街歩きのエリアとして高い人気を誇る東京の下町。人々は歴史の名残りや人情味あふれる気さくなふれあいを求めて下町観光を楽しんでいます。では、東京の下町はいかにしてこのように「商品化」され、人気を得てきたのでしょうか。

 もともと下町は、土地の高低差からくる地理的な定義でした。武蔵野台地が低湿地帯の東に広がり、川が手のような形で張り出しているために「山の手」と呼ばれるようになったという説があります。山の手の指先に当る上野は、低湿地帯の下町と山の手の接点にあたるところで、江戸時代から下町には町人が住み、山の手には大名屋敷や武家地、寺社地ができるようになりました。

 その後明治時代に入ると、官僚や軍人たちはどんどん西側に住むようになりました。山の手が西へと広がっていき、下町の定義には土地の高低に重なるかたちで階層性の意味合いが強まっていきました。下町が庶民的でにぎやかな盛り場というイメージは戦前からあったものの、戦後直後は貧しさもあり、下町の繁華街=治安が悪い危険な場所というイメージが伴うようになります。

 現在の下町イメージが確立したのは1970年代。「下町」という記述が観光ガイドブックなどに載ったり、テレビドラマの舞台にもなったりなど、下町ブームが起こります。その背景には、70年代が「一億総中流」と呼ばれたことが関係します。日本が豊かになり、一見して危険で貧しいエリアがほとんどなくなってきたのです。また、このころ東京近辺に出てきたのは地方から上京してきた人たちで、かれらは故郷喪失感のようなものを持っていました。

 そういった地方の人々がなつかしさを求め、東京の中に残された古い名残りのある場所にふるさとを重ね合わせた結果、上野や浅草という下町が魅力的なものとして見られるようになりました。近代化していく中で寂しさを感じる人たちにとって、東京に残されたふるさと感がある場所、過去の名残りといったものがクローズアップされるようになるのです。

江戸の名残を感じさせる不忍池の畔は、タワーマンションが建つ人気のエリア

 もうひとつ、60年代以降、新宿を筆頭とする新興の盛り場の人気が高まるにつれて、上野、浅草といった下町の歓楽街としての吸引力が弱まってきたことも見逃せません。開発から取り残された結果、昔のものが残っている下町が観光地化していったのは自然な流れといえるでしょう。最先端の盛り場から取り残され、なつかしさやふるさとを求める人々のニーズと重なったのです。このようにして、現在につながる下町のイメージは確立していきました。

21世紀の下町

 2000年代に入ると、なつかしさのイメージが「東京の中で本当の日本が残っている場所」へと展開し、国際的にアピールされる一方で、国内向けには今度は「人とのつながりやあたたかさ、コミュニティが生きている場所」という側面が強くなってきます。このころはノスタルジーブームもありました。社会的に非正規雇用が進み、若い人も含めて孤独感を抱いてコミュニティへの願望が高まるのは、日本だけではなく世界的な現象です。その一環として、下町のあたたかさがクローズアップされるようになったのです。

 一方、2010年代になると、もともと下町が備えていた下層性も再び浮上してきます。これはリーマンショックによる格差社会というトレンドの中ででてきたもので、地価の低さが目立つ場所、所得の低い地域という言説も頻繁に見かけるようになりました。

 その流れとは別に、2010年代は下町エリアの一部で、リノベーション化が流行します。古い建物がリノベーションされ、新しく開発された機能的な町とはひと味違うカルチャー感やおしゃれさが注目されました。下町にもともとあった手工芸や職人がポジティブにフィーチャーされたのです。アーティスティックな動きによって、下町の新たな価値づけがはじまってきました。

隣に居合わせた人とも盛り上がる。コミュニティ感のある下町の飲み屋も近年人気に(著者撮影)

 この傾向は、昔の名残りを街歩きで探そうという70年代に確立した下町のイメージとは一線を画しています。古い建物の魅力を生かして高感度な店舗を出店しよう、新しい目でその価値を再発見していこうという流れで、下町には新たにおしゃれなイメージが生まれたのです。そのイメージが定着し始めると、アンテナの感度が高い人やアーティストが集まるようになりました。リノベーションされた建物にカフェができたりすると、今度はおしゃれな雑誌などに紹介され、より広い層に町の魅力が再注目されるようになっていきます。

 ちなみにこのような流れは海外にもあります。たとえばロンドンのブリクストンやニューヨークのハーレムが好例です。それらの地区で貧しいマイノリティが育んだ、レゲエやソウルミュージックといったカルチャーに惹かれ、もともと治安が悪く地価の低いこれらの下町にまずアーティストが住まうようになります。古い建物がリノベーションされ、ハイセンスな人たちからだんだん裾野が広がって人々の注目を集め始めると、元来交通の便もよかったそうした街を、今度は不動産屋が安く買って大きく開発していったのです。

 ここで注意したいのは、完全に無味乾燥で機能的なだけの街には開発し尽くさず、あえてその地域にあるカルチャーの要素を残しておくことです。そのほうが、高収入の若者や感度の高い人々に受けるからです。今ではブリクストンもハーレムも地価が上がり、カルチャー感のあるおしゃれな街というイメージで語られています。ただ、地価高騰によってもともと住んでいた貧しい人たちが住めなくなるという問題があるのも、忘れていはいけませんが。

 同じことが東京の下町でも起こりつつあるように思います。地価が上昇し、タワーマンションも目立つようになりました。街歩きで訪れるだけではなく、住まいとしての価値も高まっているのです。下町で育まれてきた歴史や人とのふれあいの中に、外部からの人々が多く流入することで、町にどのような変化が起こるのか。注意して見守っていくと面白いでしょう。


構成:富永玲奈