人にはさまざまな癖があります。歩き方や座り方、何気ない仕草や動き、話し方、文字の書き方、問題に直面したときの解法の出し方など、数え上げればキリがありません。そんな癖について考えてみると、意外にもそこから、社会を見て取ることができます。一例として、私がフィールドワークをおこなってきたマニラのボクシングジム(それについては拙著『ローカルボクサーと貧困世界』(世界思想社)にまとめています)の練習風景を見てみましょう。

 ボクサーたちは必ず共同で練習を行います。チャンピオンクラスのボクサーから入門間もない素人ボクサーまでが、同一時間に同一フロアで、練習を行います。一同に会することによって、そこでは間接的な相互指導が果たされる仕組みが生まれます。たとえば、ミット打ちに取り組む素人ボクサーは、隣で同じ練習に取り組むベテランボクサーが奏でる音や呼吸を体感し、それを再生しようと試みる中で、パンチを出すリズムを身につけていきます。複数のボクサーが共在することで奏でられる音やリズムを、各ボクサーが受け取ることによって、技能が獲得されるのです。

 同じジムに所属するボクサーは、得意とするパンチが似てくる傾向がありますが、それもこうした練習の性質に起因します。たとえばあるジムに左のボディブローが上手なベテランがいれば、彼のフォームやリズム、間合いの取り方を若手たちも体得し、左のボディブローはそのジムの得意技として定着していきます。さらに、そのベテランがスパーリング中にグローブで髪をかき上げるしぐさをすれば、それもまた、ある種の憧れと共に、若手ボクサーたちに受け継がれていくことでしょう。このようにボクサーの身体は、個人的かつ集団的な癖が刻印されるフィールドです。さらに、個の中の集団性、あるいは集団の中の個性について、そこから考察することもできるでしょう。

リング上で複数人でシャドーボクシング。リズムの共振が生まれる。(2011年3月7日、著者撮影)

 癖とはこのように、個人のものでありながら、他者のものでもあり、集団のものでも、社会のものでもありえます。だから癖は、私のものでありながら、私以外のものでもあるような、そんな私と他者をつないでいるものでもあります。私と他者が「存在として」つながっていること、癖を考えることはこの点を照らし出してくれます。

ボクサーはなぜカムバックするのか

 私は社会学を専門にしていますが、貧困や差別、スポーツといったテーマを特に中心に考察しています。また、記事資料や統計資料だけでなく、具体的な日常生活のレベルからそのことを考えたいという思いをもっています。ですから「身体」にこだわって研究を進めてきました。差別をなくしましょう、と言うだけなら、誰でも言えます。でも、差別はもっと身体を通じて現れるものでもあります。ある国の大使が、マニラのスラムの人びとと記念写真を撮るときに、寄り添ってくる子どもに思わず腰を引いて距離を取ってしまう「癖」を、私は目の当たりにしたことがあります。にこやかな笑顔と、それとは逆に、反射的に距離を取ろうと捻れる腰。この大使の「顔と腰の乖離」は何かを物語っているように思います。そんな些細な身体的な動きも見逃さないで、私は貧困とは何か、差別とは何か、という点について考えていきたいと思っています。

 私自身は、大学院生時代だった2005年4月からの1年間を、マニラのボクシングジムでの住み込み調査に費やしました。ボクサーたちと寝食を共にし、同じ練習に参加して汗を流す日々には実に多くの学びと発見がありました。その中から「癖」をより強く意識するようになったのは、彼らの引退とその後のカムバックを目にするようになってからです。ロセリトというボクサーの例をご紹介しましょう。

 ロセリトの最初の引退は2005年10月です。トレーナーが自分のファイトマネーから所定よりも多くの取り分を取っていたことに失望した彼は、ボクシングをやめ、故郷のセブ島で大工や客引きの仕事をしていました。しかし2008年、「リングのスポットライトが恋しくて」マニラに戻ってくると、若手ボクサーの指導をしながら自分もトレーニングを再開し、ジムに住み込むようになります。2009年に復帰戦を行い、2013年までに11試合を闘って二度目の引退宣言をしますが、その二年後には再びカムバックを果たし、2016年にさらに2試合を行いました。その後はトレーナーに転身し、現在はその仕事に専念しています。

 このようなカムバックの背景として、引退後の仕事が限られていることを考える必要があります。最終学歴が小学校卒、あるいは高校中退といった彼らが就労においてハンディを抱えているのは事実です。しかし、だからと言って、彼らのカムバックを経済的理由によるものと理解してしまうと、実際の彼らの感覚とは大きくズレてしまいます。彼らは仕事がないからカムバックするのではなく、ボクシングを「愛してしまっている」からカムバックする点を考える必要があります。

 先述した通り、マニラのボクサーたちはジムに住み込みで練習をします。彼らは他に住む場のない貧困層の若者たちであるため、マネージャーが寝床と食事を提供する必要があるのです。しかしこれによって、ジム側はボクサーの生活を全般にわたって囲い込むことができ、ボクサーに固有の動きや考え方などを生活全般を通じて刷り込むことが可能になります。練習以外の余暇の時間も、たとえば先輩との会話からボクサーの心得を学ぶといった広義の練習時間になっていることは、マニラのボクシングジムの大きな特徴だと言えるでしょう。

ボクシングジムでの夕飯の風景。(2020年3月28日、マーティー・エロルデ氏撮影)。現在、新型コロナウイルスの影響を受けて練習は中止している。ジムのなかにボクサーたちは篭っている。ジムの共同生活では「社会的距離」を確保することはできない。一人が罹患すると、ジムがクラスターになるため、調理担当のボクサーのみが外出する方法を取っている。調理担当のボクサーも、食材を買ってすぐに戻ってくるという注意深い生活管理を行っている。

 こうした生活を続けていくうちに、最初は自分の外にあった戒律――毎日の練習メニューやジムのルール等――が自分の中に習慣=癖として定着し、引退した後も、この世界から離れて生きていくことを難しくさせます。彼らは心底ボクシングを愛してしまうのです。

 そしてそれは、何かを「始めること」よりも「終えること」の側にある困難を照らします。ボクサーは、彼らが自分自身で思っている以上に、身も心もボクサーになってしまっているのです。そうして自分の大切な一部になっているものを、引退によって剥ぎ取られることが、かれらには無念に感じられます。彼らが引退後に直面するのは、ボクサーという存在を捨てて、それなしで今一度自らを作りなおす作業です。こうした第二の人生(セカンドキャリア)を築こうとする際に、しかしそこには、身も心も染まりきったボクサーとしての自分の影が迫ってきます。頭では引退をしていても、身体はボクサーとして在ろうとする。そうして引き裂かれた状態が、引退後のボクサーには共通に見られます。頭の中で決定したことが、身体や習慣の側から叛逆されるのです。カムバックはこうして現実化されるのです。

 ところで、こうした習慣=癖は、現役中には意識されることのないものです。引退という移行期において、それは初めて自覚されます。彼らは引退することで、逆に、いかに自らがボクサーであるかを知りなおすのです。

スクオッター地区の強制撤去

 移行期に、人は自らを知りなおす。この点は、何もボクサーに限ったものではありません。私が現在調査を進めているマニラのスクオッター地区の強制撤去の事例においても、同様のことが見出せます。2010年ごろより、フィリピンの大統領ベニグノ・アキノⅢ世(当時)はマニラの再開発を加速させ、スクオッター地区の50万世帯(人数にして300万人)を山奥の再居住地に移住させる計画を打ち出しました。マニラの都市空間に多国籍企業の投資を呼び込むため、交通網を整備し、ショッピングモール等の開発によって移住者の消費生活を保障し、空港の拡充や高速道路の整備によってアクセスを確保する。そんな都市改造を展開したのです。そのとき為政者にとって最も目障りだったのが、スクオッターの住人でした。

 この移住計画によって無数のスクオッター家屋が強制撤去という被害を受けました。住人たちは再居住地に移住するまでの期間――それはどんなに早くても一週間はかかりました――住まいも、食べ物も、トイレも剥奪された状況下で生きることを余儀なくされました。

スクオッター地区の強制撤去。自宅がショベルカーで破壊されていく。(2014年1月30日、著者撮影)

 同時に、こうした強制撤去は、住人たちに、自分たちの生活とは、コミュニティとは何であるのかを自覚させる契機にもなりました。スクオッター地区は「不法」占拠地であるため、基本的に行政サービスは施されません。そのため、住人たちは自前でこの地区を創り上げてきました。ゆえに、地区内部には、住人たちの生活の癖の痕跡がさまざまに刻まれています。当初は掘立小屋のみであっても、月日とともに内部や外壁をデコレーションし、教会を建て、相互扶助的に葬儀を行い、広場を作る。こうして独自に彩られた文化空間に生きるなかで、住人は酒の飲み方からケンカの仕方、人を助けたり裏切ったりする手法、路上での楽な座り方といったさまざまな癖を体得し、それを次世代にリレーします。

 スクオッター地区の強制撤去とは、住人たちがこうして身につけた癖が破壊されることに他なりません。そのとき住人は、ここでの生活がどれだけ自らの身体と分かち難く結びついていたのかを知ることになるのです。そして強制撤去という暴力に対して、住人たちはほぼ全員が立ち上がって、反撤去の社会運動を展開しました。そこには、理念や正義を超えた、身体感覚の次元での怒りとプライドが連鎖していたように思います。

癖が現れるとき

 社会を考える際に、私たちは、個々人を超えた、もっと大きな次元を考えるという視線を想定しがちです。ですが、そうではなく、私たちの個々の身体とそこに刻印されている癖においてこそ、社会は息づいていると考えることもできます。ここまで見てきたように、癖とはまさに個人と社会をつなぐ蝶番だといえるでしょう。スラムで記念撮影をする際に、思わず腰を引いて、身体接触を避けようとする大使の癖は、彼とスラム住人Aさんの距離であると同時に、先進国とグローバルサウスの距離のようにも思います。

 現在、新型コロナウィルスによるパンデミックとそれによる混乱が生じています。この混乱は、翻って、私たちの癖を可視化させる契機でもあります。私たちが当たり前と思っている働き方や遊び方、さらに移動の仕方に制御がかけられています。普段は考える必要もないことが、今では考える対象になっています。また同時に、「アジア人」に対する人種差別だったり、強い国家を希求する声であったり、若者が感染を広めているという臆見だったり、さまざまなものが噴出しています。こうした危機は、いかに今日の社会が、問題含みであるのかを示すと同時に、それに身も心も染まりきっている私たちの癖を再考することを要求します。政策的次元での対応と同時に、私たちの癖を見なおして変えていく努力が不可欠です。


※本稿は「カムバックについて――「世界なき習慣」をめぐる考察」(『現代思想』47, 青土社)および「癖の社会学」(『現代思想』45, 青土社)の内容を下地として、トイビトのインタビューへの応答をもとに再構成したものです。