「日本史」は、日本列島に住んでいた各時代の人びとの暮らしや、日本という国の成り立ち、現代に至るまでの出来事などを見ていく歴史です。「日本の歴史」はいまも全国の中学・高校の授業で教えられ、私たちはそれを当然のことのように受け入れています。自分たちの国がどのようにしてはじまり、どんな変遷をたどってきたのかを知ることは確かに意味があるでしょう。しかしそこには、いくつか注意しておきたいポイントがあります。

 私たちがいまその中で暮らしている国家のことを、社会科学では「様々な人種や民族の人びとが、互いに同じ国民であるという意識を共有することで成り立つ社会の形態」という意味で、「国民国家」(nation-state)と呼びます。この社会の形は、私たちが何気なくイメージするよりもずっと新しい制度です。国民国家は、世界史的には18世紀から19世紀にかけて、産業革命・市民革命を契機に、西ヨーロッパ地域から世界に広がっていきました。この動きによって、それまでの宗教的な共同体が、新たな国境の概念によって細かく分割されていったのです。

 ヨーロッパ各地で王や貴族にかわって国民が政治の主体となる国民国家が形成されたわけですが、近代的な歴史の見方もその社会の変化の中で確立されました。ドイツの歴史家レオポルト・フォン・ランケ(1795年~1886年)などにより、史料批判によって事実をありのままに示そうとする近代歴史学がはじめられましたが、それは「国民」の実在を前提にしてその成立や発展を叙述する枠組みの流行を生み出しました。当時、ロマン主義の影響や、ナショナリズムの風潮の中で、国ごとに資料館の整備や資料集の刊行が進んだのです。つまり近代的な歴史学は、国民国家の枠組みで歴史を語るために生まれた側面があると言っていいでしょう。このようにして語られる歴史を「ナショナルヒストリー」と呼びます。ナショナルヒストリーは各国の歴史教育で用いられ、その歴史を共有する人びと=国民というまとまりを各地に生み出していきました。日本もその一つです。

 倒幕によって1868年の明治改元を果たした新政府にとって、日本を西洋列強に対抗しうる国にしていくことは喫緊の課題でした。そのためには、江戸時代まで「藩」という枠組みで暮らしてきた人びとに日本人であるという意識をもたせ、国民としての一体感を醸成していかなければなりません。この時、ナショナルヒストリーという「語り口」が導入され、「日本の歴史」が語られ始めたのです。もちろん近世以前にも、たとえば水戸藩での『大日本史』の編纂事業などがありました。これはかの徳川光圀によってはじめられた事業ですが、全397巻が「完成」をみたのは1906年(明治39年)でした。「日本史」は近代国家としての日本が成立した後に、明治期に作られたジャンルだと言われるゆえんです。

 ともあれ、このようにしてまとめられた日本のナショナルヒストリー、すなわち「日本史」とそれに基づいた歴史教育によって、人びとの中に「日本人」という自己意識が涵養されるようになりました。この構造自体は21世紀の現在でも変わっていません。

 ナショナルヒストリーに基づく歴史教育の目的が国民の統合であるということは、その叙述が変化していくことを意味します。なぜなら、日本という「国民社会」を維持存続していくために国民に共有させる知識は、時代によって変化していくからです。一例として、山川出版社の発行する高校の歴史教科書で第二次世界大戦の終結を説明する箇所を見ると、1951年版から1970年代までは「民主主義の勝利」となっていた見出しが、1983年版から「連合国の勝利」に変わっています。その背景にあるのはソビエト連邦に対する見方の変化です。

 終戦から間もない1951年の時点の教科書知識では、第二次世界大戦の戦勝国全体が「祖国と民主主義の防衛のために戦うという名分」の立った「民主主義国家」と表現されていました。アメリカとソ連は経済システムの面では資本主義と社会主義とで異なるけれども、政治的にはどちらも民主主義であり、「全体主義国家の侵略」「凶暴な軍国主義」に勝利したとされていたのです。ところがその後、米ソ間の冷戦構造が明確になると、アメリカに与する日本としては戦勝国を同じまとまりとして説明するわけにはいきません。そこで1950年代半ばからソ連の位置づけ方が問い直され始め、やがて米ソ対立が厳しくなるにつれて、第二次世界大戦が「連合国の勝利」で終わった、という表現が採用されることになったのです。ちなみにこの戦争終結についての記述の見出しは、2003年版からは「ファシズム諸国の敗北」へと改められていますが、そこからはファシズムをより危険なものとみなす歴史的評価を読み取ることができます。

 このような歴史叙述の変更には、多くの場合、教科書検定が深く関わっています。教科書検定とは、民間で著作・編集された図書を文部科学大臣が審査し、合格したものを教科書として認めるというものですが、世界に目を向けるとこのような制度のある国は決して多くありません。イギリス、フランス、スウェーデン、フィンランドなどでは検定制度がありませんし、認定制度を採っているアメリカにしても、州または学校区で適切な教科用図書のリストが定められるといったもので、日本のように原稿の一字一句までがチェックされる制度とは大きく異なります。

 そのアメリカでは、1960年代の公民権法制定、移民法改定に端を発する社会改革によって、教科書の内容や語り口についての大幅な見直しが進みました。人口流動性の高まりによってますます多様な人びとによって社会が構成されるようになり、そのことが、過去においても社会が多様な像をもっていたことへの気づきにつながったのです。もちろんその反動で、歴史像をめぐる議論がその後繰り返されるのですが、「アメリカの歴史」は常に吟味され見直されながら人びとに提示されていることになります。

 さらに、ヨーロッパの国々では、ナショナルヒストリーに基づく歴史教育こそが戦争の火種になったのではないかという反省から、二国間、多国間での歴史の共有を目指す対話が続けられています。そうした「国際歴史教科書対話」の歴史も百年になろうとしており、その意義についての優れた研究が多数蓄積されています。私たちはその事実や研究の成果からも、多くを学ぶことができます。

 日本人だから「日本史」を学ぶ。このような考え方が当たり前に思えるのは、私たちがいま日本という国民国家の中で生きているからです。しかしその認識枠組みは、上述した通り、歴史のある時点にヨーロッパで生じ、この列島に移植されたものにすぎません。またその枠組みの見直しも、世界では常に続けられています。第二次世界大戦終結についての教科書記述の例からも明らかなように、歴史認識には過去がどうであったかということ以上に、現在の状況がどうであるかということが強く影響します。すべてのナショナルヒストリーと同じく、「日本の歴史」とは過去からの事実の自然な連なりではなく、常にいまここからの視点によって意味づけられ、語られる歴史なのです。(談)