが兄弟の国を攻撃するなんて信じられない。すべてはうまくいくはず」。プーチンは間違いなく攻撃をするだろう。いま期待したいのは、彼がドネツクとルハンスクのふたつの州の全体を奪うだけで、そして軍事力を見せつけるだけで、満足してくれることだ。

 わたしは、義理の父や祖母とは国籍が違うので、脱出を即断できる。わたしにとって逃げることは、家に戻ることである。だが、義理の父と祖母にとってそれは、たいせつな家や友人や物のすべてを——おそらく永遠に——捨てることだ。あらゆる人生の思い出を、ひとつの小さなスーツケースだけに詰めて運ぶことだ。

 車で移動を開始すると、決断までに時間を要したことを悔やむことになった。ふたりの子ども、その母親、彼女の夫、2匹の猫を乗せた車は、もうキエフの外へ脱出している。一方でわたしの車は、渋滞に巻き込まれている。この渋滞は、キエフの午前7時のいつもの様子なのだろうか、それとも、首都から逃げ出す人たちが作り出したものなのだろうか。そして逃げ出す人びとはどこに向かっているのだろうか。

 先に出発した車との待ち合わせ場所を決めるが、その道中に軍事施設付近を通る必要があることがわかる。安全ではないので、別の待ち合わせ場所に変更する。その新たな場所に向かう道中にも危険があることがわかり、さらに別の場所への道中も危険だとわかる。結局、電話やインターネットが完全に切れたとしても簡単に見つけられる、ありふれた村で待ち合わせをすることになる。

戦争か、戦争でないのか

 キエフはいつもどおりの様子だ。ふと、ここに留まろうかと考える。今日の11時には人と会う約束があるし、昼食後にお気に入りのマッサージも予約している。でも子どもたちが街にいないなら、留まる理由はない。スーパーマーケットやガソリンスタンドに行列ができていることに気づく。ロシアとの緊張が高まりだしてから、義理の父はいつも車のガソリンを満タンにしていたが、そのおこないは正しかった。今日と来週の人と会う予定はすべてキャンセルする。ATMが見つからないが、そこにも行列ができていることだろう。

 キエフの街は広大だ。わかっていることだが、あらためてその広さを実感している。渋滞やガソリンスタンドに並ぶ行列をようやく抜けると、イルピンの街が見えてくる。かつて警察学校に招いてもらい、講義をおこなったところだ。随分と昔の話だが、いまとなっては、あの頃は無垢だった。

 まだ飛行機は飛んでいるだろう。多くの人はこれ以上事態が悪化しないことを期待してウクライナに留まるだろうから、もし必要があれば、わたしたちは飛行機で国外に出ればよい。だがこの期待はすぐに打ち砕かれる。数分後には、ウクライナの空路が閉鎖されたことを知った。わたしたちは、いま、完全にこの国に閉じ込められている。脱出には陸路を使うしかなくなった。

 学生時代の記憶が舞い戻る。お金を稼ぐために、あちこちのウクライナの国境を徒歩か地元電車で越えて、密輸業者の品物を運んだ。あの頃をいくらでもロマンチックに振り返ることはできる。密輸業者と酒を飲み、別の世界や生活を知った。でも、日常的に徒歩で国境を越えることは、地獄でもあることを、はっきりと思い出す。そして、わたしたちが、徒歩でこれから国境を越えるかもしれないことについては、いまは考えたくない。

 道を変更すると、砲撃の数が増えた。安全だと思っていた国の西部ですら、砲撃されている。いまのところ、軍用施設以外で、しばらく身を隠すことができる場所はあるのだろうか?

家族の普通ではない再会

 家族が再会した。元妻たちの車は、朽ちた木と廃墟となったガソリンスタンドのあいだに停まっている。世界の果てで、家族4世代がひとつの場所に集まっている。子どもたち、その母親、彼女の夫、彼女の両親、彼女の祖母、2匹の猫、1匹の犬。普通でない状況だが、いまは家族をめぐる昔の、さらに現在の、いろんな問題を言い争っている場合ではない。わたしたちは戦争から逃げるひとつの家族だ。すべてを忘れよう。世界でもっとも不釣り合いな場所で、家族写真を自撮りする。

 これからどうするかを決めた。わたしは、子どもたちを連れて、車で避難を続ける。義理の両親は、祖母と犬と一緒にキエフへ戻る。祖母は、もう何度も、キエフを離れたくないと言っていて、義理の父はそのことに飽き飽きとしていて、だから彼女を連れて戻ることにした。インターネットと電気がつながっていれば、状況はそれほど悪くないかもしれない。

 わたしの車は、細い道を南西に走る。元妻は安全と思われる地区にある宿泊地を予約している。そこの経営者は、到着した人には全員に、部屋を用意することを約束してくれている。まずは無事に到着して、少し寝た上で、次にどうするかを考えようという計画だ。

 大通りを離れて、細い道に入る。カーナビによれば宿泊地まで6時間以上かかるらしい。2時間ほど走ってから、義理の父の運転する車がUターンしてわたしたちの後を追っていることを知る。ロシア軍がキエフ州で砲撃を開始している。戻るのは危険すぎた。

 スマートフォンが鳴りっぱなしだ。外の世界にいる家族や友人がわたしに、どこにいるのか、何をしているのか、どこに向かっているのか、何が起こっているのか、などをしつこく聞いてくる。刻々と状況が変わるため、かれらはずっと心配していて、何度も同じことを聞いてくるのだ。気にかけてくれるのはうれしいが、わたしは生き延びることに必死だ。スマートフォンは地図を調べたり、どこで衝突が起こっているのかを知るためにこそ必要だ。

 インターネットの通信が不安定なので、車の中から参加しようと思っていたふたつのオンライン会議も諦める。すべてをキャンセルだ。いつまでインターネットがつながっているのかわからないし、今日は仕事を終わりにして、生き延びることだけに集中しよう。